まとめと仕込みの時期

普段できるだけ風邪を悪化させないようにしている。学生には「これさえできればもう人生の一人前」と言っているのだが、本人が数日前に悪化させてしまった。幸い講義期間が終了したので、学生に及ぶことは最低限に抑えられたのが不幸中の幸いだった。悪化させないで仕事ができるすばらしい仕事師達を知っているので、まだまだ未熟だと思う。

卒論査読、期末試験の成績、来年度の講義シラバス作成などが重なりつつ、新しい研究依頼もいくつかいただけそうだ。そのうちの一つは、かつての研究パートナーとの「リユニオン(再会)」となりそうなのだが、他の方に比べて私の得意分野とは一体何だろうかと迷っている。たしかに「大学教育、メディア、NPO、インターネット教育」が私の専門分野だ、といつも言っているのだが、一つの分野における自分の立ち位置の弱さを痛感する。ご迷惑をかけないように、新しい試みに挑戦したい。他にもいろいろ話が舞い込んできているが、それはまた形になり始めたところで紹介する。

来年度の授業体制についても、関係者と前向きの協議に加わらせて頂いているので、以前とは比べものにならないほどやりがいがある。来年度のある関連講義について、さらに仕掛けたいと思っている。初めは過去のこともあり、側面支援程度で行きたかったが、どうせ前向きに考えるならばいつまでも側面でとどまることもできない。そこで、こちらも腹をくくって議論に入っていくと、次々に話が展開していき、どんどん話が大きくなってくる。するとまた面白くなってくる。正の連鎖のすばらしさだ。

「もしうまくいったら」を考えないでおこうと思ってもどうしても考えてしまう。ついには、ある評判だった非常勤講師の方をなんとか口説こうとしている。この方の期限は終了したのだが、それを越えるだけの価値があると判断したからだ。幸い他の方も賛同してくれているのが心強い。これに学生のパワーも絡ませようとしたのだが、これはうまく行かなかった。

しかし、いずれしても、彼に書くメールでは、私の心を込めた気持ちが自然に文字に変わっていった。文章や文字に力があるのは、それは作者の気持ちが籠もっているときである。相手の姿形を思い浮かべ、彼の講義を想像し、彼の職場の状況と彼の予定もすべて私が書いた文章の中に含ませたつもりだ。

ことばは無力の時も多々あるが、私は逆を信じて書いていたい。この程度のことを書くのに大げさすぎるかもしれない。しかし、大げさであっても、今、この時に、私が生きて、他の人間とのつながりを表現することができずには、何も進めないと思っている。

こういうタイプの人間は、やはり「読む」や「読み解く」ではなく、「伝える」か「つながる」なんだと思う。

「話す」「書く」「伝える(つながる)」だったら、新しいことができそうな気がするのだが、バランスの悪さが気になる。でも、それだと私の気持ちとしてはすっきりする。

詳しくはまた決まってからお伝えするが、年度末のまとめと、新年度の教育研究の仕込みの真っ最中である。ここまで書いて、実は微調整して提出すべき原稿を送っていないことに気づいた。「共有することば」という思い入れのあるタイトルを泣く泣く変更することになるので知らず知らずのうちに遅れていたのだった。でも、いつの日かの「リユニオン」を期待して。もうこれはあきらめることにしよう。

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学生の底力ー体験の持つすごさ

後期期末試験、入試と続く中で、提出された卒論の中で優秀論文を選ぶ作業をした。

私はこの大学でははじめての卒論を担当することになったのだが、多くの卒論はわれわれの時代同様、お世辞にも学術的にも意味がある作品は少ない。けれども、推薦されてきた卒論の中で優秀な作品を選定する作業は素晴らしく楽しかった。選考委員の評価も完全に一致した。

最終的には三つの作品が残ったが、そのうちの二作品は自らのことをさらけ出すという内容であった。さらけ出すというと、感情的な表現が多用されているように思えるが、むしろいずれの作品も感情が抑えられている。しかし、抑えられた感情とはうらはらに内容は衝撃的だ。

一つは、自らの病と向きあいながら、それを語る学術文献をフォローしつつ、自らの病と趣味とを重ね合わせて、最後に自らの体験を語った。もう一つは、十年以上もの間、同人誌の世界に棲む若者の世界を冷静な筆致で語る。

いずれの作品も冷静さとは裏腹に、あまりの独特の世界であるがために、ためらいながら読んだ。しかし、いったん読み出したら著者の筆致から逃れることはできず、一気に読んでしまう。その世界を描く筆致は重すぎず、かといって軽すぎることもない。

作品はまもなく卒論集の巻頭に収められるので、詳細はそれまでお待ち頂くことにしても、選考委員の中で一致したのは、体験の強さである。卒論というきわめてアカデミックな作業においては、学術文献を読み込む作業が不可欠になり、先行研究に対する分析をすすめた後、結論的に筆者の知見を提起するという形式を踏む。その場合のテーマや対象は自らと離れたものとなる場合が多い。

しかし、そうした作業の重要性は否定しないが、読者に対して挑みかかってくる作品はそれではなかった。これは先行研究の分析という作業よりも、自身の体験を語る方が一歩先んじていることを意味している。

体験が学問を凌駕する、ということである。

体験がすべてだとは言わない。しかし、ここでの筆者の語りは体験、あるいは当事者でなければ語れない内容であった。これらの文献は、それぞれに分野において先駆的な体験報告として強烈な刻印を残すことになるであろう。この大学の学生もあなどれない才能を持っていることを痛感した。

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そろそろ学会報告の申込です

 5〜7月は学会シーズンだ。

日頃の研鑽成果を報告する場所なのでできるだけ報告したいと思っている。だが、あまり仕事が早いほうではないので、気持ちはあっても内容がない場合はスキップしてしまう。そうならないためには、まずとにかく報告申込をする。

現在は学会報告申込の時期である。いろいろの学会に異なる内容の報告をするのだが、私の場合、学会誌に投稿したい論文を書く場合には、異なる学会や研究会でテーマはよく似ているが、視点が違う報告をしている。聴衆や分野の相違によって反応が違うので、有益なコメントが来ることが多い。

学会は参加するだけの場合には、あまり得ることはない。

もちろん、シンポジウムや個別報告で素晴らしいものに出会うこともあるが、やはり報告してこそ他のいい報告の価値がわかるものだ。自分が報告して、反応がよければ参加者が質問しに来たり、名刺交換をすることができる。参加者は私の報告を聞いているので、よけいに話が弾みやすい。参加者の質問に答えるときには、正直うれしいものだ。たとえ勉強不足が露呈したとしても、それは今後改善すればいいからだ。

報告すれば、次は学会誌などへの投稿する段階に来る。

研究する→ 学会・研究会で報告する→ 学会誌への投稿や本を出版する→ 今後の研究課題が見えてくる

大学教育、インターネット、NPO、メディアなどの分野すべてでこういう循環を崩さないでしっかりと取り組んでいくことが私の課題だし、そうしていることが大変だけど充実感がある自分を見いだせる。

さあ、今年も始動だ。

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マエキタミヤコさんがやってきた。

マエキタミヤコさんのお話をダウンロードする

今日は、いろいろのお祝いが重なった記念すべき日だ。

  1. マエキタミヤコさんの授業があったこと
  2. 初めてビデオ・ポッドキャストを試したこと
  3. ブログを書いて一周年を迎えたことである。

1.ホワイトバンド特定非営利活動法人:ほっとけない 世界のまずしさ | Global Call to Action against Poverty主催者のマエキタミヤコさん

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が、精華大の講義に登場してくれた。といっても、テレビ会議を通じてだが。

テレビ会議になった経過は省くが、彼女の話で面白いことがあった。

ホワイトバンドやキャンドルナイトなどの大規模なイベントを開催するにあたって、知り合いや意見のあう人同士だけでの活動ではなく、むしろ意見の違う、場合によれば、対立する人同士が一緒に取り組むようにしたとのこと。

この考えは、言うがやすく、行うが難しだ。特に、エコロジーとか、貧困問題とかは利害の対立があるだけにたやすいことではない。でも、彼女たちはそれを実現したのだ。

もう一つ面白かった話は、彼女がどうしてこうした活動に関わったのかである。これは、受講生からの質問に答えたものであったが、こうした活動に関わったのは、単に友人から頼まれたから、とのこと。

また、なぜ広告会社に入ったのかと聞かれて、親にどこかに就職しろと言われたことと、友達の面接について言ったためで、コピーライターという職業も入社してからはじめて知ったとのこと。

どこまで本当かどうかは別にしても、要はあまり大上段の動機を持って行動するのではなく、何気ない中で自分に合う動きを見つけるのが得意なのだろう。それがまた、大きな動きへと発展する面白さを見せてもらった気がした。

2.ブログをはじめて一周年記念日。

昨年1月21日からはじめたのだが、よく続いたものだ。

最初はできるだけ毎日書こうと思ったが、私の書く内容は、何かのイベントや行動したことを書くことが多いので、書く間隔は無理しないでおこうと思ったら続けられた。

もっとも、そもそも私には日記は合わないと長く思っていた。知り合いが10年間も書き続けていたり、中身の濃いテーマを扱ったりしているのを読んで、酒飲みで、長寝の私にはとても無理だと思った。

しかし、書き始めると、ブログは行動日誌にもなるし、その時々の発想を書き留めるので仕事のネタにもなることがわかり、やめようとは思わなかった。今後も続けていこうと思う。

3.初めてビデオ・ポッドキャスティングを発信です。

マエキタミヤコさんのテレビ会議を通じた授業風景を動画でお届けします。

収録映像を無編集でお届けします。音割れとかはありますが、臨場感が高まります。

iTunesで見られますが、Webからはうまく聞けないかもしれない。聞けない理由は不明。もう少し経験を積んだら判明すると思います。

ポッドキャスティング発信のためには、ファイル形式がMPEG4であることは知っていたが、動画ファイルのMPEG4変換と動画対応iPodへの対応がよくわからなかった。私自身は動画対応iPodを持ってないのですが、こういう試みは早めにした方が面白い。

大音響で聞いて下さい。私の声は無視して下さい。

マエキタさんには、

  • ホワイトバンドや100万人のキャンドルナイトの説明やNPO団体サステナの活動紹介
  • ホワイトバンドをめぐって、その活動が発展途上国や団体への寄付ではなく、キャンペーン中心のアドボカシー活動であることに批判が出ているが、それに対するコメント

の二点を語ってほしい、とお願いした。

その彼女の説明がなかなかいい。それは動画を聞いて頂ければわかる。説明後、受講生二人との質疑応答をして終了した。

記念すべきビデオ・ポッドキャスティング第一回にマエキタミヤコさんが出て頂き感激です。

それにしても、画質が悪く、さらには音声が小さいと思われるでしょう。それに関しては申し訳ない限りですが、その顛末については、最後をお読み下さい。

ともあれ、リアルタイムの感覚を少しでも感じてもらえればありがたい。

今日の配信は、こうした三つの記念日を兼ねた特別号であった。

f:id:ytsutsui:20050830113753j:image

本来はここで終わりなのだが、テレビ会議の準備には大変な苦労したので、もしお暇ならば、その経過におつきあい下さい。

数日前にテレビ会議(iChat)を実施して、本人に登場してもらおうと思った。しかし、実現が危ぶまれたし、不安材料も多すぎた。それを箇条書きしてみると、

  • Mac OSがマイナー・バージョンアップ(10.3→10.4)して以来、学外と学内がつながらなくなったので無理だろうとシステム管理者から言われた。実際に私の自宅と学内から試したらつながらなかった。
  • 当日、情報館スタッフが別イベントで全員出払っているので、現場サポートがなかったため、私一人でするしかなかった(専門家がいない不安ほど恐ろしものはない)。
  • マエキタさんもこれまでiChatを使ったことがなかった(これは失敗しやすい典型的パターン)。
  • ゼミ生を含めて、学生は誰もやったことがないので助けにならない。もちろん、教員も。教務課の松井さんは手伝ってくれたが、テレビ会議以外のことになる。
  • テレビ会議の模様をデータ保存したいのだが、うまくいかない。
  • iCahtがだめならば、顔は見えなくても、音声電話(Skype)で声だけでも伝えようと思った。しかし、原因不明の雑音がひどくてとても使えない。マエキタさんもSkypeは初めてであった。
  • インターネット回線はあてにならない。一昨年秋に、別システムで英国との間でテレビ会議を実施したが、リハーサルではうまくいったが、本番では画像がまったく止まってしまった苦い経験がある。
  • 携帯電話間の交信を試そうと思ったが、やり方がわからない。

前夜にはあれこれ考えていたが、結局寝られなかった。最終的に、うまくいかない可能性が高いということをマエキタさんに伝えようと早朝にメールした。つまり、テレビ会議は無理だ。可能性があるのは音声通話だが、これでもだめな場合は、携帯電話の音声をマイクに流す方法しかない。けれども、うまくいくかはわからない、とメールで伝えた。ほとんどあきらめ状態を伝えたつもりである。

メールした後も、悶々としながら、午前9時から学内でいろいろ情報収集をしたり、情報館で尋ねてみたが、ついに名案が浮かばないまま、目算もないままいろいろ試すが何も前進しない。そして、最終リハーサルの正午過ぎを迎えた。

iChatとSkypeを立ち上げたまま待っていると、突然、iChatでベルが鳴り、マエキタさんが呼ぶではないか。さわやかな声と鮮明な画像が現れた。飛び上がって喜びたいくらいだった。講義の始まる午後4時頃までこのままつなぎ放しにしたいくらいだった。もし一度切って、本番ではつながらなければせっかくのリハーサルが台無しになることを懸念したからだ。でも、マエキタさんは別の仕事があるので不可能だし、実際に途中で切れることとが多々あるので、そういう願いは非現実的だった。次に、マエキタさんとSkypeでの交信をテストしたが、やはり雑音がひどくて使えない。あきらめていたiChat使えたのはうれしいが、Skypeが使えないとすれば、セイフティーネットがない。そうこうしているなかでリハーサルは20分間くらいつないで終わった。

リハーサル終了後から直ちに講義準備だった。

一つは、マエキタさんから送られてきた膨大な資料(VHS、DVD、書籍、チラシ、バンフなど)、特に上映予定のVHSビデオを見た。講義時間が90分なのに、90分以上の作品。その他、DVDなどもある。それを見たら、もう4時前だった。あわてて教務課の松井さんと一緒に会場設営だ。

テレビ会議風景の保存方法について、私が望んでいたのは、パソコン内で表示されているテレビ会議の音声・動画を、

一方で、プロジェクター経由で受講生に見せつつ、

他方でテレビ会議の模様を、最適にはパソコン内に、次善策としてVHSか、他メディアに保存することだった。

これらを満足するためには、映像と音声を出力する端子が二つ必要だった。しかし、パソコンには一つしかない。それを解決する方法は、分岐装置だが学内にない。悩みに悩んだ。でも、解決方法がない。

そこで、しかたなく、プロジェクターで照射された画面をハンディカムで撮影することだった。画質は落ちるがしようがない。けれども、音声がスピーカーから遠い。ハンディカムからケーブルを延長してスピーカ近くにハンディカム接続のマイクを延長するノウハウが私にはない。そこでしかたなく、ハンディカムから50センチ程度のケーブルに接続した外付けマイクで収録したのだった。音声が小さいのはそのせいだ。私の技術力の限界だった。

しかも、マエキタさんの声は比較的大きくても、司会の私の声が小さいのは大失敗だった。無線マイクを使えば良かったのだけれども、音声がハウリングしないかと心配で、結局、地声でやってしまったが、これは後悔している。

いろいろ試行錯誤はあったが、とにかくテレビ会議がつながってよかった。もしこれが失敗したら、講義自体が成り立たなかっただろう。ただ、受講生はこうした苦労はまったくわからない。

確かに受講生としては、テレビ会議がうまく写って当たり前なのだから。それはその通りだと思うが、やはり学生であれば、その苦労を知ってほしいし、それを克服する側に早く立てるように願うばかりだ。パソコンレベルの知識があればいいにもかかわらず、誰もそれを助ける技術力がないのは、いいことではない。早くみなさんが担ってくれることを心から願っている。

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JCAFE浜田忠久さんの語る『インターネットと市民』

浜田忠久さんのお話をダウンロードする

ラジオカフェの例会で、浜田さんがお話しされました。

彼が講演するのが決まったのは、昨年末に龍谷大学松浦さと子さんがたまたま彼と連絡されていたことからだった。

前日に、広島におられるので、東京に帰るまでに一泊京都に来てもらえないか、とお願いしたところ、ご家族連れでフォーラムに参加してもらった。

司会は、筒井が担当しました。最初に私の話からはじまります。

話の内容は、

「市民メディアの可能性ーインターネットと市民」というテーマで以下のような順番でお話しになった。

1.JCAFEの理念・活動

2.NGOとグローバル・ガバナンス

3.世界情報サミットにおける市民社会

4.これからの市民社会に向けて

情報をテーマにした国連の初めてのサミットであるが、当初は、先進国と発展途上国とのデジタルデバイドなどの解消という話が次第に拡大して、セキュリティー、サイバー犯罪などと広がり、技術者中心の会議で、他のステークホルダーがあまり関与しない中で、自由や人権を狭める方向で議論が進んでいることに懸念を示された。

最後に、こうした一見すると、一般の人々には見えにくい問題をさまざまな場所で取り上げることで、イシューとして議論する努力をラジオカフェはしてほしい、との要望をされて報告が終わった。

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1月13日(金)講義に対するコメントに答えて

前回ゲスト講師として講義の半分を担当させて頂きありがとうございました。そして、私が意図した講義の場合、みなさんの協力および参加なしにはまったく進まない形式だったため、あらためて皆さんに感謝を申し上げます。ただ、講義内で作業が完了できなかったことを悔いています。

私の講義に対して、コメントカードに29名の方が感想を寄せてくれました。また、講義後には、私のブログにコメントやトラックバックを書き込んでくれた学生、直接メールを送ってくれた学生が数名いました。ありがとう。

私の言いたいことは、簡単です。

これまでの社会メディア論の講義で、みなさんは十分の知識を得、メディアや社会を解釈することができるようになりました。そうした知的な頭脳を獲得したみなさんがすべきことは、実践に乗り出すことです。幸いにも、みなさんが実践に乗り出すことは、非常に簡単になっています。それはデモでお見せしました。

学者であるわれわれ教員は、必ずしも実践に乗り出さなくても別の形で社会に貢献できることができます。しかし、みなさんは、違います。知識と解釈方法を手に入れたからには、それを実践の中で検証することが必要です。

そのために必要なことがあります。

1.携帯メールだけのつきあいから脱却しよう。

携帯メールは、友達だけとのつきあいです。チャンスを得、大きな仕事は、友達以外からやってきます。みなさんがチャンスを得るためには、PCメール、つまりパソコンを使ったメールが主になり、携帯は従になる習慣が必要です。

2.現状に対する不満を言うよりも、自らが現状を変える方が重要。

講義や大学が面白くない、よくない、という批判の声を上げることは重要です。しかし、それ以上に重要なのは、それを自らが変える努力です。みなさんにとって、自分の努力抜きに、他人を批判することはではありません。自らそれを変えていくことに意味があります。変えようと思えば、きっと変えられます。われわれ教員や大学は、それに対する支援を惜しみません。

3.皆さん自身が思ったことを直接相手に伝えることです。

たとえば、私の講義に対する感想(面白かった、やらせだ)は、コメントカードに書くだけでなく、直接私に感想を伝えるとか、PCメールを送ればもっと効果があります。特に、誉め言葉の場合には、直接伝えてもらうと、私は舞い上がるほど喜びます。講師と受講生との関係は、もっと直接的である方がいい。みなさんの一声が大学や社会を変えることができるのです。忘れないでください。

以下、個別質問に回答します。

Q:ブログやポッドキャスティングのことを知らなかったので、楽しかった。

A:講義では、ポッドキャスティングの制作だけをして、それを発信する仕掛けについて  はまったく扱っていません。それを含めて、以下のサイトを参照下さい。

http://www.voiceblog.jp/

http://www.podcastjuice.jp/

http://podcastnow.net/blog/

Q:音楽がコンピュータで作れるのは驚いた。でも、やはり人の頭で作った方がいいのではないか。

A:この質問は、映画でCGか、実写のどちらがいいのかと同じです。それぞれに長短がありますが、どちらもいいです。ところで、みなさんが聞いて感動している音楽は、コンピュータ処理なしには、商品として流通する高品質の楽曲は作れません。要は、コンピュータ処理を否定するよりも、みなさんの心に響く音楽を作る努力をする方がいいと思います。

Q:ポッドキャスティングが流行すれば、ラジオ局がつぶれるかもしれない。

A:いや、逆です。これなしにはラジオ局はつぶれます。つまり、ラジオ局の放送は、特定時間に流れた放送を聞かなければ聞けません。しかし、ポッドキャスティングの場合、あらかじめダウンロード設定をしておけば、放送時間に聞かなくても、後から聞けます。

しかも、ポッドキャスティングの場合、放送中に楽曲・アーティストサイトに行って、情報を得たり、別の曲を購入することができます。さらに今後は、番組中のCMも流せるようなるでしょう。こういう音声放送のノウハウを一番持っているのは、ラジオ局です。かれらは今一気に乗り出しています。

けれども、ラジオ局がどうなるかよりも大切なのは、われわれ市民・学生が自由に発信できる仕掛けができたということです。ラジオ局や通信企業などが本格的に乗り出すまでに、われわれ市民が先に走り出すことです。へたでもいい、思いっきり冒険して見て、プロよりも先に行きましょう。

Q:ポッドキャスティングによって良質の作品がいっぱいできたらいい。

A:作品を作るのは、あなたです。最初はへたでもいいですが、そのうち向上すればいいのです。あなた自身の実践が求められていますよ。

Q:先生と私たちが一体? って感じがした。「授業はライブだ」が本当にあっていいと思う。

A:この形式は、みなさんの協力なしには成功しません。一方だけが「好きだ」と言っても、他方が「嫌い」ならば恋愛は成立しないでしょう。それと同じ。ライブの授業は、通常の講義と比べて、かなりの事前準備、ノウハウ修得、トラブルに対する瞬時の対処などかなりの手間がかかります。事実、トラブルが起こったので、講義中に編集が完了しなかったのです。こうした準備を担える学生が、残念ながら、この学科の上級生にはほとんどいません。みなさんの中から生まれてくれることなしには広げることは難しいです。

Q:人間は、ネットに入り浸っても、所詮は生き物である。ポッドキャスティングの流行は、生き物であることの感覚の再取得ではないか。

A:その通り。ゲーム、チャット、掲示板では、本来の自分と異なる自分が可能となるが、それだけで生きられるわけではありません。ネットの世界は、架空ではなく、現実世界の人間との対話を求める道具となればいい。

Q:先生は、ブログを試さない人はだめだと言ってたけど、ネットにはまって世界が狭くなる。実際に会わない人と友達になるよりも会うことを大切にしたい。

A:ネットにはまることを危惧するのはよくわかります。でも、はまるならば中途半端なのが一番いけない。最近は、オタク市場が海外にも波及して、その市場の中で生活が可能になっています。ただ、その市場の中でただ消費するのではなく、オタクを喜ば  せるビジネスとか、仕掛けとかを実践して、現実世界との接点を極端に少なくして自らの収入が成り立てばそれも立派な人生です。私は、ネットの世界は、現実世界の人々とのつながりを広げる手段でしかないのですが、そうでない学生も多い。それを嘆くよりも、やるならば徹底的にやれ、そして生きていく可能性を見つけろ、といいたい。

Q:私もブログやポッドキャスティングに興味を持った。やり方を教えてほしい。

A:こういうのは大歓迎です。でも、まずは既に紹介したサイトで勉強しましょう。ある程度試してから、聞きに来てくれるとうれしい。

Q:メディア好きな自分にとって、筒井さんの講義は面白かった。

A:ありがとう。でもねえ、私が言いたいのは、発信者や制作者は、見る人よりもかなりの努力が必要だと言うことです。アニメ、音楽、映画などの作品は、制作にはとても時間がかかります。良質の作品を作るためには、その努力が必要です。Yahooのサイトを制作する側は、絵もカラーもないコマンドだけを操作して、きれいなサイトを作り上げます。私はこうした努力をする制作者にみなさんがなってほしいと思っています。それをわかってください。

Q:筒井さんの講義は、メディアの発信は、現在の自分たちでもできるんだということを教えてくれた。

A:はい、そのとおりです。でも、発信する場合には、より広い人々に、あなたが努力した内容を伝えてください。内輪向けの自己満足ほどつまらないものはありません。

Q:出欠をメールで取ると、セキュリティー(排除)のデータベース化とつながる。

A:この意見の意図がわかりにくいのですが、メールに限らず、ネットにつながることはある意味で自分の情報を相手に伝えていることになります。もちろん、外に出したくない個人情報は流さない工夫が必要ですが、情報がネットに流れれば、データーベースに蓄積されることは避けられないです。みなさんが普段使っている携帯電話や携帯メールも蓄積されていますので、出欠だけを例外視するのはバランスが取れてないと思います。

Q:筒井さんの講義はいつもこんな講義なんでしょうか。

A:いいえ、普段はごく普通の講義です。ライブ講義は、学生やサポート部隊が完璧に支援してくれるならば可能ですが、一人では無理。サポート部隊が不可欠です。

Q:筒井さんがやっていた楽曲の作成が面白そうだ。

A:私は今回の講義のために、始めて楽曲作成ソフトを使っただけで、今でも不得意です。むしろみなさんの方が得意でしょう。

私は、以下の専門家を求めています。学問やイベントのデジタル裏方、デジタル体力派、読書家などが集まれば、時代の先を行くことが可能です。

私は時代を創る人になりたいし、みなさんもそうあってほしい。

以上、コメントしました。ありがとうございました。

私のサイトは、

Web     http://www.kyoto-seika.ac.jp/tsutsui/

Weblog   http://d.hatena.ne.jp/ytsutsui/

Podcasting http://www.voiceblog.jp/tsutsui/

です。

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社会メディア論の講義をライブにした

社会メディアはライブだ!

音声ファイルは、上記サイトにある

京都精華大学人文学部社会メディア学科一回生向けの必修講義「社会メディア論2」に私がゲストで登場することになった。これまでこの講義は、担当教員の講義だけであったが、受講生にもっとメディア制作に関心を持ってもらおうと、ライブ形式の講義にした。さてうまくいけばいいですが、うまく行かなかったら、どうしようか。

講義シラバスは、以下である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ネットの世界は、発信することが楽しい

1990年代半ば以後の市民像の転換         

 メディアに振り回されながらも、同時に自らメディアに働きかける存在である 

          ↓

 制作者(発信者)と受信者との格差が小さくなった      

   例:テレビ局、新聞社、ラジオ局、、音楽配給会社、本・雑誌出版

      従来は、多額の資本と専門的な知識と経験なしには不可能   

      コンピュータ・ネット技術の低廉化・容易化になり素人でも

      発信可能に

     「理論を頭に入れて、体で実践すること」

   音楽配給会社、出版会社、新聞社、ラジオ局、テレビ局をデモを

   交えながら実践する

1.音楽配給会社ー楽曲の作成ー

   プロの音楽はわれわれを楽しませるし、完成度が高い。

   しかし、今日、初心者でも音楽を作ることができる。 

2.出版会社ー本をオンラインで出版する

  Webサイト

   見る側ではなく、作る側はどういう努力をしているのか

    htmlの例  Yahoo

     制作者は、タグを駆使してサイトを作っている 

3.新聞社ー記事を新聞のように発行する

   ブログとは、

   「最新の記事を時系列にそって最速で更新できる媒体」

                ↓

   ブログ、日記などのユーザは飛躍的に増大している

   ブログを、新聞やテレビを補完するものとして利用する方法

    「ブログジャーナリズム」

     「きっこの日記」

    http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

3.ラジオ局ー自分の好きな音声を発信したい

  ポッドキャスティング

   ライブ編集 講義をポッドキャスティングで発信する

   音楽を流している間に、イントロ、インタビュー、講義内容、

   受講生の音声をミキシング

4.テレビ局ー現場の映像を流したい

   ビデオポッドキャスティング   

    ポッドキャスティングに映像を加えたもの

    現場の臨場感がより伝えやすい

5.結論

   メディアを利用する際のポイント

    +自分独自の視点や内容を伝える(表現の伝達)

    +相手を意識する(他者の意識)

    +相互に高めあう(グループワーク)

  われわれが、マスメディアと同じように、情報発信できる条件は既に完備

  受信側からの実践こそが、一番重要

6.携帯メールは講義に活用できるか

以上。

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新年おめでとうございます。来年以後の年賀状はやめようと思います。

 新年になったのにまだページの更新をしていませんでした。

年賀状を出すかどうかを毎年悩むのですが、来年以後は徐々に年賀状をやめていこうと思います。

やめる理由の一つは、年末に賀状を書かないといけないということがあるのですが、それ以上に賀状では不都合があるからです。それは、賀状だとあまり多くのことを書けないからです。紙面の限られたスペースに、相手に対する思いと、自分の過去の振り返りと今年の抱負などを書ききれないからです。もう一つは、賀状ではインタラクティブなやりとりができないという不満です。賀状を読んで再度手紙を書くのもやりにくいし、行き違いになる可能性もあります。

もちろん、年賀状という貴重な習慣も捨てがたいですが、私の悪筆を解読する手間を掛けさせないという安堵感もあります。

ただいま取り込み中ですので、私の昨年の取り組みと今後の抱負を書くことができません。後ほどアップさせて頂くことでご容赦下さい。

 それでは今年がよい年であるようにお祈り申し上げます。

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ひつじ書房が三年連続で新村出賞受賞

今年私が本を出させてもらった「ひつじ書房」が新村出賞を受賞した。同賞は、国語学・言語学分野で顕著な成果を出した書籍に贈られる賞である。これで三年連続の受賞者を出した。出版社代表の松本功さんを朝日新聞が取り上げているので、詳しくは以下を参照下さい。

http://www.hituzi.co.jp/isao/press_hituzi20051224.pdf

ただ、松本さんの素晴らしいところは、こうした堅実な出版活動に止まらないことである。同時に、90年代初めからインターネットに対応するという目先が利いており、図書館運動やNPO活動への関与など積極的な社会活動を実践されている。実は私が本を出させて頂いたのも、NPO学会やネットでの活躍を知っていたころから、日本語表現に関する本を出さないかというお誘いを受けたからである。

たしかに言語学の専門出版社という知名度は既に得ているが、それだけでは経営的にも不安定である。そこで、松本さんの社会に対する関心も出版活動と結びつけようとしているし、このことは必要な動きであると思う。松本さんの意思を生かすためにも、私なりにも出版活動に協力することで貢献ができればと思っている。

まずはおめでとうと言いたい。

今後とも新たな意欲を喚起して、フロンティアとして取り組んでもらいたいものだ。

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戦場からの手紙と私

過日、イラクに滞在する友人(民間人)からメールをいただいた。

治安の乱れが続くイラクで、人々が自分とその周辺を守るのが精一杯、というやるせない現状を短い言葉の中で印象的に伝えてくれた。

日本にいる時のその友人は、仕事に対してはとても厳しいが、それ以外ではとても丁寧で優しい表情を絶やさない。イラクでもきっと同じなのだろ思うが、それにしてもあまりにも過酷な状況に飛び込む勇気には敬服する。(子供の頃には、同じように海外ジャーナリストを職業にしようと思っていた私だが、結局、夢で終わった。)

ただ、そうしたメールをいただいた私の方は、正直言って戸惑った。

もちろん、メールをいただいたのは大変うれしかったのだが、彼我の環境の違い、そして私が安逸な環境にいることへの申し訳なさを感じて、しばらく返事ができなかった。しかし、それを知りつつもメールを送ってくれた友人に対して、お礼の返信を送ることで少しでも心が安まるとすればありがたいと思い、数日後に返信した。

だが、心の収まりはよくなかった。ここ10年間、風邪を引かないよう養生していた私だが、今年は咳が二週間止まらなかった体調の悪さも作用していたのだろう。

そこで、学内の仕事もきりがついて少し落ち着いたところで考えた。もし私が友人に対して負い目を感じてそれを克服したいと思うのであれば、それは自分自身の仕事で返すことしかない、と。よく考えれば、私が負い目を感じるかどうかとは無関係に、友人はたくましく仕事しているであろうし、それをイメージしながら、私は私の仕事に精力を向けることが唯一の道だろう。そして、元気に帰った来た友人と再会して、その活躍を聞く時には、私は充実した仕事をしていたい。

そう思い出すと、ようやく前に進み出した。

たとえ、私が不勉強な学生をしかりつけても、学者としての私が不勉強であればその怒りにはどういう意味があるのか。あるいは、私が社会の不正や腐敗を嘆いてみても、学者として不勉強であればどういう申し訳が立つのか。

日本語表現という新しい分野に関わって10年以上が経った。現在、その総括と共に、今後の方向性についての議論が始まりだしている。常に先端にいることが私の役目だと思うが、近頃、その役目を忘れていた。

戦場からの手紙を受け取った私は、友の事を考えながらも、その友を迎える私自身を喚起することへと行き着いた。

改めて友に感謝したい。

 

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