祇園ではきんし丼がいい

 四条縄手通り上がる50メートルほどに郵便局がある。

その隣に暗い路地がある。木戸を通ると、少し湿った石畳が続いていて、側には庶民的な自転車が並んでいる。

どう見ても、雰囲気が壊れる。その一番奥にのれんがかかった店がある。6名ほどのカウンター席といす席が二つあるだけの小さな店。

実は、ここがかなり有名なウナギ屋である。

今日、たまたま近くを通ったので寄ってきた。もちろん、骨折した姿のままで入ったので違和感があったが、そんなことよりも料理の方が気になる。

うなぎ丼がメインだが、実は、ウナギの上に錦糸卵を乗せた「きんし丼」の方がもっとおいしい。もちろん、ウナギ丼よりも、ウナギの大きさは小さいにしても、白飯にあらかじめ白ごまとタレを混ぜ合わせた上に、ウナギと鉢一杯の錦糸卵がふりかかっている。そのままだとウナギが見えないので、わざわざ卵を半分よけて写したのがごらんの写真である。もとは、もう一枚の写真のようになっている。f:id:ytsutsui:20060825125855j:image

ウナギ丼も、きんし丼もいずれも千円。祇園の真ん中にある店とは思えない安さだ。ちなみにお茶漬けウナギが乗っているお茶漬けは1,800円だが、これはタレをしみ込ませた佃煮のようにしたウナギが乗っている。さらに世界が飛躍する。

祇園は高いばかりでない。老舗の心意気は、この丼に表れている。是非お試しあれ。

追伸

夏にギブスをはめると、足がかゆくなって大変でしょうと言われる。たしかに二日目は少しかゆくなったが、それ以後は大丈夫。その秘訣は、ギブスに風を通して乾燥させるために、扇風機を回しっぱなしにしている。これが意外といい。さすがに料理と違って、お試しあれとは言えないが、骨折の折には重宝する。

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社会の分極化はどう進んでいるのか

 前回の投稿で「骨折した」話を書いたら、多くの方から励ましのメッセージをいただいたり、サイトへのアクセスをしていただいた。

ギブスはつけたままだが、少しずつ歩けるようになったので、生活ははるかに楽になった。こういう境遇にいると、弱者の置かれた立場に少し近づいた気がする。回復しても、この気持ちを思い出せるようにしたい。

動きづらいと読書が楽しみになる。もちろん、もっと楽しみは睡眠なので、昼な夕なとうたた寝ばかりしている。それでも疲れが取れないのはなんだろう。陰山英男さんによると、睡眠時間8時間の生徒が一番成績がよく、10時間になると成績が低下するそうで、私の頭も今は集中力が欠けた状態だ。

「つながり」という危ない快楽―格差のドアが閉じていく

「つながり」という危ない快楽―格差のドアが閉じていく

  • 作者: 速水由紀子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本
  • クリック: 12回

陰山さんとのシンポジウム終盤に私は、社会の二極化にどう教育が向き合うのか。現在の情勢は、二極の「上」に重点がいっており、「下」への視点が欠落している、と述べた。この時の発言以後、格差問題は気になっている。三浦展『下流社会』、本田由紀『「ニート」って言うな!』、速水由紀子『「つながり」という危ない快楽』を読んだ。

三浦は、下流社会に生きる人々の常識と異なるイメージを映し出し、本田は、ニート概念は誇張されており実像を反映していないと述べている。速水は、二極化という単純な分け方を批判し、代わりに「グローバル・コミュニティ」「ローカル・コミュニティ」「オタク・コミュニティ」「脱コミュニティ」「非コミュニティ」と五分類している。これらは、それぞれ海外留学エリート、SNSやサッカーサポーターなどの一般の人々、オタク文化に浸りきる人々、引きこもりなどの社会とのつながりを拒否する人々、ホームレスや日雇い外国人などの排除された人々に対応する。

この分類は、40歳台までならばわかるが、それ以上の世代をこれに分類するのは無理があると思うし、五分類にかかわらず、実際にはグローバル・コミュニティとそれ以外の二極、特にそれ以外のコミュニティを四分割しているのと変わらない。

けれども、私がおもしろかったのは、これらの異なるコミュニティの分極化をどのように防ぐかという視点である。いずれかのコミュニティに属しながらも、それを超えた視点を持つ人材の必要性を訴えていることである。分節化したコミュニティをどのように「つなぐ」のか。それはSNSやサッカーの中での「つながり」ではなく、コミュニティを超えた視点である。「上」の極に全面的に帰依することでも、また自らの内に籠もることでもない第三の道だ。それはかなり難しい道である。しかし、そこにこそ未来があるとすれば、それを示す動きをさらに分析する必要がある。今は、そうした実践例を丁寧に拾い上げながら、一歩前を照らす時期なんだろうと思う。

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骨折しました

 不覚でした。

夕方に、京都三条ラジオカフェの仕事で、自転車で京都市役所駅前を走っていた。

この付近に住んでいる学生の事を考えながら、40年以上もやっているグリル「アローン」がどこだったかと探していた。最近の道路は、路上駐車をふせぐために、歩道が出っ張っている部分がある。「アローン」を探しながら、ふと前をむくと出っ張った歩道に鉄の棒が立っている。

急ブレーキをしたが、間に合わず、その鉄棒に真正面に激突。速度が出ていなかったので、前のめりにはならなかったが、その代わり自転車を車道に倒すと、私は歩道側に左足をついてこけた。痛かった。近くのサラリーマンや警備員が自転車を立て直してくれたり、「大丈夫ですか」と声をかけてくれたが、「大丈夫です」というのが精一杯で、かっこ悪かった。自損事故ですから。

会議に出て、軽くビールを飲んでから、自宅まで20分ほど自転車を乗っていった。幸いにして左足に力を入れない限りは痛くないので、途中湿布薬を買った。風呂で足を冷やして、湿布薬を貼ってしばらくしたらかなり腫れてきた。

ということで、今朝、病院に行ったら、足首の剥離骨折と靭帯損傷で二、三週間のけがとの事です。左足を石膏で固めて、治療は終了。自宅まで松葉杖で10分間の猛暑と不便な長旅。

思えば、25歳頃には、両足首の靭帯損傷、切断で入院一ヶ月。あの頃は、若い患者が多いので、楽しかった。そして、40歳頃にも左足損傷。これはテニスで滑った時の事故だったような。今回で松葉杖生活は三度目だ。

室内は、ハイハイ歩きをするか、ケンケン歩きでなんとかいくが、階段は一段ずつの昇り降りで手間がかかる。職場での仕事を明日中に済ませて、少し静養しよう。自宅の二台のパソコンが故障し、一台復旧不能。もう一台は二度目の入院中で、けがや故障ばかり。

幸い出張まで余裕があるので、それまでに仕事を片づければいいので助かっている。「少し休息しなさい」と言われているのだと思って、あきらめよう。

と言う事で、仕事は少し遅れますが、でも間違いなくしますので。

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オープンキャンパスは、ワールドカップがテーマだ!

筒井の授業を聞く

      ↑

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W杯ビジネス30年戦争

W杯ビジネス30年戦争

  • 作者: 田崎健太
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/05/30
  • メディア: 単行本
  • クリック: 7回

8月4〜6日までは、高校生向けのオープンキャンパスが開催された。

6日には、人文学部三学科(社会メディア、文化表現、環境社会)の体験講義がおこなわれた。社会メディア学科では、午前は「ワールドカップと社会」、午後は「アニメと社会」というテーマで、四名の教員が15分づつ授業をおこなった。私は午前のワールドカップのテーマの中で、広告代理店とFIFA(国際サッカー連盟)とが密接に連携しながら、サッカーの商業化を推進し、その結果、試合や選手の体調よりも、ビジネスの論理が優先している。そのため、試合自体の面白みが低下している。そこから脱却するためには、視聴者は、もっと選手が素

晴らしい試合ができるように主張すべきであることを訴えた。

以下がそのレジュメである。

メディアのチカラ-放映権高騰とそれに参入する日本企業-

2006年FIFAワールドカップ ドイツ大会

オフィシャルパートナーズ15社;

アディダス、アンホイザー・ブッシュ、アバイア、コカ・コーラ、コンチネンタル、ドイツ・テレコム、エミレーツ航空、富士フィルム、ジレット、ヒュンダイ、マスターカード、マクドナルド、フィリップス、東芝

米国 8社、ドイツ 2社、日本 2社、韓国 1社、オランダ 1社、アラブ首長国連邦 1社

「これは犯罪だ」とジーコ監督が怒った。

予選リーグ日本・クロアチア戦のあと、ジーコ監督が、試合の開始時間について、怒りをぶつけている。テレビの都合で、あんな酷暑の中で、二試合も連続して試合を行うハメになったと。

サッカー・ビジネスとは

 FIFAやワールドカップサッカーと関係の深い広告代理店は、日本の電通

70〜80年代日本企業の経済力を背景に電通が取り仕切った。それをFIFAが目をつけた。

ワールドカップ商業化の歴史

 1978年までの「入場料収入中心時代」

      ↓

 1982年からの「スポンサーの時代」

      ↓

 2002年には「テレビの時代」

 2006年ドイツ大会で、FIFAと各国組織委員会の収入3000億円以上

        2000億円近くは放送権の収入

スポンサーの事例: 東芝

2001年から2006年の5年間 120億円

投資効果があったのかどうか疑問である。

その一方で、電通は、広告企業を集めて、放送局や出版企業に売り込むことで手数料獲得し、肥大化している。

  電通   売上高は2兆近く(2006年)

スポンサーの意向による選手の酷使

 たとえば、こういう素晴らしいプレイこそワールドカップで見たい。

ロナウジーニョの妙技「Brazillian Ping Pong」という映像を見よ!

http://www.nike.jp/football/siteshell/#,ja,0;jogatv,,0

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陰山英男さんとのシンポジウム(2)

筒井のコメントを聞く

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脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか? (現代社会科学叢書)

脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか? (現代社会科学叢書)

  • 作者: イヴァンイリッチ,Ivan Illich,松崎巌
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2003/08
  • メディア: 単行本

シンポジウムの続きである。後半のディスカッションのおける私の発言をアップした。

私のプレゼンファイルは、ここにある。ラジオ番組制作プロジェクトの動画ファイルは、過去のブログ(5月23日)に掲載されている。

前半のパネリストの報告を終えて、後半のディスカッションに移った。だが、「二つの学び」のアプローチは微妙に異なる。この相違点がおもしろい。ここでは、論点を三つに絞る。第一の論点は、学習手法の範囲や多様性である。たとえば、陰山さんは、生徒の学力を向上させるためには、あらかじめできるだけ範囲や手法を絞り込んでおけば、学習プロセスと上達度が計りやすい。このことが生徒の「やればできる」という自尊心を勇気づけることになり、結果的に生徒が「意識せずに」学習することができる、と説明する。

学習者に学びを意識させないという方法は、最近の脳科学でもよく言われる。これは、消費者に広告の意図を意識させないで商品を買わせるという手法と同じである。脳科学者の川島隆太さんが陰山さんを評価する理由がよくわかる。陰山さんの前任小学校での授業風景を映像で見せてくれたが、生徒は陰山メソッドを強いられているという気持ちはなく、互いに励まし合いながら進んでいるところがいい。ただ、その逆に、彼の授業は、教師による一斉授業方式であり、生徒の自主性や自律性は絞られた手法の中に限定される。

これに対して、苅宿さんの「能の鏡」ソフトや私が見せたようなラジオ番組制作ワークショップは、多様な役割とそれを相互に意識する全体性(俯瞰性)が前面に出る。MC、ディレクター、タイムキーパー、撮影担当者などがそれぞれの役割をこなしながら、全体を見る視野が養われ、実践体験から体得する達成感は大きい(もちろん、うまく行かなかった時の喪失感も大きい)。しかし、逆に、全体性の視野が獲得されたとしても、それをより深い学びへとつなげることが難しい。

単純に比較すれば、陰山メソッドはその手法に入り込めれば効果が大きいと思うし、わかりやすく、単純であるがゆえに商品開発が容易であり、保護者や消費者にも受ける。逆にわれわれの実践は手間がかかる上に効果の変動が激しい。その点は正直に告白したい。ただ、学びの習得は、教師の一斉方式よりも生徒・学生の参加方式の方が有益であり、陳腐化する知識の習得よりも、体験と相互の連帯性に意味があるという知見が得られてきたはずである。

ただ、実際的には、有能な教育者が実践すれば両者の差はほとんどない。しかし、そのメソッドが文部科学省、メディア、企業、教育界を巻き込んだ大運動となるに至って、当初の意図とはかなり異なってきている。その傾向を批判することはたやすいが、私自身の信条は批判するよりも自らの活動や研究によって成果を明らかにしていくことである。1993年、前任校で言語表現科目を新設する時にも、守旧的な批判にさらされながらも、批判よりも実行を旨としてきたのである。

次の論点は、コンピュータの活用方法である(この点について、問題提起する時間がなかった)。コンピュータは、情報を計算するツールである。電子計算機という言葉はそれを物語っている。これは検索エンジンやネットワーク管理の複雑化にともなって今日ではさらに重要になっている。しかしながら、教育におけるコンピュータの活用においては、計算機能としてのコンピュータを重視する限りは人間一般には普及しない。

むしろ人間のコミュニケーションを広げるツールとして使われてこそ意味がある。それは、計算機能を前面に出すのではなく、後景に忍ばせて置くことである。Webからblogへの変化は、一般ユーザがシステム構築する手間を省いて、コンテンツ自体に精力を注ぐことで爆発的な伸びを示していることが物語っている。私は、このように多様なコミュニケーションをサポートするツールとしてのコンピュータの活用に教育の未来がかかっていると思っている。

その点では、陰山メソッドにもとづくゲームやPDAなどのソフトは、計算や答えを即答するように、計算機能を高度化させる方向に進んでいる。こうした分野のソフトやハードウエアしか開発されない現状は残念である。。コミュニケーションをサポートするソフトやシステムがさらに一層の発展を迫られていることを痛感した次第である。

最後に、二つの学びに関する議論に終始することは、現在、こどもや若者が置かれている現状を変えることにはならないことである。陰山さんも小学校の事例を上げながら、こどもの存在を無視する現状に懸念を表明されていた。私もこの点に同意する。

ただ、今の教育論議が、階層や格差の二極化傾向の深刻化に気づきながらも、上の極での競争心をあおり、エリート的な生徒や学校の育成には大変熱心である。だが、その一方で、下の極への配慮はむしろ切り捨てられていると言っていい。そこにこそ最大の問題があると思う。この点の改善のための議論こそが今後継続されるべきである。

これら三つの課題とは別に、シンポジウムの最後に、私は次のようなコメントをした。これは、拙編著『アカデミック・ジャパニーズの挑戦』のなかで、仙台みやぎサポートセンター代表の加藤哲夫さんが述べられたことを引用しながら発言を締めくくった。

つまり、知識を習得することや論理的な文章を書くことは、それができる人間はいいにしても、実はそのことは、それができないが別の能力を持った人間を排除することになっている。近代社会は、専門用語を駆使して、論理的な文章や説明ができる人が特権的な地位に就く社会である、という加藤さんの指摘である。これは、イリイチの「脱学校化社会」の指摘ともつながる。もっとも近代社会を否定するまでいかなくても、論理性や専門知識の習得だけを追求する教育の弱点を考える必要はある。話が大きくなりすぎるきらいはあるにしても、教育の原点を考える上でわすれてはならない問題である。

以上、シンポジウムおよびそれ以外でのやりとりを踏まえて、三つおよび追加的な論点について論じた。

シンポジウムが終わって、すぐに立命館を離れようと思ってタクシーに乗ろうと思ったが、たまたま立命館小学校に行こうとした陰山さんに出会った。そこで、一緒にタクシーに乗っていった(タクシー代は、気前よく私が払ったよ!)が、お子さんとの距離を保つことには苦労されているとの話を聞いた。教育問題のオピニオンリーダーであるがゆえのつらさであろう。

陰山さんと議論して少しは理解が深まったが、正直言って教育観の相違はかなり大きい。その溝を埋めることは難しいと思うが、それにもかかわらず、子供、保護者、地域とのつながりを大切にして教育されている姿勢には学ぶべきことは多々ある。さらにすぐれた実践や研究をすべきなのである。

脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか? (現代社会科学叢書)

脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか? (現代社会科学叢書)

  • 作者: イヴァンイリッチ,Ivan Illich,松崎巌
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2003/08
  • メディア: 単行本
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陰山英男さんとのシンポジウムー自由な学びか、トレーニングかー(1)

筒井の報告内容を聞く

      ↑

(ダウンロードするか、iTunes for mac/winで見てください。)

京都でPCカンファレンスのシンポジウムが開催された。コンピュータ教育に関する組織であっても、教育問題をより広い視点から論じるべき、という方向の中でこの企画が実現されたのである。

立命館大学で開催される大会であるので、今年四月に開講した立命館小学校副校長に就任された陰山秀男さんをお呼びしようということになった。陰山さんは、徹底反復学習のシンボルとしての「百マス計算」や生活習慣乱れが学力低下につながるという問題提起されて、今や教育界のスーパースター的存在である。午前中に彼の基調講演がおこなわれた後に、以下のメンバーで「自由な学びか、トレーニングか」と題して、シンポジウムがおこなわれた。

  • 板倉 隆夫:  鹿児島大学
  • 大庭 まゆみ: ハミング発音スクール
  • 陰山 英男:  立命館大学・小学校副校長
  • 苅宿 俊文:  大東文化大学
  • 筒井 洋一:  京都精華大学

企画者の意図で、「自由な学びか、トレーニングか」というテーマを鮮明にするために、二つの学びの主張者を色分けすることになった。始めの二名と陰山さんがトレーニング派であり、後者の二人が自由な学び派である。写真では前者が右側三名で、後者が左側二名である。シンポ全体の音声は、主催者の都合によりアップできないが、私自身の発言だけをアップする。

午前中の陰山さんの基調講演を聞いて、彼に対する私の誤解がかなり解けた。つまり、基礎学力の向上を説く彼独特の実践は、基礎学力の習得自体が目的ではなく、それを時間的に短縮し、早期に学習することで、体験型その他の教育を導入しようという目標が設定されていることである。百マス計算や生活改善自体が彼の目的ではなく、手段にすぎないことである。さらに、他のパネリストの報告も含めて明確になったのは、定義を抜きにすれば、自由な学び派も、トレーニング派もいずれもきわめて真摯な実践をおこない、両者の相違よりもむしろ共通点が多いことである。陰山さんの実践は、子供の動きや考えをよく見て、考え抜かれたおり、一流の教育者である。二つの学びに関するテーマで議論する前提として、目標上の両者の共通点が確認された意義は大きい。

この点について、私自身の報告内容も、自ら二つの学びの実践をする中で両者の長所短所が明確になったという報告をしている。プレゼンファイルは、ここにある。ラジオ番組制作プロジェクトの動画ファイルは、過去のブログ(5月23日)に掲載されているが、iTunes用に作成されている。

以後は、追ってアップする。

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シネマ・インターン折り返し点

京都シネマのインターンシッププログラムも前半がほど終了した。先日、全体で進行状況をチェックする会合が開かれた。京都の大学生(同志社、立命、京都外大、龍谷、精華大)11名、京都シネマ代表の神谷雅子さんとコーディネーターの私が集まって、京都シネマを若者へとウイングを広がる企画・広報を練っている。

三班に分かれて、それぞれプロジェクトを進め、最終的にはそれらをどのように一つに結びつけていくかが問われている。

第一班は、若者人気の店が入っている新風館と京都シネマとのコラボレーション企画を進めている。

具体的には、京都シネマで上映される映画予告編を新風館で上映するのとバーターで、新風館CMを京都シネマに流すのである。そのCM(90秒)を京都の大学生に制作コンペをするという企画を進めている。コンペのチラシ原案が出てきたが、デザインの意図を再度練り直すことになった。

第二班は、秋に開催される京都学生映画祭その他でのシネマイベントの企画である。学生映画祭その他で京都シネマをどのように印象づけるか。そのコンセプトの詰めは今後の課題である。

不特定多数への広告を展開する場合に陥りがちなのが、誰にも焦点が当たらない広告を考えてしまうことである。広告を展開する主催者(この場合は、学生)が自分が是非来てもらいたい知り合いを動かすことができるのか。もちろん、知り合いだけの内輪イベントに陥るのはなく、知り合いの輪がどんどん広がっていく動きを作れることが要であることは言うまでもない。

私自身、本や文章を書くときには、誰か(門外漢の知り合い)を思い浮かべて書くようにしている。結果的に、その誰かには読んでもらえないかもしれないが、誰かをターゲットにして書くと文章がわかりやすくなる。第二班のイベントでも同じことだと思う。

第三班は、映画館へ学生を足を運ばせるためのかなり現実的な企画を練っている。現段階では公表できないが、大手の映画しか知らなくても、アートや話題にこだわるタイプの学生を映画館に向かせる企画である。

以上、第一班から第三班の企画をどのように連携させて、学生を京都シネマに足を運ばせることができるかは秋の取り組み次第となる。写真のメンバーがわが仲間たちである。3時間以上の打ち合わせを終わってからの打ち上げなので腹も減りのども渇いているので満面の笑顔である。

ところで、烏丸四条と言えば、繁華街の真ん中であるが、この店は2500円コースで料理が以下の通り。

京都シネマの神谷さんも知らなかった。おすすめです。

・お刺身たっぷりサラダ

・山芋寒天

・京風柴漬そーめん

・穴子の飯蒸し

・温泉玉子のジュレ寄せ

・はちみつトマト

・コーンの照り焼き

・牛肉と野菜のサンシュ包み

・和風ラタトゥユ

・まぐろのとろろドレシング

・ババンジー

・ぶりのかぶらあん

・生ハムのミントゼリー

・鱧の大葉風味

・海老のチーズパン粉焼き

・賀茂茄子の田楽 ・ミックスピザ

・桃の冷製スープ

・鰹のたたき希味風

・焼おにぎり

・デザート

  マンゴープリン

  ほうじ茶シャーベット

  チョコカスタードの最中

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日本語表現ワークショップ

 授業もようやく終わり、夏の出張に向けた準備を始めている。

ピアで学ぶ大学生の日本語表現・プロセス重視のレポート作成

ピアで学ぶ大学生の日本語表現・プロセス重視のレポート作成

  • 作者: 大島弥生,池田玲子,大場理恵子,加納なおみ,高橋淑郎,岩田夏穂
  • 出版社/メーカー: ひつじ書房
  • 発売日: 2005/03/03
  • メディア: 単行本
  • クリック: 2回

最初の出張は、「日本語表現ワークショップ」である。日本語表現法科目を全学的に実施したのは1993年富山大学が始めだが、世紀末以後の伸びは急速で全国900以上の大学のなかで三分の二か、半分くらいは実施している。

ただ、その授業内容や方法は千差万別であり、中には学生の実習を伴わない講義形式でおこなわれている大学もある。あるいは、伝統的な文法やでにおはの修正に終わっていることも珍しくない。

なんらかのアドバイスをしたいと思っても、学会や研究会で報告されたり、参加されていれば接点をもてるのだが、それ以外は難しい。そこで、ワークショップ形式で研修会を公開すればどうかと考えていた。同じことを考える人はいるもので、東京海洋大学の大島弥生さんたちが自らのノウハウを公開するワークショップを開設する。さっそく主催者に連絡して、私も広報に協力させてもらっている。

大島さんは、日本語教師としての経歴をお持ちであるが、数年前から日本人学生向けの日本語表現法を受け持っている。非常勤講師のまとめ役も努めておられる。同僚の池田玲子さんは、日本語教師であるとともに、ピア学習の専門家でもある。日本語教師の方と仕事しているといつも思うことがある。

つまり、われわれのような専門分野の内容を教授する教員は、教材や教授法に関する知識が乏しいが、日本語教師は日本語もままならない留学生を相手にして様々な道具を駆使している。さらに、われわれの場合には、学生の理解度が不足したとしても、その責任が教員には及ばないが、日本語教師の場合には、留学生になんとかわからせなければならないという縛りがある。この点でも教育に対する底力がある。

私自身、参加者としてこのワークショップを楽しみにしている。是非ご参加ください。

以下がアナウンスである。

『ピアで学ぶ大学生の日本語表現』ワークショップ開催の詳細

講師 :大島弥生・池田玲子(東京海洋大学)ほか

日時 :8月1日(火)13時から17時

場所 :アジア学生文化協会(文京区白山)

●JR山手線 駒込駅(南口)または巣鴨駅より徒歩10分

●都営地下鉄三田線  千石駅(A1出口)より徒歩3分

●東京メトロ南北線 駒込駅または本駒込駅より徒歩10分

参加費:1000円(当日受付でお支払い下さい)

     ※本をお持ちの方はご持参ください

定員 :40名(お申し込み順)

お申込方法:ひつじ書房あて、ファックスかe-mailにてお申し込み下さい。

<toiawase@hituzi.co.jp>(メール)

03-5684-6872(ファックス)

主催 :ひつじ書房http://www.hituzi.co.jp/

『ピアで学ぶ大学生の日本語表現』は、日本語表現法という点とピア活動という点の2つの特徴がある。今回は、急に日本語表現の科目を担当することになった方や、ピア活動について馴染みがない方、本書を教室で使ってみようと検討されている方で、日本語表現法を教えること、ピア活動を使うことについて知識や経験のない方、少ない方など、日本語表現法やピア活動についての初心者の方向けにワークショップを行う。一部、実際に簡単なピア活動の経験をしていただく予定。多くの方の参加を期待したい。

以下の情報をメールかファックスでお知らせ下さい。

お申し込み用紙:

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ご所属

今回、受講を希望される理由

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発想法も一歩前進

半年間非常勤講師として担当していた発想法の授業も先週終わった。

その前日、本務校での授業終了後、すぐにインターンシップ・プログラムで夜遅くなる。その翌朝の授業なので、寝坊の私にはかなりつらかった。二コマ連続授業の後に、毎週、担当者会議があり、授業進行をチェックした。こうした担当者の意思疎通を深めている授業は、うまくいきやすい。私のような異分子が加わっていることで会議が引き締まったようだ。

先週が最後の会議だったので、担当者全員が総括的な感想を述べあった。学外から加わった私は、次のような感想を述べた。

私はこれまでライティングやプレゼンテーション能力の向上を目標にして、半期15週で受講生それぞれが自分のテーマについて作品を完成させるという授業をしてきた。したがって、今回のように発想法、要約の仕方、対立文の書き方、ディベートなどという方法論を中心にした授業は初めであった。しかも、方法論を中心にした初年次演習は全国的にも非常にめずらしい。

しかしながら、方法論を中心にしたこうした授業は、この授業内で一作品を完結させるという目標は無理にしても、他の授業においてこうした方法論を実践してもらうという目標を掲げた場合には有効な方向だと思う。その際、できれば受講生にとって身近なテーマで一貫して取り組んだ方がうまくいくのではないか。その点で今後の改善はありつつも、二学部の学生気質の相違を単に偏差値の相違と見るのではなく、別の観点から評価できるきっかけをつかむことができた点でこの授業を担当させてもらった大変有益だった。学内の他の教員もこうした授業を担当してもらうように工夫をしてもらえれば幸いである。

他大学の学生であっても、授業をコーディネートすることに私は徐々になれてきたようだ。お世辞にも私は授業がうまいとはいえないが、改善点を目標にしていきたいと思う。

さて、本務校でも新しい二年生のゼミ生が決まりそうだ。今年こそは一歩前進したいと切に思っている。

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三年間の授業が成功裏に終わった

石川・筒井のインタビューを聞く

      ↑

(ダウンロードするか、iTunes for mac/winで見てください。)

「広告の授業」を学生が広告する授業「広告表現技法1」が終わった。三年間を一区切りにして、年々新しい課題を掲げて進んできたが、まずは一段落だ。担当者は広告プロデューサの石川淳哉さんだが、私が実技系科目をサポートした関係で結果的にかなり力を入れた。

当初から、「広告の授業」を学生が広告する授業、になるとは思っていなかった。しかし、石川さんと大学側がそれなりの戦略を持って展開してきたことが功を奏して、学生自身が動き出すこととなった。

授業内容の詳細は、授業のブログをみてもらうことにして、毎回のゲスト講師がすばらしかった。職業を挙げただけでも、写真家、アートディレクター、詩人、イベント企画者、映像プロデューサー、デジタルプロデューサ、マンガプロデューサ、Jリーグ元監督、コーチング・インストラクター、家具セレクトショップ経営者など、誠に贅沢な企画であった。ゲスト講師の方はほとんど手弁当に近い金額であったにもかかわらず、これまでの人生と仕事を惜しげもなく披露してくれた。関係者の方に心からお礼を申し上げたい。

私が始めたポッドキャスティングに啓発されて、三年生の山崎祐一郎君が石川さんと私に対して授業を振り返る意味でインタビューをおこなった。ここではその音声をお借りした。授業風景は、ここにある。彼の成長ぶりに他の学生も負けずに追いついてほしい。

なお、ここに掲げた写真は、今、日本でも流行している、ドイツの赤信号のロゴである。「止まれ」を意味している。

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