携帯メールの元はimodeという携帯電話を使ったショートメールである。この発売は、1999年2月のこと。春頃から学生の中で話題になり始め、夏前にはその隆盛が止められない勢いとなった。実は最初の発売は前年の秋だったが、その時には鳴かず飛ばずだったとのことで、再発売でようやく軌道に乗った。
実は、このimode企画者の松永真理さんとは、1999年9月初めにお会いしている。彼女はNPO学会軽井沢セミナーの講師として参加されていたのであり、私は翌日オンラインジャーナル担当者として司会をしている。それはどうでもいい。私が悔やまれるのは、彼女とじっくり話す機会がありながらまったく話さなかったことだ。今となっては残念な気がするが、やはり私は携帯メールとは相性がよくないのだろう。松永さんの話に対する質疑応答でも参加者からは否定的な反応が支配的であった。つまり、講義中に携帯メールを送る学生がいたり、文面が陳腐であるとかだ。私も同意見であった。
私にとっては、出会いのよくない携帯メールであるが、大学生で携帯メールなしの生活はほとんど成立しないと言ってよい。多くの学生は、携帯メールでのやりとりだけで他人とのコミュニケーションが完結している。PCメール主体の学生は少数派である。
別に、携帯メールであれ、PCメールであれ、他人とのコミュニケーションツールを持っていてくれれば、最低限はそれでいい。しかし、携帯メールで完結した生活にあまりにも安住しすぎることは、かれらの将来をきわめて危うくしていると感じざるをえない。もちろん、携帯メールの独特な表現にはいろいろと興味があるが、彼らは携帯メールのつきあいに限定することで、彼らのつきあいを狭めていることが問題である。
多くの学生の場合、携帯メールの送信相手は、そんなに多くない。しかも、ほとんどが知りあい同士である。文面も気楽な文体である。知りあい同士の会話はこれでもちろんいいが、たとえば
- すこし公的な文章を書こうとするともう書けなくなる。
- 文字数制限があるので、先方から長目の返事が来ると対応できない。
- 込み入った要件の場合、相手のメールを引用しながら、議論を詰めていくが、それができない。
ゼミに入ってきた学生は、社会メディア学科の所属にもかかわらず、技術に対する関心が恐ろしく低い。それは、携帯メールだけでのコミュニケーションで完結していることからもわかる。
携帯メールからPCメールへの転換。
これが学生の将来の可能性を区切る岐路となる。メーリングリストなどでのやりとりを通じて、かれらがどこまで突破しようとするのか。これはあくまでも彼ら自身の意思に依拠している。うまく乗り越えて欲しいものだ。