映画『パッチギ』、祇園の女将、「うちの先生」

 遅ればせながらビデオで見ました。『パッチギ』という名前を聞くと、どうしても思い出してしまうことがある。ブログにまだ書いてなかったようだ。これを語らずしては映画にまで行かないので、しばらくご辛抱を。

パッチギ ! スタンダード・エディション [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • 発売日: 2005/07/29
  • メディア: DVD
  • クリック: 15回

昨年初めに封切りされたこの映画の評判を聞いた場所は、祇園のお茶屋さんだった。祇園のお茶屋といえば、舞妓さんや芸妓さんらに囲まれてさぞかし贅沢な遊びを満喫したと思われそうだが、私の用件は遊びではなく、謝りに行ったのだった。そう言うと、「筒井さん、遊びすぎが祟ったのね」と冷やかされそうだが、そういう優雅な生活とは縁遠い。

実は、大学の講義で学生が舞妓さんの仕事を撮影するという話が進展して、お茶屋さんも一度は承諾してくれた。しかし、間を取り持つ学生の説明がまずくて、先方が不審に思い、一気に破談になりそうだった。このままでは授業が継続できなくなると思って、私が謝りに行くことになった。それ以前にまずメールで当方の不手際をわびた。その上で、教師としては学生に授業を全うさせることが大事だと思うので、なんとか撮影の継続をお願いしたいと伝えた。相手への謝罪と私の教育に賭ける信念を伝えた力のこもった文章が書けたと思う。

このメールに反応したお茶屋のご亭主が電話してこられて、「学生からの細切れな連絡では一向にわからなかったですが、先生の説明を読んではじめて全容がわかりました。ところで、どうされますか? 女将にお会いになりますか? よければ、今晩遊びに来られますか?」という申し出に、出費は覚悟しても女将に会ってお詫びが言えるまたとない機会なので「是非参ります。ありがとうございます」と返事して出かけていった。

祇園の人に京都の手みやげは持って行けないので、大阪に行って買い、京都へすぐに折り返した。祇園の夜もまだ半ばの頃、気持ちを沈めてお茶屋のベルを鳴らすと、見習いさんがバーに連れて行ってくれた。女将は先客を接待していたので、一礼して端の席で待機していた。とにもかくにも、まず手みやげをお渡した。女将が時々来て、「もっと気楽にしてください」とか言われるけど、とてもそんな余裕はない。背筋を伸ばして、ただ気持ちを抑えるだけが精一杯だった。

しばらくして先客が帰ったところを見計らって、座布団を外して、畳に土下座をしながら、ひたすら謝った。「そんなことしてもらわなくてもかましません」と言ってもらったが、まだ気持ちは収まっていなかったようだ。メールで説明した内容を簡潔にかつ気持ちを込めて説明したところで、「おかわりいかがどすか?」と来る。「では、同じ物を頂きます」と答える。そのうちに、「うちの先生(ご亭主は学校の先生なのでそういう呼び名で呼んでおられる)はもう少ししたら帰ってきますので、それまでお待ち下さい」という話があった頃から少しずつ女将の機嫌が直ったのがわかってきた。

しばらくして、「学生さんが撮影される舞妓さんのお披露目会があります。破格の値段ですが、高級料亭の料理付きです。いかがですか?」と誘われた。確かにお茶屋遊びの相場ではなく、普通の料亭の夕食よりも安いかもしれない。「他の人も呼んでいいでしょうか。よければ二人で行きたいのですが」と尋ねると、「どうぞおいでください」と返答があった。こういう特別の催しに呼んでいただけるのは、きっと気持ちを収めてくれたのだと理解した。

(お披露目会ではご祝儀を持参するのが当たり前である。ポチ袋にお祝儀を包んでお渡ししたのだが、寝る前に中身を入れるのを忘れたことを思いついた。冷や汗が出た。翌朝お茶屋に伺ったが、祇園町の朝は遅いので誰も出てこない。そこで、その晩再度お茶屋さんに出かけてお祝儀を渡した。しかも金額はもちろん増額するのが常識というものだ。失敗が重なり、結局高くついたが、その店とは既に一見さんではなくなったのが唯一の自慢かも。すべて出してもらえるならば、喜んでお伴しますよ。)

1時間ほどして「先生」が戻ってこられた。そこで、まず座布団をはずして、土下座して心からお詫びした。女将が撮影には気が進まないのを、「教育目的」という点が教師の本性をくすぐったらしく、「先生」が間を取り持ってくれたのだった。「先生」には何度お礼とお詫びを申し上げてもすぎることはない。「先生」は、むかしから8ミリが趣味で映像や演劇に関しては今も興味を持っておられる。その趣味もあって学生の撮影を許してくれたのだと思う。

ひとしきりやりとりがあった後、「先生」が「今『パッチギ』を見てきました。かつての京都の雰囲気が鮮明に蘇るようでいい映画でした」と言われた。私は予告編しか見ていなかったので、その時には何も言えなかったが、これはきっといい映画だと確信した。

こういういわく付きの映画だが、確かに京都のあちこちでロケがおこなわれている。

東福寺周辺、銀閣寺哲学の道、新京極界隈、出町、総合資料館などがが、朝鮮高校だけは、出身者によれば、比叡山高校で撮影されたとのこと。

映画は、ある市立高校と朝鮮高校が友好のためにサッカー試合をしようという提案を持っていった男子生徒が、吹奏楽団メンバーの一人の女子学生にあこがれることから話がはじまる。彼女が演奏していた『イムジン河』に惹かれて、その歌と彼女への思いが在日問題をうかびあがらせる。

この映画を見た私の大学の学生が、「あの映画では高校生が喧嘩ばかりしている。あんなに喧嘩ばかりなんて信じられない」と感想をもらしたことがある。確かに今ではこういうことはなくなったが、1960年代終わりの時期には実際にあってもおかしくなかった。歓楽街や観光地では時々こうした風景を目にしたことがあるし、そうした行動こそが一方での若者の象徴であった(他方は、大学紛争や抗議行動であった。)また、関東では信じられないほど関西では在日問題はもっと身近で、かつ深刻だった。団塊の世代がまさにその時代なので、私はそれよりも少し遅れたので、そういう雰囲気が残っていたという体験しかない。

『イムジン河』がメジャーから発売されてからは、この歌は政治の渦に巻き込まれて不幸な歩みを辿ったが、若者の中には長く歌い続けられた。心にしみ入るいい曲だと思う。歌詞の日本語訳を作った松山猛をモチーフにした映画の主人公をはじめ、配役は日本人も在日も混在しているのがいい。フォーク・クルセダースの名曲をバックに京都の風景が流れると、高校生だった頃、大学生が輝いていた思い出と同時に、当時の差別の深刻さも蘇ってくる。

私は、自分の過去のある時期が最高だとは思ったことはないし、常にこれからが最高だと思って生きたい。ただ、やはり若かりし頃の雑然としながらも、躍動的な時期は捨てがたい。もちろん、その時期には私自身が精一杯生きていたかというとそうではなかった悔いが残る。むしろ、その悔いがあるからこそ、これからの可能性に賭けたいのかもしれない。

いずれにしても、自分を振り返らせてくれるいい映画に遅ればせながら追いついたのであった。

そうそう、ボブディランの『ノー・ディレクション・ホーム』http://www.imageforum.co.jp/dylan/index.htmlにはまだ行ってなかった。予定に入れておかないと。

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卒業式の合い言葉は「乾杯」

 本日は、精華大の卒業式だった(まだ続いているけど)。

私は三名の卒業生を持ったので、この大学では初めての体験である。

卒業式にせよ、入学式にせよ、私は前任校でもほとんど行ったことがない。気恥ずかしいからだ。ただ、私学にいると行かないとはいえない。学位授与式がゼミ単位であるからだ。ゼミ生とはもちろんいろいろと思い出話も弾むので、それはそれで楽しい。ましてやこれから社会に巣立っていこうという学生達である。これからの可能性を感じるとうれしくてしようがない。ゼミで卒業証書を手渡しした後、謝恩会でゆっくりと歓談すると来てよかったと思う。セレモニーに弱いのだ。

卒業式に話を戻すと、卒業証書授与者のほとんどが留学生なのはかれらの熱心さが表れているのだろう。

卒業式の最後には、卒業生からの言葉ということで、元自治会長の野田君が挨拶に立った。人文学科最後の学生として、大学とも対立することもあり、今年の入学式には前理事長に苦言を呈したりした。なぜまた、野田君が挨拶するのかという疑問を持った。人文学科最後のイベントを開いていたが、すべてのイベントはこれまでのかれらの知り合いばかりであって、それ以上の広がりがなかったからだ。もちろん、個々のイベントはそれらなりの内容であったことはいうまでもないが、あまりにも驚きがなさすぎる。

そういう不満ももちながらも、いざ挨拶に立つと、彼は輝いている。珍しく原稿を書いてきた彼だが、はやり途中でそれをやめてしまった。そして、挨拶の最後には、「卒業生の中で、精華大学に誇りのある方は起立してください」と呼びかけると、多くの卒業生が起立した。それから、彼は、挨拶の最後には、卒業生の右手を挙げさせて、「乾杯!」と大合唱させた。酒にまみれた学生時代を象徴する合い言葉だが、卒業式で「乾杯」を叫んだのは珍しい。

さて、彼はこの後東京に行くのだろうか。どうするのだろうか。

続編を期待しながら、今日は終わる。

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自分の言語がコンピュータで書けない

週末に、市民コンピュータ研究会(JCAFE)主催のフォーラムが開催された。

テーマは、「世界情報社会サミットのこれから」ということで、このサミット(チュニジア)に参加された三名の会員が報告された。講師は、情報技術をめぐる制度や国際政治を研究されている原田至郎さん(東京大学情報学環)、そしてマイノリティによる情報技術活用と社会参加に取り組まれている柴田邦臣さん(大妻女子大学社会情報学部)、代表理事である浜田忠久さんである。

チュニジア・サミットは、2003年に開催されたジュネーブ・サミットの延長戦と位置づけられている。サミット関連の会議は、ほぼ毎月世界のいずれかの国で開催れているくらい大規模な会議であるが、わが国ではほとんど知られていない。ただ、チュニジア会場では、日本企業やNHK関係者の姿が目立つ、特にNHK関係者が多数いながら、なぜ国内メディアで放映されないのかが不思議だとのこと。

サミット自体は大変大規模であり、NGO関係者は政府や企業関係者と比べて会議参加が制限されている中で、市民社会のメンバーがどれだけ活躍しているのかについて柴田さんが説明してくれた。チュニジア政府にとっては、国際会議を招致することは国民向けにおいてアピールとなるが、NGO関係者の活動に対する規制を強めたギャップが会議の課題となった。わが国のメディアでこの会議が取り上げられたのは、会議内容ではなく、MITやアラン・ケイなどが発表した「100ドルPC」であった。デジタルデバイドを解消するため、発展途上国向けに安価なPC(Linuxで自家発電式)を発表したのであった。このプロジェクト自体は意欲的な試みであるにしても、これだけが会議のすべてではない。

続いて報告してくれた原田さんは、カンボジアの文字コードがunicodeに誤って登録されていることを知り、ここ数年専門的に研究されている。unicode自体は、世界的な文字コードをコンピュータに実装する試みとして評価されるが、それを策定するメンバーはほとんどが欧米の技術者だけであり、第三世界の言語を知らない。欧米偏重ということもあるが、むしろこれを作成しているのがISOとその関連組織であり、これらはNPOである。

かれらは、インターネットの伝統にしたがって、誰にも門戸を開いていると主張しているが、実際の会議に第三世界のメンバーが入る資金、語学力、知識に欠けているのであり、見切り発車の形で進めている。たしかにコンピュータの文字コードという私企業同士の問題であるが、実際にはその決定に多くのユーザや政府、企業なども拘束されるのであり、自由参加のNPOだけで作成してもいいのかどうかは課題が残る。

原田さんは、インターネットの世界では、国家を関与させない形で、技術者だけで運営するのが最善であるという楽観的な考えがあるが、技術者やNPOだけで任せていいのかは疑問である。確かに危険な側面もあるが、ある部分では国家を関与させた運営も必要になるのではないか。特に、こうした少数者の言語を保護する場合には必要である、という指摘をされた。

私は、UNICODEが少数者の言語に配慮していないということは是正する必要があるが、多数の少数言語を加えてきたときには実装する手間がかかりすぎるのであり、どのレベルで区別するのかという問題が出てくるのではないかという質問をした。

原田さんは、インターネットの楽観主義の問題点を指摘すると同時に、文字コードなどの標準化においては、専門家による決定(文化的多様性を守る)プロセスを入れることで、WTOにおける作成過程の変更で対処できるのではないかと回答された。

原田さんの報告を聞いて、国家を関与させないというインターネットの伝統は、現実世界における市民社会の考えとも共通しているのである、いずれも弱さを持っている。また逆に、国家の影響力が強い中で、国家の関与を認めることの危険性もある。現在のサミットでは、中国、ブラジルなどの中進国を中心に国家によるインターネットの全面管理を主張しているので、それとの差異化をしながら、市民社会の発展をはかる必要がある。

最後の浜田さんは、サミットにおけるNPO関係者の活動やサイバー犯罪条約について報告された。

だれが市民か、市民社会とNPOの相違、国家の関与とNPOの対処、文化的多様性の保護など多様な問題が議論されたセミナーであった。

サミットに参加する市民社会のメンバーの中で三名がJCAFEのメンバーであることは誇るべきだが、同時にこのテーマについての議論が技術関係者以外に広がらない点はまだ改善できていない。そこから広げるためには、市民により密接したテーマや視点での切り込みが必要である。

注:写真に写っているのは原田さんですが、マスクをされているのは体調を崩されていたからです。しかし、一度話し出すとマスクをしているとは思えないくらい熱い話をされました。

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映画『ザ・コーポレーション』とシンポジウム

 昨日、大阪のアートプロジェクトで有名な應典院應典院 – ひとが、集まる。いのち、弾ける。呼吸する、お寺。というお寺で、映画上映とシンポジウムが開かれた。

映画は、2時間半の長尺で、マイケルムーア、ノーム・チョムスキー、ヴァンダナ・シバ、ナオミ・クラインなど著名な企業批判派も登場し、かなり貴重な古いCM映像や現役CEOなどへのインタビューなどずっしりとした重量感がある内容になっている。環境や人間の健康破壊をおこなう構造的な問題を企業が是正できないことを告発している。ドキュメンタリー映画は、制作者の主張をできるだけ抑え映像によって語らせるタイプと、逆に制作者の意図自身をストレートに表現するタイプとがある。この映画は、後者の典型である。

私自身は、ドキュメンタリー映画は好きなのだが、どちらかというと前者の方が好きだ。後者だとあまりにも演説調になってしまうからだ。特に、長尺である場合には、少し疲れてしまう。しかし、ともあれ、明確な主張をしっかりと伝えようとする一貫した姿勢は、レベルの高い制作陣の才能がほとばしっているものだ。

ただ、このイベントでは、映画よりも、その後のシンポジウムの方がはるかに面白かった。應典院住職の秋田光彦さんはじめ、シンポジウムのパネリスト新川達郎(同志社大学)と田村太郎(edge実行委員長)、コーディネーターの山口洋典さんなど芸達者なメンバーが集まって議論した。

表現力豊かな登壇者が、映画に対する感想や映画の長短とりまぜた指摘を積み上げていき、企業と市民の関係についてわれわれに考えさせてくれた。ただ、シンポジウムで語られた映画の課題・問題点についてはそのとおりだが、それらを踏まえた「正しい」映画を作るとすれば、それはもはやアートではなくなる。娯楽作品とドキュメンタリー作品との相違というか、アートとアドボカシーとの相違でもある。どこに立ち位置を置くのかによって視点が異なってくる。

今回の企画は、秋田さんをさらに勇気づけるために、山口さんが應典院職員として赴任する直前企画である。大学コンソーシアム職員として10年間勤務しながら、各地のNPOその他のイベント・調査に多方面に活躍された方が新しい職場で新しい試みをはじめるというアナウンス的な意味もある。

山口さんのご検討を祈ると共に、彼に頼られる存在になれるよう私も努力したい。

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ことば(日本語表現法)に向かう仲間達ーNPO、日本語教員、理科系研究者ー

大学教育学会には、数年前からラウンドテーブルという企画が復活しました。復活したのは、たしか宮城大学での大会でしたが、私がこの責任者をしていたので思いで深い企画です。ラウンドテーブルとは、会員が自由にテーマや報告者を設定して申し込み、大会側は場所と内容のアナウンスだけしてあとは、企画者に任せるという趣旨です。大会主催者や学会理事会が決定した大会企画だけでは会員に不満が積もるということではじまったものです。

私がこれにはじめて参加したのは、たしか1996年だと思います。当時の責任者は、武蔵大学の林義樹さん(現横浜国立大学)でした。彼は、草の根からの発想を大切にする方で、この企画を成功させるために、積極的に呼びかけをおこなっていました。私も彼にお誘いを受けました。そこで、他の研究者と親しくなり(壇上で隣り合わせになった方を小声で話していたら、フロアの方にも聞こえて、先人におしかりをいただいた)、それ以来さらに全国的な広がりへとつながりました。

もっとも、ラウンドテーブルも、一回だけで終わってしまった。それが数年前の宮城大会で復活したのだった。当時の企画は、たぶんに思いつき的なものもあったので、参加者の満足度も千差万別だったと思う。しかし、昨年からの企画はどれも一流の企画が目白押しになった。理事やその他知名度の高い研究者がきっちりした企画を持ち込んできているからだ。私が昨年企画したテーブルも100名ちかくの参加があり、大盛況だった。

このまま終わるのももったいないと思い、若干企画を変えながら、今年も継続企画を提案した。それが以下のようなものだ。企画のタイトルをこのブログのタイトルにしている。ことばをめぐる研究は、1980年代はともかくとして、それ以後、特にここ数年間は従来の「ことば」の専門家以外の参加が著しい。そこで、NPO、日本語教員、理科系研究者を報告者にして議論することにした。私は、司会兼パネリストとして登壇する。

企画概要は、以下の通りであるが、異色の研究者や実践家を組み合わせながら、素敵な議論をしていきたい。

ラウンドテーブルは、6月の学会初日に開催される。詳しくはまた。

発表・企画内容概要:

大学初年次教育のなかで、「ことば」に関する科目(日本語表現法、言語表現などの科目)が本格的に始まって10年以上が経過し、全国の3分の2以上の大学でも類似科目が開設されている。こうした量的な拡大と共に、質的にも様々な改善も見られている。もちろん、そうした肯定面と同時に、以前未解決な課題も残されたまま肥大化していることも否定できない。

 本テーブルの論点は、昨年度のテーブルを発展させたものと位置づけている。そこでは、それぞれの専門分野を持ちながらも、「ことば」を求めている仲間達(大学内部にとどまらず、大学外部からも)と議論を深めたい。パネリストとしては、『市民の日本語』のNPO実践家、『アカデミック・ジャパニーズの挑戦』の日本語教員、長年、日本語表現の講義を実践されている理科系研究者と筒井である。

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米国テレビ報道は、米国世論を戦争に向けたのか?

魚住真司さんのお話をダウンロードする

 ひさしぶりのPodcastingです。いつもは講演の模様をそのまま発信するだけでしたが、今回は少し工夫しました。まず、「つつい・ぽっど・めでぃあ」のイントロ音楽(ジングル)を入れて、その後に、筒井の前説が入り、その後に約1時間の講演模様を入れました。それではお聞き下さい。

テーマ=

イラク戦争開戦3周年・イタリア人ジャーナリスト襲撃事件1周年

 「米国テレビニュースの言質から見えてくるもの

 「Fox News」と「CBS Evening News」の比較を事例として」

日時=2006年3月6日(月)午後7時〜9時

場所=京都三条ラジオカフェ

お話=魚住真司さん(関西外国語大学助教授)

経歴:1965年尼崎市生まれ。米国シアトル市で育つ。NHK報道カメラマンを経て、現職。2004年〜2005年までワシントンDCに滞在。

あらすじ:

イラク戦争長期化やブッシュ再選は、「Fox News」による米国市民のミスリーディングが一因とも言われる。事実、メリーランド大学の研究など各種調査でも「Fox News」の視聴者は、事実誤認が多く、イラク戦争を肯定する傾向があるとの結果が出ている。

 今回は、2005年3月にバグダッドで起きた米軍によるイタリア人ジャーナリスト搭乗車襲撃事件を題材に、その報道のされ方が、米国の伝統的な放送ジャーナリズムのあり方と、どのように違うのか分析することによって、「Fox News」の世論形成の手法を明らかにする。

 なお、講演の中で使用された「Fox News」と「CBS Evening News」のオリジナル映像は、以下のサイトから見ることができます(3月末までの期限付き)。

Wild Fireサイト:http://www.hi-ho.ne.jp/~uozumi/

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『ホテル・ルワンダ』

このところ映画を立て続けに見た。『ホテル・ルワンダ』と『My Father』だ。

かつて北陸にいた時には、映画愛好者とよく見に行っていたのだが、最近はめっきり行かない。しかも、独立系の映画は、話題になるないとなかなか見られない。京都には、京都シネマ、みなみ会館などの独立系映画館が残っており、まだ恵まれた方だと思うが、特別な会合以外には職場と自宅の往復生活をしているとなかなか足が向かない。

『ホテル・ルワンダ』http://www.hotelrwanda.jp/は、慶應義塾大学の金山智子さんから教えてもらった。東京で先行上映された時の彼女の映画評を見て、関西での上映を知ることができた。この映画は、アカデミー賞を受賞したが、ルワンダという知名度の低いアフリカの小国を舞台にした社会派作品であるため、わが国での上映予定がなかったとのこと。それを悔やんだファンがネットで署名活動をして上映にこぎ着けたという経緯がある。

1994年、ルワンダの多数派フツ族の急進派が少数派ツチ族を大量虐殺する悲惨な出来事が起こっていた。先進国は実質的にこの惨状を見殺しにする中で、少数の国連平和維持軍が最後の砦となっていた。国連軍や外国人が宿泊する高級ホテル支配人のフツ族ポールが主人公であった。ツチ族である妻を持つポール家族もこの争いに巻き込まれ、ホテルに逃げ込んだツチ族避難民1200人をさまざまな苦難を乗り越えながら、救い出したことで、彼はアフリカのシンドラーと讃えられている。

民族紛争の典型のような内戦であるが、民族的な差異は、外見上は区別がつかない。むしろ、長く植民地宗主国として君臨していたベルギー政府がこの民族的区別を意図的に誇大視したことが、独立後には対数派でありながらベルギー支配期に冷遇されていたフツ族の憎悪をかき立てたのであった。民族紛争とはいいながら、実際の原因はそれではないという好例である。それにしても悲惨な事件である。

アフリカの乾いた気候は、一見するとこうした残虐な事件とは無縁のように思わせる。しかし、憎悪、利権、野心などが外国勢力とつながることで、民族紛争の様相を見せるのは、ユーゴ紛争でも同様である。悲しい事件であるが、それを生き抜いた人々の隣人・家族愛を主人公にした素晴らしい映画である。署名活動の成果があってか、毎回大盛況の観客が押し寄せている。

『My Father』

マイ・ファーザー 死の天使 [DVD]

マイ・ファーザー 死の天使 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ジーダス
  • 発売日: 2005/11/25
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ホテル・ルワンダを見に行った映画館で偶然知った映画であった。

わずか一週間だけの上映というのが希少性を感じさせたが、それよりも私の元来の専門は、ドイツ外交史なので、ナチ時代の話だとつい見てしまう。

この作品は、アウシュヴィッツ収容所で数々の人体実験を行い”死の天使”と呼ぱれて恐れられ、戦後30年にも及ぶ逃亡生活を続けた医師ヨゼフ・メンゲレと対面した息子との葛藤を描いたドキュメンタリー作品の映画化である。父の罪深い過去を背負わざるを得なかった息子が成人して、父親と対面した。ブラジルの貧困地帯で質素に、かつ隣人から愛されながら暮らす生活に意外さを感じながらも、結局、父親は、ナチ時代と変わらない信念(それは優生学的な人種差別思想に満ちていた)を変えなかった。それによって、息子としての存在自体に悩みながらも、父とは分かり合えないことが明確になる。親子の葛藤は世の常であるが、それにしてもこのケースは思い過去を背負わざるを得ないゆえに、息子には過酷な人生である。

以前、東ドイツの都市ワイマールを訪問した翌日、郊外にあったブーヘンバルト収容所跡を訪問したことがある。敷地、建物の一部、写真、遺品を通じて残虐な過去をかいま見ることができたが、見学後、併設してあったレストランで食事する気持ちはおこらなかった。ただ、驚いたのは、レストランだけでなく、ホテルも併設してあったことだ。ちょうど修学旅行生が滞在していたが、気の弱い私にはとても耐えられなかっただろう。

二本の作品を見て、独立系映画を見る習慣が戻ってきた。

帰りには、『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』の前売り券を買ってしまった。これもわずか一週間の上映だが、なんと上映時間3時間という長尺である。神話に包まれたディランとその周辺の事情がわかる。60年代サブカルチャー好きにはこたえられない作品だと思う。

http://www.imageforum.co.jp/dylan/index.html

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大学教育がキャリアとなる

 従来、大学で講義するのは、研究者か、その周辺にいる人に限られていた。ただ、語学や情報教育といったトレーニング科目の場合には、例外的に研究者以外を雇用するのが慣例となっていた。しかし、近年、それ以外の科目で研究者以外の実践家や市民も講義を担当しはじめている。こうした傾向については、春の学会で報告したいと思うので、ここではそれとは異なる授業について話したい。

大学教育において、一番難しいのは、大学一年生の初年次教育である。

難しい理由は様々あるが、

第一は専任教員のなかで初年次教育を専門とする担当者がいないことが大きい。通常の大学院を経て教員になったケースでは、専門教育を教えることはできても、専門を希望する学生以外を対象にした入門コースを教えることは不得意である。

第二は、入学してくる学生の学力の多様化である。

高校時点で大学の授業で必要な科目を履修していないだけでなく、必ずしも当該大学・専門分野を希望しない不本意入学した学生も多数存在している。こうした多様化した学生の意欲を喚起し、興味を持たせるためにはかなりの修練が必要である。

第三は、教員間や科目間の連携が不足していることである。

一授業がどれだけ充実していても、他科目とのつながりがないと受講生の能力を効果的に上げることができない。また、少人数の必修授業(例:基礎演習、日本語表現)の場合には、担当者全員が授業内容を統一化する必要がある。しかし、実際にはこうした連携をとることはなかなか実現していない。

今年度からはじまった精華大学人文学部基礎演習では、これを打開する方策を採用した。すなわち、他大学を含めて有能な院生をTA(ティーチング・アシスタント)として採用し、基礎演習責任者がかれらと授業内容について打合せ、そのTAを補佐する形で専任教員が配属されるという方式である。専任教員だけでは、統一的な授業内容が講義できなかった部分を、むしろTAが大半の授業を進める形で運営するために、授業がきわめて統一的かつ、スムーズに進行した。これについては、今年度のTAに学会報告をしてもらう予定にしているので、ここではこうしたシステムがキャリア形成に役立っている話をする。

応募してきたTAは、学内外の院生や学部卒業生である。多くは、将来的に教職や研究職を視野に入れている有能な人材である。その能力が買われて、来年度から大学の非常勤講師に採用されるだけでなく、専任教員や高校教員に採用される例も出てきた。かれらが専任教員に採用されるときには、基本的にはその分野での能力を認められることが前提だが、ある部分はこうしたTAでの教育経験が採用に有利に働いているようだ。応募書類にこの経験を記載したり、面接でその経験を話したりすると、採用側の反応がいい、とのこと。

ここでわかるのは、院生→TA→非常勤→専任教員というルートができつつあるということである。TAという教育経験は単なるコピー取りや教員のお手伝いに終わる限りは資源の無駄であるが、システムの一環として効果的に活用された場合にはきわめて有効に働く。特に、専任教員とペアにしたところでその真価が発揮される。

このように新しいキャリア形成ルートが生まれたことは、大学教育の変貌の結果である。それが望まれていながらも、依然多くの大学でそれが阻まれている現実は早急に改善する必要がある。

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ディズニーランドは動くのか?

今年半年だけ、ある女子大で日本語表現論の講義を担当させていただいた。

講義の最後に受講生が提出するのは、レポート形式の文章である。初めは堅めのテーマを書こうと思っていた受講生だが、こちらができるだけ大きな夢をとか、突拍子もない方がいいです、といったためたか、なかなか面白い夢が出てきた。

 たとえば、世界三周旅行をしたいとか、トレンディードラマを環状線の駅毎に話にするとか、ストリートダンスをもっとビックにしたいとか、素人と出演者とが一体となったエンターテインメント番組とか、音楽・ファッション・文化の境を越えた雑誌を作るとか、自分の好きなことを考えていた。他には、夜更かしできない朝型人間が考えた深夜テレビ番組という企画はすごいと思った。祖父母の部屋にしかテレビがないため深夜番組が見られない学生があえて深夜番組を提案してきたのである。ふだんはこういうことは考えたことはないという。

なかでも一番感心したのは、「私は動くディズニーランドを作りたい」という夢だった。ディズニーランドが動くという発想自体がユニークだが、もっと驚いたのは、「私はこれまでディズニーランドに行ったことがない」ということばだった。関西生まれであっても、若い世代であれば、一度や二度は行っていてもおかしくないだけによけいに面白かった。こういう夢は大切にしないといけない。いや、ディズニーランドに負けない「動くディズニーランド」を考えることで人生が開けていくのだと思う。

このことを彼女もわかっているらしく、過疎地の廃校になった学校敷地に、独自に組織した役者養成組織と、都会では見られないアミューズメント施設とを結びつけた「動くディズニーランド」を構想した。読んでいてイメージがふくらんできた見事な文章だった。mixiに書いている彼女の文章も、力を抜きつつ、気持ちが籠もったものであるし、きっと下地はあるのだと思う。

しかし、一人だけが抜きんでていてもそれは授業としてはだめである。それが他にも波及することで教育的に評価できる。この授業の場合には、彼女一人ではなく、次々に豊かな発想が生まれていく連鎖が起こったようだ。受講生自身は自覚していないかもしれないが、それを読んでいる私にははっきりと見えた。こうした現場を見ていると、学生や初学者の可能性は無限なのだと思う。

彼女の夢を読んだ数日後に、ポケモンをテーマにした遊園地「ポケパーク」が台北で開催されるという記事を読んだ。これが成功すれば、今後世界各地で展開するようだ。遊園地が移動するという発想は、彼女の夢につながるが、過疎地域の学校施設を利用して、そこに役者養成学校を結びつけるという発想は、はるかに先を見ている。早めにビジネスモデルの特許を取得した方がいいかもしれない。

この夢を彼女自身が実現するのかどうかはわからない。他の学生もどうするのかはわからない。しかし、思いっきり背伸びした夢を考えると、さらに夢がふくらんでいくことは間違いない。私もそろそろ自分の夢を考えないといけない。突拍子もない夢を。

 

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ゼミ生は、私の研究を育ててくれる

言語表現ことはじめ

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  • 作者: 筒井洋一
  • 出版社/メーカー: ひつじ書房
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本
自己表現力の教室

自己表現力の教室

  • 作者: 荒木晶子,筒井洋一,向後千春
  • 出版社/メーカー: 情報センター出版局
  • 発売日: 2000/04/05
  • メディア: 単行本
  • 購入: 4人 クリック: 27回

 大学教育を専門分野にしながらかっこ悪いのは、なかなかゼミの運営がうまくいかないことである。

教員から言わせれば、学生のやる気が欠けていることであり、ゼミ生から言わせれば、教員に対する個人的嫌悪感や意図が不明であることという対立がいつも起こる。対立を解消しようとして個人面談を実施してきたのだが、本来相談すべき学生はまず来ない。しかたなく、来た学生(比較的前向きなタイプ)だけと個別に話しあう。面談では、個別の改善策が浮き上がってくるのだが、それを元に他のゼミ生と議論しても、それ以上の発展がないのであまり改善されない、という悪循環が続く。

こういう話し合いを、あまり知らない人とするならば、比較的楽である。しかし、ゼミ生だと、まあ、親代わりなので、逆に難しい。おそらく第三者のコーディネーターが間に入れば適切にアドバイスをくれるだろうが、それはあっても実践するのは当事者なので、結局はその工夫と努力が求められる。

その一方で、非常勤で日本語表現論を担当させて頂いた受講生とは比較的うまくいった。五年ぶりの講義だったので、講義自体は不満の残ることが多かったが、受講生が提出したレポートがすばらしかった。自分の夢を実践するということで、レポートを書いてくれたのだが、どれも面白い。むしろ、普段は考えない突拍子もないアイデアを真剣に考えてくれたのは感動した。お世辞抜きにして、いい学生達だった。こういう感動は、単発の講義であるからということも大きな要因だが、教師と学生の歯車があった、いや、今回の場合は、学生の能力の高さに助けられたのだと思う。ありがとう。

再びゼミに戻るのだが、妙案はないのかなあ。

私は、教師である以上に、研究者としてや人間として、たえず新しいことに挑みたいと思っているので、その乗りでゼミ生も行ってほしい。しかし、多くのゼミ生はそうはならず、大学になじめない、辞めようか、何をやってもわからない、現状から逃げたいなどで悩んでいる。

ユニバーサル化した大学なので、こうした学生の悩みに対処することは不可欠であることは重々わかっている。しかし、ほとんどがこうした悩みばかりというのはつらい。面談した夜やその時期は本当に不機嫌になる。夜も寝られない時もある。そこで、そういう時は、今後の研究についての仕事で夜なべすることにしている。結果として、こういう教育と研究の融合が成立することで、最後の一線で気持ちが維持できているのだろう。

別に青春ドラマのような教師と学生の感動的な体験を求めているわけではない。ただ、どうせ自分が生きている人生なので、悩む前に、動き出したら楽しいよ、ということがわかってもらえれば十分なのだ。

みなさんの悩みのおかげで、私の研究が進むという大変ありがたい状況です。

上の本はおかげですくすくと育っております。私をさらにいっぱしの研究者に育ててやってください。

そう考えると、すこし気が楽になった。

でも、みなさんの悩みが改善すればもっと進むはずですよ。

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