機器の設定と講演会

明日から、学会がはじまるので、今日はその準備以外は時間を空けた。

そういう時には、懸案を片づける時期だ。

一つは、今度、IP電話を導入しようと思っているが、FTTH+複数台の無線LAN+複数台の有線LANをどう実現するかだ。

接続経路は、

FTTHモデム+IP電話モデム+無線LAN基地

だが、プロバイダー、モデム業者、基地のそれぞれがメーカが異なるのが難題だ。少し高度なことをしようとすると必ず起きるのが、異なるメーカ機材の接続である。ソフト連携の問題とハード的な相性問題が関わる。それぞれに電話をかけて、相互間での接続を可能にすることは何度電話してもなかなか解決しない。本日は、4時間以上も電話で応対したが、最終的にはハード的な障害として、自宅修理するとのこと。サポート側も私も忍耐の産物である。

夜は、夜回り先生「水谷修さん」の講演会を聞きに行った。

大変な人気で会場および別室も一杯で、一階ロビーにようやく入れた。1000人はたっぷりいただろう。この間、テレビでなんどか彼の講演を聞いたが、声を張り上げるわけでもなく、時々、聴衆の対象に分けて、質問をするという方法は、ほとんど変わらないのだろう。また、話題も薬物に対する知識のなさで死なせてしまった生徒の話、夜間高校に就職したきっかけなど基本は変わらない。

ノートも見ず、途中で考えることもなくよどみなく話しを続ける手法は、なかなかまねできない。テレビで見ると、いつも一人で取り組んでいるように思って心配していたが、若者の協力者もいるようで少し安心した。体調がすぐれないことを承知で突っ走る姿は、若者を死なせないための一心だろうが、自らの死を早めているように思える。講演の最後に、「水谷は一人ではありません。すべての大人の中に、水谷がいます」という言葉はその通りだが、心配。でも、われわれができるのはやはりこれを自ら実践することだろう。

学生が努力してハードルを越えるようにいかに持って行くか。まずハードルを越えて欲しいと思うのは一方的すぎるのかなあ。

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大島さんから本をいただいた

先日、他大学で一緒に報告した大島弥生さんから献本してもらった。

ピアで学ぶ大学生の日本語表現・プロセス重視のレポート作成

ピアで学ぶ大学生の日本語表現・プロセス重視のレポート作成

  • 作者: 大島弥生,池田玲子,大場理恵子,加納なおみ,高橋淑郎,岩田夏穂
  • 出版社/メーカー: ひつじ書房
  • 発売日: 2005/03/03
  • メディア: 単行本
  • クリック: 2回

彼女の講義実践報告を聞いているだけで、彼女が他の担当者と一緒に密接な議論をして、ピアレスポンスという方法論に裏付けられた講義をされていることがよくわかった。そのテキストを読んで改めてその意を強くした。

構成は以下である。

  • 講義のねらい
  • レポートの形式
  • アイデアのまとめかた
  • 構想のまとめ方
  • テーマの絞り込み
  • 文章の組み立て
  • パラグラフ作成
  • 本文作成
  • 引用の方法
  • 発表の方法
  • 学んだことの振り返り

最後の課題シートまで添付されていて、至れり尽くせりの内容である。

私はこれを来年度の講義で使おうと思っていたので、これで安心だ。

私の『言語表現ことはじめ』は、FDや講義開設にあたっての必読書で、大島さんの本は講義担当者にとっての必読書である。二冊まとめて揃えると、これで鬼に金棒である。

言語表現ことはじめ

言語表現ことはじめ

  • 作者: 筒井洋一
  • 出版社/メーカー: ひつじ書房
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本
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署名でも協力頂いている

メールの署名は、その人の一端を表している。パソコン通信と違って、インターネットの世界では本名でのやりとりが原則であるため、よけいに署名が重要である。

ところで、先日、出版社から日本語表現法の歴史と展望について本を出したのだが、そこにこの分野を開拓していくにあたって協力した方々に短文ながらご寄稿を頂いた。この内容はそれぞれの方々の特徴がよく表れていて面白いのだが、先日別件でその一人の方からメールを頂いた。するとその署名には、なんと

    ひつじ書房から出版される筒井洋一著『言語表現ことはじめ』に寄稿

と入っている。ご自分の書籍に並んでであるが、それでもありがたいものだ。著者ではなく、寄稿者であるので、普通はこうしたことは署名に入れないものだが、それにも関わらず明記して頂いたことに感謝している。

そういえば、広告表現技法の石川さんも

   京都精華大学 非常勤講師 http://www.kyoto-seika.ac.jp/

と入れてくれている。こういう肩書きがなくても、彼の場合には十分生きていけるのだが、ありがたいことだ。確か精華大の非常勤講師をお願いする前に、東京の芸術系大学の非常勤の話しがあったようだが、これをわざわざ断ってくれた。広告業界のような彼らの仕事は、時間との勝負なので、京都までの移動はかなりのロスである。

ただ、彼の場合、ホテルに戻った夜中から何時間も会社と電話して仕事しているとのこと。学生には見せないところで仕事するのはさすがだ。こういう話しも何気ない会話の中から判明したのであり、その意味で非常勤講師の方のアテンドをすることはメリットが大きい。

人が知らないところでどれだけ頑張るかが勝負である。

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格差の変化が起こっている

調査で生野区に行った。

以前、焼き肉を食べに来たことはあるが、駅近くだったので店以外はほどんと知らなかった。駅前の商店街ではコリア語も聞こえて異文化との接触を感じたが、商品の値段がとびきり安いという感じはしなかった。駅から少し離れたコリアタウンにも行ったが、そこは韓流ブームで観光客が多かった。

ある施設の職員と話して見た。彼女は兵庫県から通っているとのこと。彼女自身は、在日であったが、高校までは通名で通していたが、知りあいは彼女が在日であることを知っていた。しかし、大学に入学して奨学金を受ける時には、通名よりも、本名の方が有利だと言われて、それ以後本名で通しているとのこと。こうした名前の変化があるが、子供の時から現在まで在日であることから差別された経験はないとのこと。母親は差別を体験しているので不信感は持っているが、自分自身はほとんどないとのこと。

母親の世代から彼女の世代では、在日が置かれた環境に変化があったのだろう。どういうきっかけでそうした変化が生じたのかは興味深い。

在日の問題とは異なるが、ある有名大学に入学する女子学生の話しを聞いたことがある。彼女は、小さい頃から成績がよいため、常に日向に置かれていたようで、女性であることから差別を受けたことがないそうだ。大多数の女性はそうではないが、恵まれた環境の女性はそうではないという格差も出てきているようだ。

人種、ジェンダーの区別だけでは明確にできない状況も表れているのである。

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いよいよまとめに入る

明日から出張で忙しいが、今年度のCB調査のまとめの方向性確認の会議があった。

コミュニティーとビジネスの双方から出発して行き、特にそのなかで前者をどう定義するかが議論となった。以前、私は、コミュニティー軸を「伝統維持的」と「変革的」という区分を考えた。しかし、本日の議論では、CBと伝統的な商いとの区別ができないのであり、両者の区別を意識する必要がない。むしろ、両者を地域循環的なビジネスの視点から考えていけばどうかと話しになった。そこから、軸を「コミュニティー」と「ノン・グローバル」に設定することで次の議論ができるのではということになった。建築、行政学、心理学の専門家の視点からの議論は大変面白かった。

私はといえば、朝から体調が悪く、さえない。直ぐに帰ったが、夜になっても回復しない。明日には戻りますように。

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やっぱり国立大学

昨日、三重大のFD研修会に講師として行ってきた。主催者は、留学生センターと教養教育委員会内のWG関係者である。三重大でも日本語表現法の設置を検討しているとのことで、その設置に至るプロセスと講義内容について報告した。前者は私が、後者は東京海洋大学の大島弥生さんが担当した。

私の報告は、富山大の経験とそれを現在に生かすために必要なポイントについて解説した。こうした報告は、個別大学の事情があるので一般化できないが、既に他の国立大学でも設置していることから教訓を得たいようだ。私の報告はともかく、大島さんの報告は、現在実践されている講義内容を詳細に説明されて、横で聞いている私もよくそこまで系統的に実施されていると思うほど努力されていた。

教務委員長からトップダウンで設置が検討されて、それを受けとめた大島さんが、学内専門教員の参加と日本語教師の非常勤五名の雇用を条件に引き受けた。この条件がなければうまくいかなかったと思うが、素晴らしい。現在の日本の大学では最高水準だと言ってよい。三重大を含めて、他大学がここまで思い切った方策をとれるかどうかは懸念材料であるにしても、独自の努力はあってもいいだろう。

参加者は、関係者ばかりだったが、一人は富山時代の知りあいで三重大に転勤した谷井さんも来てくれた。ありがたい。

でも、FDフォーラムでの聴衆の迫力に比べると、個別大学では物足りない。私の本を買ってくれなかったこともあるが、やはり私立大学と比べて、国立大学特有の待ちの姿勢を感じてしまう。まだまだ危機感が薄いのかも。私学にいる私の方は、そうそうゆっくりしてられないので、ついつい過激な提案をしてしまったが、これは提案しない方がよかったかもしれない。

相手の望むことにこちらが応えるようにしないといけないのかも。

ただ、忘れてはいけないのは、教育面ではまだまだにしても、科研費の申請に関しては業務命令と言っていいほど申請件数が増えている。人文学部でも6〜7割とのこと。しかも、かつての審査委員を務めた教員による書類の書き方講座もおこなわれるとのこと。つまり、「こう書くとだめです」「こう書く方がいい」という具体的なアドバイスである。大手の私学や理科系でも同様の命令が来ているようだが、わが精華大ではまったく無風である。大学の位置づけや方針が違うにしてもここまで違うのは不思議な気がする。

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反応がいい

大学コンソーシアム主催の「FDフォーラム」http://www.consortium.or.jp/consortium/fd/fdindex.html

分科会のパネリストとして報告してきた。他のパネリストは、名古屋大学の中井俊樹さんhttp://www.google.com/search?client=safari&rls=ja-jp&q=名古屋大学 中井俊樹&ie=UTF-8&oe=UTF-8と学習院大学非常勤の奥泉香さんhttp://www.jugyo.jp/sakubun/magazine/12.htmlである。私は、「日本語表現法の10年と学生の学びの支援」と題して、個人による改善ではなく、科目全体で統一した教育改革が不可欠であると話した。

参加者は、8分科会中最大の参加者の200名以上の参加で熱気が溢れていた。

質問者のほとんどは関西地区以外の方である。このフォーラムが確実に全国区になっていることがわかる。報告後さまざまな報告を頂いたが、大学四年間の教育と日本語表現法についての質問は現在はまだ答えられなかった。しかし、最終的にはこれが答えられるように大学教育の実践と理論自体が追いついていく必要がある。

報告原稿の提出は、5月10日だが早めに書き起こした方がいいものが仕上がるので、三重大学の仕事が終わったら取りかかることにしよう。

ひとまず大きなフォーラムでの報告も終わったが、今夜中に書評論文を完成して、明日は大阪・上町台地コミュニティー・ビジネス調査に出かける。アンケート調査なのでちょっと緊張するが、これも自分の頭を新鮮にするために

必要な調査である。

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ようやく知られるようになった

今日、ある大学教育の研究会で、日本語リテラシー担当者が講義について報告した。予想通り、聴衆の反応は鋭く次々に質問が飛んでくる。「もっと聞きたい。もっと知りたい」というメンバーの気持ちがよく伝わってくる。確かにこの講義の実践は全国的にもかなり高い水準を行っている。評価されて当たり前だと思う。

こういう聴衆の反応を見ていると、私が1995年の大学教育学会で言語表現科目について報告した時とよく似ている。10年後に同じような強烈な反応があったということだ。しかも、かなりバージョンアップして。

面白くなってきた。

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二本完成

いや〜、相変わらず、最後はどたばただったが、何とか原稿を仕上げた。

一本は、3月6日大学コンソーシアム京都で開催される「FDフォーラム」

http://www.consortium.or.jp/consortium/fd/fdindex.html

分科会報告資料だ。テーマは、「日本語表現法10年間の歩みと学生の学びの支援」である。

論旨は、次の通りである。過去の振り返りをしながら、日本語表現法は、FD(Faculty Development)の側面と学生の学びの支援という二つの目的があったこと。そう実践の中で、専門家が自分の講義で素晴らしい成果を上げたという報告はよく聞く。しかし、それは教育全体の改善どころか、弊害になることもある。要は、教育システムとして担当教員全員が統一した講義を進めることなしには、全般的な教育改善にはつながらない、と結論づけた。確かにこれは難しいのだが、富山大の言語表現科目と、精華大の基礎演習では体験済みなので自信がある。全国的なフォーラムなので、この分科会は200名以上の参加者で盛会予定とのこと。頑張らないとといけない。


もう一本は、3月8日に三重大学で開催される「アカデミックスキルとしての「日本語表現科目」を考えるワークショップ」で報告する原稿である。テーマは、「初年次教育としての日本語表現法 ー富山大学における言語表現科目の経験からー」である。

こちらは、三重大学での科目新設に向けた学内向けの研修会である。国立大学なので、私学の教員が私学をテーマに話しても関心が落ちるのを考慮したのだろうか。主催者は、前任校の富山大学の例を話して欲しい、とのこと。そこで、当時を例としてあげながら、現在、三重大学で新設するとすれば、どういうポイントを踏まえるべきかを話す予定である。

もう一人の報告者が、他大学で実際に講義されている内容を話されるだろうから、私は、もっと行政的な部分やカリキュラム論を提示することになる。

以上、二つのテーマは一見すると、似通っているようだが、自分の中ではまったく別物である。一つの事象を異なる角度から報告してみて、聴衆がどのように異なる反応をするかを知ることは、次の論文を考える上で役に立つ。ありがたい機会だ。

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携帯メールとPCメール

携帯メールの元はimodeという携帯電話を使ったショートメールである。この発売は、1999年2月のこと。春頃から学生の中で話題になり始め、夏前にはその隆盛が止められない勢いとなった。実は最初の発売は前年の秋だったが、その時には鳴かず飛ばずだったとのことで、再発売でようやく軌道に乗った。

実は、このimode企画者の松永真理さんとは、1999年9月初めにお会いしている。彼女はNPO学会軽井沢セミナーの講師として参加されていたのであり、私は翌日オンラインジャーナル担当者として司会をしている。それはどうでもいい。私が悔やまれるのは、彼女とじっくり話す機会がありながらまったく話さなかったことだ。今となっては残念な気がするが、やはり私は携帯メールとは相性がよくないのだろう。松永さんの話に対する質疑応答でも参加者からは否定的な反応が支配的であった。つまり、講義中に携帯メールを送る学生がいたり、文面が陳腐であるとかだ。私も同意見であった。


私にとっては、出会いのよくない携帯メールであるが、大学生で携帯メールなしの生活はほとんど成立しないと言ってよい。多くの学生は、携帯メールでのやりとりだけで他人とのコミュニケーションが完結している。PCメール主体の学生は少数派である。

別に、携帯メールであれ、PCメールであれ、他人とのコミュニケーションツールを持っていてくれれば、最低限はそれでいい。しかし、携帯メールで完結した生活にあまりにも安住しすぎることは、かれらの将来をきわめて危うくしていると感じざるをえない。もちろん、携帯メールの独特な表現にはいろいろと興味があるが、彼らは携帯メールのつきあいに限定することで、彼らのつきあいを狭めていることが問題である。

多くの学生の場合、携帯メールの送信相手は、そんなに多くない。しかも、ほとんどが知りあい同士である。文面も気楽な文体である。知りあい同士の会話はこれでもちろんいいが、たとえば

  • すこし公的な文章を書こうとするともう書けなくなる。
  • 文字数制限があるので、先方から長目の返事が来ると対応できない。
  • 込み入った要件の場合、相手のメールを引用しながら、議論を詰めていくが、それができない。

ゼミに入ってきた学生は、社会メディア学科の所属にもかかわらず、技術に対する関心が恐ろしく低い。それは、携帯メールだけでのコミュニケーションで完結していることからもわかる。

携帯メールからPCメールへの転換。

これが学生の将来の可能性を区切る岐路となる。メーリングリストなどでのやりとりを通じて、かれらがどこまで突破しようとするのか。これはあくまでも彼ら自身の意思に依拠している。うまく乗り越えて欲しいものだ。

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