ある時突然明るくなった

先週は風邪で苦しんだが、快方に向かってやれやれと思った昨夜。咳き込むこともあり、寝る前には頭痛もしてきた。やばいぞと思いながら朝目覚めたらよくなっていた。助かった。

というのも、概要提出、書評、報告プレゼン資料などの締め切りが近づいているからだ。私は、風邪を引いたり、体力が落ちると発想力が極端に低下するため、よけいに神経質になる。

まあ、ともあれよかった。

風邪のおかげかどうか知らないが、ここ二週間ほど悩んでいた「シンポジウム概要提出」のアイデアが今日突然湧いた。これまで10年間取り組んできた日本語表現法のまとめをしながら、次はどの方向に向かうべきかを試行錯誤していた。

こういう挑戦的なテーマの場合、まず一緒に取り組んでもらいたい仲間に連絡して、次回の学会でシンポを企画したいので手伝って欲しい、とメールする。相手は、概要がわかれば、手伝えるかどうかわかるので、送って欲しい、と反応する。これは当たり前。

それから、いろいろ試行錯誤するのだが、普通は二、三日か、一週間でまとまるものだ。でも、今回は二週間もかかった。

当初のアイデアは、「若者の自立と日本語」というものだった。ニート(NEET)や若者の将来展望の欠如という現在から見て、これまでのわれわれの活動がどれだけ迫れるかを考えてみたいということだった。ただ、「日本語がうまくなれば就職できる」という単純な議論にはしたくなかったし、就職問題ではなく、教育問題にしたかった。そこで、教育問題にするとするとどういう切り口があるのかをあれこれ悩んでいた。ノートにいろいろ書きながらも、しっくりこない。この「しっくりこない」ことが次を考える鍵なのだが、ではどうするのか、という発想がなかなか出てこなかった。

今日、ひらめいたのが、「アカデミック・スキルズ教育とその将来ー学びの意味を考える教育に向けてー」というテーマである。これだと従来の蓄積にもとづいて話ができるし、従来の教育のメリットを共に、未解決の問題の見直しもできる。さらには、こうした教育を外からの目で見てもらって、次の一歩を探ろうという試みである。

最初のテーマと比べれば、穏健すぎるかもしれないが、でも今の私にはこの方がしっくりと来る。いわば、

「日本語表現法ーIn and Outー」である。私に限らず、(大学教育を専門にする)学会メンバーにも必要な道程だと思う。

さあ、次の仕事へ向かおう。

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風邪は引いてはいけない

風邪を引くのは、ほとんどの場合、不注意が原因だ。

風邪の引きはじめに、仕事や遊びを一切切り上げて、うがい、手荒いをして、体を温めて早く寝る。

これをしないで悪化させることがよくない。

特に、仕事の期限が迫ってきたり、ゼミ報告などの担当が回ってきたりしたときに風邪を引いたら最悪だ。そうしたことのないように、ゼミではあらかじめ風邪を引かないように注意を喚起している。

先日、ゼミの顔合わせをした時には、始まる前に、全員にうがいと手洗いをさせてからはじめた。もちろん、私も人並み以上に気を遣っている。引きはじめを感じたら、すぐに帰宅し、あらゆる手を尽くして床に着き、思いっきり汗をかきながら、「明日になれば絶対によくなるぞ」と言い聞かせて寝る。すると、これまで必ず回復した。

その私が今回の風邪はだめだった。軽い引きはじめを感じた時に、完全な予防をしたにもかかかわらず悪化した。その間に、学生との面談、外での撮影、会議、屋外調査が続いたが、すべてでみなさんにご迷惑をおかけした。15年間風邪対策を心がけてきた自信が崩れていった。今日、一週間ぶりに回復した。

私の場合、仕事に穴を空けなかったのでよかったと言えなくもない。しかし、私はそれでよかったが、近くにいた人に風邪をうつして、その人にご迷惑をお掛けしたことが気になる。プロの仕事師としては、失格だ。

さあ、今後はどうしようか?

引いたらどうしようもないので、引きはじめをどれだけ早く察知するかである。少しでも異常を感じたらさらに早く対策をとることだ。もちろん、うがいや、手荒いの回数を増やすことは言わずもがなである。まずは、これだけはやっておこう。

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説明は口頭か、資料か、どちらがいいのか。

来年度の専門演習(新二年生)の事前ガイダンスを本日開いた。

今は、かつてないほど風邪やインフルエンザが広まっているので、出席者数が心配であったが、まずまずであった。

本来ならばゼミ生全員が同じ日に集まって説明すればいいのだが、休み中になると忙しい学生諸君の日程はまずあわない。24名の細かな日程を聞くだけでも大変なのに、その中で一斉に集まれる日程を探るのはさらに難物。今回の場合には、同一日は不可能だったので、7日と23日に分割した。

両日共に同内容の説明をする必要があるので、配付資料も同じでそれにしたがって、説明しようとした。もっとも、本日の方が風邪で苦しんでいる学生が多いので、資料説明は要点だけにしようと思っていた。違いと言えば、これが一番大きい。

しかし、参加者の雰囲気や理解度は本日の方がいいだろう。これは彼らの顔を見るとよくわかる。ただ、ゼミ生全員に同内容を情報を提供する立場からするとこれは残念である。では、同じ説明をするにはどうすればいいのだろうか?

配付資料は同じなので、省略部分を除けば同じはずである。しかし、違う。受講生の反応は本日の方がよかった。これは本日の受講生の方が特に熱心であったわけではなく比較することはできない。また、受講生の体調は本日の方が悪かったが、これもあまり関係ないようだ。

では、何が関係するのか?

やはり、教師側の説明に違いがあるのだろう。内容は変わらなくても、重点の置き方、説明方法などが違っているからだ。これを改善するためにはどうすればいいのか(もう一点上げるとすれば、はじめてゼミ生が対面したい日であることでアイスブレイクが功を奏したのだが、これはここでは取り上げない)。

説明内容が、大雑把な雰囲気を伝えるのが主目的であれば、口頭でもいいが、すべてを過不足なく話し、また学生側も理解を深めるためには文書で伝えるのが正攻法である。よりわかりやすい文書の作成が望まれているが、これは絶えず望まれ続けることになろう。

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ハンバーグならハンバーガー。ハンバーガーならハンバーゲストを目指せ!

以前、お知らせした学生のインターンシップ日記は相変わらず面白い。

体がへとへとになってとても思考力が働かないと思うにかかわらず、暇を見つけて定期的に日記を送ってくる。そこには、単なる擬音語、擬態語ではなく、いろいろと新しいことばの表現も入っていて考えさせる。

グッドなら、ベター(比較級 er)。ベターならベスト(最上級 est)。そうやって、世界は日々進化しているんだから、それに取り残されては、生きていくことなんて出来ないんですよ!

 簡単に言うならハンバーグならハンバーガー。ハンバーガーならハンバーゲストを目指せ!ってことですね。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/tsutsui/education/junya/internship/noda/11.html

この表現の素晴らしさには参ってしまった

「ハンバーガー」は「ハンバーグ」の比較級ではないのに、すっかりその気にさせる。さらに、「ハンバーゲスト」という最上級まで造語してしまった。

場が与えられたからこうした才能が開花したのか、それとも元々あったからなのかはわからない。いずれにしても頼もしい存在だ。次に才能を開花させるのは誰なのか。さらに楽しみになってきた。

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Weblogを始めて一ヶ月。少しの教訓。

先月からblogを始めて、少しずつ調子が乗ってきた。もちろん、毎日書けるにこしたことはないが、それは実現していない。それよりも、日記を書くことを習慣づけるために何が必要かということを考えている。私の場合には、単なる身辺雑記やニュースを記事にするのではなく、自身の教育・研究に関わるテーマを主としている。そして、これをゼミ生にも書いてもらおうと思っている。その前提で、以下に教訓的な事を書く。

第一に、日記を書くようになって何が大きく変わったかというと、その日にあったことで日記に書けそうなテーマを絶えず探していることだ。ある意味では、日記とはその日にあったことで心に留めておきたいことを書く忘備録みたいなものだと思う。

教育ジャーナリストの山岸駿介さんは、普通に話している時でも、また宴会をしている時でもメモ帳を持って、たえず何か書いている。山岸さんほど話し好きな方であっても、メモを忘れていないことに記者魂を見る。私の場合、山岸さんのメモ帳がこの日記にあたる。もちろん、公開型の日記なので書けないことも出てくるが、それはまた別のところに書けばよい。そうこうして考えているうちにテーマが一つか、二つ浮かぶ。もし浮かばない時にはその時に書くのは諦めることにした。これが毎日書けない理由だ。テーマが浮かばない日をできるだけ少なくするのは今後の課題だが、今はまだこれでいい。

第二に、テーマが一つにせよ、二つにせよ、浮かべば後は書くだけだ。たぶん初心者は、ここからつまずくことが多い。つまり、世間話程度の気楽な文体(例:携帯メール)ならば簡単に書けるが、誰が読んでも直ぐにわかるような整理されら文章を書いた経験がないとここでいきなりつまずいてしまう。私も書き始めたことは、毎日こうした文章を書いたことがないので戸惑った。

しかし、話しかける相手を思い浮かべられれば、わりとすんなり書ける。気の置けない友人であるよりも、もう少し丁寧な説明がいる相手を思い浮かべた方がいい。教師であるとか、(若者とつきあうことが少ない)祖父とか、セレブな芸能人とかである。こうした相手を想像して書くようにすれば少しはうまくいく。

第三に、ただ、こうした相手に書くつもりでも、毎日書くのはなかなか難しい。理由は、書くのに時間がかかりすぎるからだ。どんなにいい文章を書いても、1時間や、2時間かかって毎日書くのはとてもじゃないが続かない。20分程度で書けるならば、続く可能性が出てくる。この時間短縮が最後の関門になってくるように思う。

私の場合、まだ30分間程度かかるので、まだ負担があるが、これが20分間になればきっと楽になるはずだ。酒も飲まず、テレビも見ず、ひたすら文章を書くことが好きなタイプならば何時間かかってもいいだろうが、私が想定している若者はそうではない。本も読まない、学問にもあまり関心がない、でも、友達と遊ぶのは好き、というどこにでもいるごく普通の若者が、パブリックな文章を書く習慣を身につけてもらうことである。来年度からは、ゼミ生にはblogを書いてもらうことにしているので、まず私が実験台に乗ってみた。

結論的に言うと、blogは自分の体験や思いつきを定着させ、新しい可能性を開くツールだということだ。

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学生の学びは、むしろ教師が学ぶことから

ただいま三月に出版する単著の最終校正をしている。

既に、初校、再校と進んでいるので、ほとんど直すことはない。もちろん、大幅に直すとすれば、根本的にやり直さないといけないので、この段階ではもはやできない。これまで書いた論文をできるだけそのままにするという趣旨から、最小限の修正に留めた。

この本によって、「10年間の日本語表現法の歴史的な意義」を知っていただければありがたい。

93年に富山大学で言語表現科目が新設されたことは、当時の国立大学ではほぼ唯一であった。私はその発案者として、科目担当者代表を務めながら、講義も担当した。精華大に移ってからは、持ち講義がないのであるが、それでも他の研究者や実践家と研鑽を積んでいる。

科目新設当時には、反対する人はよく陰口をたたいた。私が少しでもミスのある文章を書いたり、発言が不鮮明であったりすると、すかさず「言語表現科目の代表者の文章にしては稚拙だ。」「学生に教えるよりも、あなた自身が言語表現を勉強しろ」と言った悪口が飛んだ。

私はこれにはあまり反論しなかった。ただ、「○○先生のような文章やお話しが早くできるようにがんばります」と嫌みを言う程度だ。

本当に、言葉上でのいがみ合いは、実際にはあまり意味がない。それよりも、この科目の実績を作ることと、私自身の表現力を高めることで反論しようとしたのである。

前者は、学生の授業評価アンケートでも他科目に比べて圧倒的に評価が高く、また毎年教科報告書が出版されたことで、誰の目にも実績が明らかになった。後者は、私の稚拙な文章や話しを少しずつましにしようとした。

他人から批判されることは自分の能力を高める。現在の私の文章や話しがどこまでいいかは他人の判断に任せるにしても、以前と比べたら少しはましになった気がする。それと、確実に進歩したと思うのは、文章や原稿のまとめかたが早くなったことだ。論文を書き始めたら、かなり早く完成することができるようになった。

これが一番ありがたいことだ。

批判をされても、まず先駆的な試みをすることで、自分を伸ばすことができる。実は、言語表現科目や日本語表現法に関わっているのは、学生の表現力を伸ばすという建前よりも、自分の表現力を伸ばすという実質的な目的があったのだ。

  「学生が学ぶ前に、まず教師や学者が学ぶこと。」

これが教育であり、研究に携わる上で忘れてはならないことだ。

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昨夜はよく歩いた

昨日は、久しぶりに怒りに震えた。だが、単純な怒りの紛らわし方では面白くないと思い、とにかく歩いた。大学から1時間ほど歩いた。カバンがデイバック式なので担げていいのだが、パソコンその他の荷物があるとかなり堪える。少し食事して、電車に乗って、また歩いた。また、軽食を取って、歩いた。さらに1時間くらい。

郊外だと、夜は殺風景なので面白くないが、繁華街は明るくて助かる。どこかで休憩しようかと店を探している内に、また歩いてしまった。歩くと本当に気が紛れる。心の持ち方は、つくづく人間の体調と関連していることがわかる。でも、やっぱり収まらない。

朝に学生の面談があったのだが、学生は寝坊して遅れてきた。この時はもう怒る気もなく、「このことは、結局は、自分に返ってくるよ」と言って終わった。原稿の最終校正もあり、また報告原稿の手直しもあるのだが、手が付かない。これはきっと自分を甘やかしているのだろうが、こういう怠惰な時もあっていいでしょう。まだ時間があるし、少し休憩だ。早く気持ちを切り替えよう。

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ある学生のインターンシップ日記

色白の美男子で、ちょっと不良っぽく見える三回生の学生がいる。大変熱心に学生の世話をし、大学側と学生側が対立する時には両者を調停しようと努力している。一見するとかっこよくて、女性にもてそうなのだが、もてない。

彼の友人からはもてない原因を聞くが、どうも納得がいかない。非常勤講師の方の世話は全身全霊をかけてやってくれるし、依頼したこともきっちりしてくれる。私は彼のようなもて顔になってみたいと思っている。そう思うのは私だけではない。

実は、現在、彼は非常勤講師に来ていただいた広告制作会社http://dream-d.net/にインターンとして働いている。きっかけは、昨春に講義に来てくれた社長(実は、私の長い友人)に見込まれて、「もしインターンシップに来たいならば喜んで受け入れてあげる」と言ってもらった言葉からである。その社長も、「彼のように俺が美男子だったら、人生が変わっていたのに」と言っていた。だから、まんざら彼はダメ男ではないのだ。

彼も三回生も終わり近くになって、そろそろ就職活動が大丈夫か心配に思った。そこで、彼にインターンシップに行かないか。そして、その時に、東京で就職活動をしてきたら、と言ったら、彼はそれを受け入れてくれた。ということで、二月の一ヶ月間だけ体験することになった。

社長さんからは、仕事以外に、インターンシップ日記http://www.kyoto-seika.ac.jp/tsutsui/education/junya/internship/index.htmlを書くようにといわれて、われわれのメーリングリストにほぼ毎日日記を送ってくるのだが、これが実に面白い。肩の力が抜けている文体だが、激務に積極的に取り組む一方で、失敗や笑いが必ず混じっている。実に秀逸な文章である。

この文章を読んだ詩人で、コピーライターである朝倉勇さんも思わずうなって、彼を励ましてくれている。

これまで隠されていた彼の才能が一気に花開いている。さすがに少し受けねらいをしようとするとあまり面白くないが、翌日にはまた肩の力を抜いて調節している。見事なもんだ。

仕事が忙しいことと、いい日記がかけることが同時進行していることも驚きである。慣れない東京での片道2時間の通勤時間にもかかわらず、暇を見つけては日記を書いている。本当に将来楽しみな存在だ。

受け入れてくれた社長さんに心からお礼を言いたいが、単に受け入れるだけでなく、彼に日記を書かせるというノルマを課したことがさらに素晴らしい。全力で飛び込んでいった学生は、自分で人生を開くことができるというお手本のような存在だ。インターンシップも日記もまだまだ続く。しばらくは目が離せない。

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テーマの絞り込み

ある研究会の報告について、考えている。

初心者がライティングを学ぶ場合に一番難しいのは、テーマの絞り込みだ。たとえば「あなたの夢を実現する方法について書きなさい」と教師から課題を設定された時、自分が書くテーマをどのように絞り込むのかが迷うところである。

夢自体がたくさんある場合に、それらを並列的にならべたり、あるいは逆に現在明確な夢がない時に何も思い浮かばないことがある。このように複数の夢からゼロの夢のレンジで考えると、夢は一つであれば最も書きやすい。この一つをどのように決めるのかに難渋する場合が多い。複数の場合には、優劣を付けることで打開できるが、初心者にはかなり難しい。ゼロの場合、こういう機会に夢について考えてみるかどうかだ。

人間は、楽しいことや好きなことは苦もなく頭が働く。テーマを決める場合には、自分にとってできるだけこの状態を擬似的に作り出すように考えることだ。初めから「いやいや書かされている」と考えると何も始まらない。しかし、そもそも自分の夢について考えることは楽しいことなので、そう考えれば比較的発想がわきやすい。

テーマの絞り込みの方法としては、ビジュアルな方法、文字的な方法、両者が融合した方法など様々である。ここでは詳述しないが、自分のあった方法を見つけられればそれが一番いい。

テーマの絞り込みにおいては、いくつか考えることがある。

  1. 文字数や決められた条件を守ること
  2. 参考資料や文献が手元にあること
  3. 作業可能な時間的余裕

の三つを総合して考えることである。

多くの場合、時間的な余裕がない。そこで、資料が入手できる範囲で文字数などを守ることができるかを考える。このように考えると、結局は、テーマは、かなり限定され、かつ具体的なものにするのが近道である。

課題が「あなたの夢の実現方法について」であれば、テーマは「市民主体のメディア・カフェを京都に設立するための資金獲得方法について」のように、具体性と限定性が決め手となる。

こうした指導をどのようにすれば効果的なのかについて、考えていきたい。

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築70年のキリスト教会でアクセサリー展

今日は一日イベントの裏方だった。自宅から少し離れたキリスト教会で知りあいがSilver Laceの個展を開いたので、私もそのヘルプで参加した。

銀細工の銀色、下敷きの黒色、和紙の白色が貴重になった優雅な展覧会であった。小さい頃から、夜店や駄菓子屋に目がない質(たち)なので、こういう手伝いは好きだ。自分自身を売り込むことは苦手にしても、知りあいの作品や推薦するのは力が入ってしまう。以下が作品の一部だ。

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個展が教会でおこなわれるのはあまりない。実は、作家は、この教会に併設されている幼稚園の出身者であるため、自分の原点を確かめるためにここをお借りしているのだという。自分が通っていた当時にままのいすや机があり、伝統を感じさせる。

この建物は、築70年の木造である。日常生活にはまったく支障がないのだが、現在の耐震基準に合わないので、立て替えを迫られている。その意味ではこの建物での最後の個展となる。1934年(昭和9年)施工と言えば、キリスト教会にとっても、第二次大戦はるか前のことなのでまだ穏やかな時だっただろう。

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建物自体は、贅沢な作りではないが、天井の両端が傾斜になっていたり、窓が縦に長くて採光がよかったり、木材もしっかりした材質が使われていたり、と豪華なものだ。

立て替えを決意したとしても、教会や幼稚園関係者にとっては、このままを保存したいという気持ちは持ち続けているだろう。個展が終わって片づけに入っている時に、作者が牧師さんに教会の小さな椅子をいただけないかと頼んでいた。子供用の本当に小さな椅子であるが、作家が通っていた頃から既にあったそうだ。廃棄処分予定の椅子を作家が運良く手に入れることができたのは、お金に返られない頂き物をしたと思う。

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しかし、作家に渡せば、この何気ない椅子が別の命を吹き込まれてよみがえるのだろう。このあたりが創作者の強みだ。私は、作家の営みを記録することで自分の役目を果たそう。

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