入試問題に載りました

 今日、大学入試過去問題集を出版している版元から連絡があった。今年度入試問題に、私の著書から出題された部分があるとのことで転載許可をほしいとのこと。

出題部分を読むと、『自己表現力の教室』の私の担当部分からの出題である。三名の共著本なので、書誌情報を略記するときには、著者名は、「荒木晶子他著」となる(三名の記載順は、単純にあいうえお順であり、しかも唯一の女性であり、聡明で、魅力的な荒木さんが最初となった。三番目の私の名前は省略される場合が多く、検索できないこともある)。

ただし、出題部分の引用元には、「筒井洋一ほか」となっていた。出題側が正確に著者を確定するのは当たり前だが、意外に盲点である。国語の問題文なので、言語学的な正確さも判断材料になるだろうから、出題されたことはよけいにうれしい。出題された大学は、北海道の私立大学とだけ言っておこう。

日本語表現法を提唱して以来、一番気をつかうのが文章表記である。この科目に否定的な人からは、「いいかげんな文章しか書けない人が日本語表現法の代表者であれば、この科目の信憑性が疑われる」と会議の場で揶揄(やゆ)されてきた。

正直言って、私は、文法的な正確さを追求することは苦手である。文章の校正をすればするほど、粗が目立ってくるからだ。しかし、そうであっても、以前よりすこしはましな文章が書けるようになってきた。その点で、やはりこの科目に関わってきてよかったと思う。

ところで、そういえば、共著者である向後千春さんの文章も、国語の教科書に載ったことがある。彼の文章は、私に比べて、もっとこなれている。もう一人の荒木晶子さんは、講義はもちろん、英検の出題も担当されているので、スピーチには定評がある。

こう考えてみると、有能な二人に支えられて来て私も少しずつ成長しているのかもしれない。この本の著者名が、「荒木晶子他」、あるいは「荒木晶子、向後千春他」と略記されるのもうなづける。早く「荒木晶子、向後千春、筒井洋一」と併記されても遜色がないようになりたいものだ。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

TBSとNHKの番組

大学で講義されている石丸次郎さん(アジアプレス大阪代表)は精力的に仕事されている。

一つは、TBS報道特集での北朝鮮ビデオだ。彼が数年間つきあっている北朝鮮ジャーナリストが本国の様子を隠し撮りで撮影したビデオを監修している。DVDレコーダで予約録画したのだが、操作がわかっていないせいか、部分的にしか録画できなかった。

隠し撮りしかできないにしても、日常生活をかいま見ることができて興味深い。驚いたのは、国民の中でも優遇されていると言われる兵士であっても、食料の配給が少ないことを語っていることだ。幹部による物資の横流しが日常化しているのだろう。

また、2003年から部分的な自由市場が導入されて、物資が流通しだしたことも驚きだ。やはり物資はあるところにあるのだ。効率性に欠けた経済状況の中で、部分的とはいえ、市場経済が容認されたことで、経済政策の弱点を国民が知りだしたのだ。この経験がどのような跳ね返りをするのかが注目される。

もう一つは、NHKハイビジョンの番組だ。『そして僕は生まれ育った』という、在日を主人公にした110分間の長尺番組だ。ハイビジョンは見る機会がないでしょうということで、わざわざテープを送っていただいた。

主人公は、玄真行というテレビディレクターである。在日として生まれながらも、日本人の中で生きてきた彼が、親の故郷の済州島を訪ねるところからはじまる。戦前は貧しくて、多くの住民が日本へと移住していった。玄の親は、故郷を愛しながらも、戻ってくることはなかった。「なぜ両親は、故郷へ戻らなかったのか」という疑問を解く旅がはじまる。

日本に移ってからの主人公のかつての家を訪ねていく。玄は、東京に住んでいたかつての家があった場所を尋ねると、大家は存命だった。彼からは、借家人である玄の父と所有権を巡って争っていたという話を聞かされる。そこでは、亡き父と対立した大家から父の悪口を聞かされて言葉を失うことになる。別の場面では、日本人には決して負けないように生きてきた中で、依然として日本人に対するわだかまりも明らかとなる。

しかし、その玄は、日本人女性と結婚した。新しく戸籍を作って、子供は日本国籍となり、日本人玄としての生活を始める。在日にこだわりながらも、既に母語も話せず、親から先祖や故郷のことを聞くこともないまま生きている自分を探し始める。

「在日」とは何か?

それは、自分自身であることだ。

番組に出てくる在日の人々は、在日にこだわりながらも、玄とは異なる生き方を選択している。それぞれにとっての在日の意味があるとすれば、それはやはり自分自身だからだろう。

そして、最初の問いである、両親が祖国に戻らなかった理由について、家族と対話し始める。

貧しかったから? そうかもしれないが、そう思いたくない。

戻っても何もない? そうかもしれないが、そう思いたくない。

強制的に連れてこられたから? そうかもしれないが、そう思いたくない。

すると、娘が、「自分の夢を実現するために、日本に来たのだから、戻ってしまうとその夢が達成できないから」と言う。

在日は夢の実現、という言葉を聞き、彼の溜飲が下がった。

そう思いたい。いや、きっとそうに違いない。

将来の夢を託された玄とその家族は、新たな夢を求めて歩き出す。

過去の断罪よりも、未来を開こうという番組のメッセージに対して、玄も過去と自分を振り返る新たな視点で考えはじめる。それに対して、我々がそれにどう答えるのかが次の課題となる。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

Indy Mediaと市民メディア

腰が軽いのが私の特徴だと思っている。自分自身の頭で思考することは当然にしても、社会の動きから得るものはもっと大きい。

ラジオカフェのイベントを通じて、コミュニティーFM,ケーブルテレビ、メディア関係者、研究者などの広がりを実感している。ただ、こうした「小さなメディア」の動きをどう呼称するかはなかなか難しい。

米国では、これらを総称してAlternative Mediaと呼ぶが、オルタナティブ・メディアと日本語で言ってもピンと来ない。そこでどうしようかと思案している。三月にNPO学会で、FMわぃわぃ、工房AKAME、ラジオカフェの代表の方に来ていただいた時に、呼称で悩んだ。そこで、松浦さと子さんと相談して、「市民メディアにしよう。ただし、シンポジウムの時間の都合もあるので、呼称についての意見交換はしない」と決めた。終了後、パネリストの方々にお尋ねしたが、必ずしも市民メディアでいいという合意はできなかった。

9月に熊本で行われる大会は、「市民メディア」という呼称を使っているが、同様に呼称自体の当否の議論はしないだろう。「そんなこと、どうでもいいばい」ということになるのだろう。より納得できる別の呼称がないだろうから。

ただ、米国の影響をまともに受けた、別の「小さなメディア」の活動も始まっていた。それは、1999年11月末にシアトルで開かれたWTOの会議に対して猛烈な反対デモを取材したフリー・ジャーナリスト、ネットワーカーなどの電子メディアを駆使したジャーナリストや運動家の活動である。「小さなメディア」団体がホテルにコンピュータ、カメラ、電話などを持ち込んで拠点にし、ライブエンコーディングには、地元企業やリアル・ネットワークスも協力して、マスメディアと異なる抗議運動の姿を世界中に発信した。かれらのことをIndy Media(独立メディア)と呼んでいる。

先日、かれらの企画に参加したときに、中心メンバーに呼称について聞いてみたが、「市民メディア」という呼称には同意しなかった。よりカレントな政治や世界の動きへの批判を強める彼らにとっては、市民と言うよりも、より政治的にアクティブな性格を明示する独立メディアという呼称にシンパシーを持つのであった。

呼称に関する同意は得られないにしても、呼称自体は、実は大きな問題ではない。私は、市民メディアであれ、独立メディアであれ、住民メディアであれ、なんであれ、構わないと思っている。しかし、それ以上に重要なのは、作品や情報の相互流通という共通したコンテンツ発信の仕組みと一般市民が「市民メディア」の発信者となる仕掛けを作り上げていくことだ。Web上だけから始めてもよいし、共通企画や人的な交流が図れるだけでも意味がある。

要は、一般の人々が多様なメディアの発信者となるために、有益なコンテンツを流通させ、あらたな人材を発掘することが肝心だと思う。難しいことだけれども、それを進めて行かなくてはならない。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

ラジオの声入れとアドワン最終日

昨日、急にラジオの声優を頼まれた。

バーのマスター役だ。はじめての試みだったが、何事も経験、経験。

ふられた女の子を暖かく見守る役回りで、過去の失恋経験を思い浮かべていけばいい、と思ってトライした。なんとかやり終えた。デジオやPodcastingを始めようかと思っている私にはぴったりかも。

午後からは、アドワン(広告表現技法)最終日。

試験前であったので、予想通り最低の受講生数。う〜ん。でも、CTは浴衣でハッスルしていた。

インターン希望者もいるので、かれらは真剣に取り組んでいる。

講師の石川さんとゲスト講師の方、そして教務課の方の努力に敬服です。

終了後は、食堂で打ち上げ、その後、先斗町で食事。小さい店だと亭主の技が生きる。

では。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

アジアプレス作品連続上映会

*アジアプレス作品連続上映会

今週は、アジアプレス作品が大学で一週間上映されている。

関係者が講義に来られることもあり、大学側と先方との息があって、あれよあれよという間に、上映会が実現したとのこと。月曜日から水曜日までは、映画上映後に、監督自身の話も聞けるという豪華企画で、しかも無料。

この企画を学外の方にもお知らせしたら、他大学ではなかなかできない貴重な機会とうらやましがられた。

小規模大学だからこそ可能であったと言うこともあるが、それを実現する大学側の意欲には敬服する。こういう動きのできる大学に在籍していることは誇らしい気持ちだ。

火曜日に上映されたタイのHIV感染家族を主人公にした映画『昨日、今日、明日』は、封切りの時に見ていた。鹿児島から夜行バスで大阪に戻ってきた朝に、そのまま見に行ったのだった。

http://www.riporipo.com/ytt/

上映前に、直井監督とお話しした。タイでは、精華大の学生が実習に来ていたことは知っていたとのことで親近感を持っておられた。そして、ドキュメンタリーに向かう監督のスタンスとして、マスメディアにありがちなテーマや社会問題を扱う作品ではなく、現地の生活にとけ込んだところから、日常生活の素晴らしさを描きたかったとのこと。たしかにBGMもなく、日常の時間をひたすらゆっくり描いていた。家族と監督との信頼関係がそのまま出ていて、患者であっても当たり前の楽しさと生活を営む姿を描いている。

水曜日には、『ザルミーナー公開処刑されたアフガン女性を追ってー』

http://www.asiapress.org/

の上映と玉本英子監督の話があった。監督は、今春、イラクに三ヶ月滞在して取材しており、その際、テレビ取材でたびたび出演していたのを知っていたので、是非お話ししたかった。

直接お話した印象は、優しい目をしていたごく普通の魅力的な(!)女性であった。イラクでは、護衛数名に囲まれながら撮影していたとはとても信じられなかった。ただ、お話を伺って、現在の仕事に賭ける意欲や取材対象に対する敬意を大切にすることを力説された姿は、現地で鍛えられたジャーナリストそのものであった。

通訳を伴って、裁判資料を探し出し、ザルミーナが暴行を受けた事実を発見した。私は以前外交文書を扱った研究をしていたので、公文書から新しい発見を見つけ出す手間と、新しい事実を見逃すことも多いことを知っている。もちろん、事件を起こした彼女の心中は闇の中であるにしても、新しい事実を掘り起こしたことで、人間の多面性が浮かび上がっていく。ステレオタイプに人間を落とし込みがちなマスメディアとは異なるドキュメンタリー作品の面目躍如といったところである。

http://d.hatena.ne.jp/images/diary/y/ytsutsui/2005-07-14.jpg

「以前は、神戸屋ベーカリーのチラシを作っていた」という過去から、紆余曲折しながらドキュメンタリー制作者になった過程は、飛躍が大きいだけに興味深い。「別に戦争報道をしたいわけではないんです。興味のあったテーマがたまたま戦場に近かっただけで、私は、現地の人々の文化や気持ちを伝えたいだけなんです」と、学生を前にして淡々と語る様子を目撃したのはぐっと来た。

現地の羊料理や甘い食べ物に慣れてしまったという玉本さんも、関西人らしくお好み焼きが好きだった。そこで、私のお薦めの店に連れて行ったら、心底喜んでくれた(これでポイントゲット)。

次にまたお仕事をお頼みすることにしよう。

明日は、最終日。『ゴンプーの幸福な生活』という中国人の季丹監督が長期ロケでチベットの生活を描いた作品だ。監督が精華大卒業生であることは別にしても、「メッセージ色を出さないドキュメンタリーではアジアプレスの頂点だ。私はこの作品を見て、アジアプレスに入りました」という直井監督の言葉でよけいに期待がふくらんできた。実は、勧められる前から、この作品は楽しみにしていたのだった。

アジアプレスやドキュメンタリーとの幸運な出会いが間近に起こっている感動は堪えられないものである。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

高校国語教員の研究会

 紹介があって、大学における日本語表現法の実践について、高等学校国語教員の研究会で報告した。

高校教員の前で話すことと同時に、国語教員に対してこの科目の報告をするのはかなり勇気がいる。というのも、この科目は、伝統的な国語教育とは異なる実践をめざして出発したからだ。

報告内容は、以下である。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/tsutsui/reports/kokugo/kokugo.htm

参加者の反応は、高校での国語教育の実践との相違に愕然としたという方もおられたようだ。

私が意図的に「この科目の創設にあたっては、美しい日本語を目的とする国語学や国文学の教員からの反対があった」と述べたことで、「こうしたシステマティックな講義内容では、国語学者が反発するのも当然だ」という反応もあった。

これに対して、私は、「この科目が専門科目ではなく、基礎教育であり、この科目担当者は理科系教員も含めて多様であるので、それぞれの担当者の独自の色合いはむしろ割愛している。しかし、実際の講義では、全員が同内容の講義内容を教える部分と、担当者の自由裁量の部分の双方があり、コンテンツも教えられる」と答えた。同様の疑念は、国語教員に限らず、多くの教員が抱く内容であったので、当然予想していたが、予想以上に反発が強いことを見て、あらためて国語教育と日本語表現との橋渡しの難しさを痛感した。

(後から気づいたことであるが、高校と大学(特に、私立大学)の科目に対する区別の違いがあることがわかった。つまり、高校では科目毎に専門が分かれており、国語と社会、理科、英語などの区別を超えることはほぼ無理である。このことは、科目毎に既得権が守られているを意味する。医者や弁護士と同様の職業独占が認められている。

しかし、私立大学の場合には、ある程度の独占は認められているが、今日のご時世では、それも絶対的なものではなく、場合によれば他分野に移る可能性がある。たとえば、ドイツ語を教えると同時に、情報処理科目を担当するという公募も存在しているように。つまり、職業独占が守られていないのだ。こうした置かれた環境の違いは大きいようだ。)

もっとも、参加された教員は、自ら教育実践を実行されているのであって、実践の意義自体は共通している。それぞれの実践報告を一瞥しただけでも、かなり熱意を持って教育されていることがわかった。

しかし、私が言いたいのは、教員の個人的実践を増やすだけでは不十分で、むしろそれらを教育カリキュラムの中でシステムとして組み込む必要性である。同じ講義であっても、担当者毎に講義内容のコア部分と評価基準が異なっているのでは、学生側の満足が得られないからだ。

その意味では、高校だけでなく、多くの大学の講義においてもこうしたシステム作りまで至っている例は少ない。しかし、今後もそうした視点が重要になるはずだ。私の仕事は、このことをよりわかりやすく説明することであると思っている。

国語教育の本丸に突入した成果がどこまであったのかはわからないが、こうした対話を続けて共通点を見つけていくことである。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

乾杯、Lager !

Robot(http://www.robot.co.jp/index.php)の井上邦彦さんが、講義の中で、自作CMを紹介してくれた。

当時、キリンビールがアサヒビールに首位を初めて奪われており、低落を止めたいという強い希望を託されてて井上さんが作ったCMがそれである。

全シリーズを連続して見ることができた。

TOKIO、広末涼子、いかりや長介、高田・坂口・八嶋の三人組などで趣向を変えて行きながら、ビールを広い世代に浸透させようというアピールだった。

当時、本当に流行ったコピーだった。安飲み屋に行ったら、学生グループが酔った勢いで、「乾杯、Lager、乾杯、Lager」と唱和することに必ず出くわした。飲んでいるビールがキリンに限らず、その他のビールでもかけ声は同じだった。

井上さんの話を聞いていて、音楽に詳しい学生が質問したが、それが面白かった。彼は、ドリフターズがコミックバンドであった前には有名な音楽バンドあったことを知らなかった。最近でこそ高木ブーがウクレレで有名になっているけど、彼らが66年にビートルズ来日記念コンサートの前座を務めたことは知るよしもない。もっとも、一度しか放映されなかったそのコンサート番組を私も見ていないので偉そうなことは言えないのだが。

かといって、もはやメンバーが楽器を手にすることもまれになっているのだろう。いかりやさんは、かなり入念に練習をし、また撮影中でも周りはOKを出しても本人が納得しないということで延々収録を繰り返したとのこと。

かつての絶頂を思い出しつつ、それには追いつけないまでも、それに近い演奏をすることで、自らを取り戻そうとしていたのだろう。既に故人となられた方であるが、最後まで努力された話を聞いて、彼の気持ちがキリンビールの低落を止めたのだと思った。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

探偵

精華大には、有名な作品を作っているクリエーターが非常勤講師に来られている。

その一人に朝日放送プロデューサの松本修さんがおられる。彼は、88年から始まった「探偵ナイトスクープ」を担当している。いまだに視聴率20%を記録するお化け番組だ。その彼から、この番組の舞台裏を書き留めた新刊書を贈呈していただいた。見開きには、毛筆で「去年の講義をベースに書きました」としたためてある。

探偵!ナイトスクープ―アホの遺伝子

探偵!ナイトスクープ―アホの遺伝子

  • 作者: 松本修
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 単行本
  • クリック: 23回

松本さんとは、1995年に阪神大震災直後に会っている。前任校で、言語表現科目の学生向け講演会にお呼びした。しかし、震災で被災されたので無理だと思ったが、来ていただいた。1月17日が震災当日で、講演会が1月25日のことだった。何という義理堅い方なのだろうか。その頃の顛末も本書に詳しい。

精華大学に来て久しぶりにお会いして以来、時々お話しすることがある。一度食事に行った時に、リラックスされると靴下を脱いで話されるのを見てぶっくりしたが、これは彼の癖らしい。そのことも書いてあったのでよけいに面白かった。

いずれにしても、これまでにない笑いを作るために、社内外ディレクターとの正面切った言葉のボクシングが繰り返されていたようだ。理想は共有していても、そこに到達する道がわからないままに試行錯誤を繰り返していた。しかし、ある時一人のディレクターがすっと次のフェーズへと上昇していくにつれて、他のディレクターも次々と上昇していくなかで、現在の地位がある。

やりがいがあるとともに、厳しい現場のやりとりは、やがて他の番組へも広がっていった。こうした様子を松本さんとその関係者の証言を元に再構成した本である。売れているとのこと。その理由がよくわかる。価値ある本である。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

上町台地からまちを考える会二周年

先週末に、会の二周年記念イベントがあった。

http://www.geocities.jp/uemachidaichi/

当日、所用があって、前半のリレートークには出られなかったのだが、後半は全部聞いた。

理事が一人ずつゲストを呼んで、15分間ずつ対談するという企画。

メインテーマが教育だったのだが、それとの関係で別のテーマと結びつけるという趣向だ。

伝統野菜を育成する小学校、直木三十五記念館を市民で設立したこと、神戸の企業と学校との環境教育、アーティストと小学生との出会い、豊中の多文化共生企画など多彩なテーマである。テーマが多彩であるが、数が多いと、参加者はそれら全部についていくのが大変そうであったが、こうしたテーマを取り込むことができるのは、この会の視野の広さであろう。

神戸の環境教育は、地道でありながらも、着実な成果をあげているし、何よりもそこに加わっている社員の方の充実した気持ちが伝わってくる。つまり、有名なケーキ屋さんのアンリ・シャルパンティエ社員がケーキの作り方を見せることが子供の興味を引いたことを喜び、その結果、社員の意欲が高まるという話は面白い。もちろん、自分の仕事を誉めてもらえばうれしいに決まっているが、そこからエコロジーへとつなげることには工夫がいる。

また、豊中の多文化共生活動は数が多すぎるが相互の関連性がないことで、かえって効果が失われている指摘が重要だ。案外、人的なつながりが薄いのかもしれない。

このように、理事が15分間を誰を呼んで、どのように使うかの競い合いがあって、じっくり聞くと大変聞きがいがある。

トークイベントとは別に、私がうれしかったのは、秋田さん、小田切さん、六波羅さん、宋さんなどの主要メンバーと知り合えたことである。特に、秋田さんとは何かと接点がありそうだ。宋さんとは、FMわぃわぃの前進であったFMサランの話ができた。

調査とともに、この会とのつながりを密にする段階になった。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

Welcome back

このところ過去会った学生との再会が続いている。

一人は、前任校での学生である。精華大の学生が会社訪問に行った時のグループ討論で私を知っている他大学の学生と出会ったとのこと。その精華大生は一回生の時にゼミ生だったが、その後付き合いが途絶えていた。それが昨年あるメディア訪問という企画を進めていた話をその学生が聞きつけて再会した。

先日、その学生が食堂で私のところに走ってきて、メモを渡してくれた。そこには、じっくり考えると思い出した懐かしい名前が。今は別の大学の大学院に在籍していて就職活動をしているとのこと。関西の大学どうしならば、会社訪問のグループ討論の場で出会うことは珍しくないが、関西以外の大学にいた学生が関西に来て、しかも、私の知っている精華大生と会うのはかなり珍しい。彼は、ゼミ生ではなかったが、一回生の必修科目で知り合った。講義終了後、翌年の新入生ガイダンス用にこの科目のプロモーションビデオで主役を務めてもらったのでよく覚えている。

ビデオのあらすじは、たわいもないものである。あるバーのカウンターに座っている男女が別れ話を始めた。すると、いままで口べただった男性が、ここが勝負とばかりに突然愛を語りだした。彼女は、心を込めて愛を語る男性の素晴らしさにうっとりし、めでたしめでたしというストーリー。ちなみにバーのパーテンダーは私が務めた。素人作品であったが、前説、後説には知り合いのNHKアナウンサーにボランティアで参加してもらった。この作品をガイダンスの場で上映したら大受けしたのは言わずもがなである。

就職活動が終わったら、彼と対面したい。ビデオをDVDにして持っていこう。

もう一人は、昨年、退学した学生である。AO入試の時からの知り合いで、たまたま基礎ゼミでも担当したが、正直言って、あまり熱心ではなかった。ラジオ番組を作りたいと言っていたが、夜間バイトに力を入れていたし、体調も優れなかったので、休みがちだった。退学の時にも、「この大学では別に好きなゼミもないし、特にいたいと思わない」と言っていた。私は、「いつ帰ってきてもいいから、待っているよ」と言って分かれた。

それが昨日一年ぶりに、メールで連絡してくれて、再入学をしたいとのこと。

一度やめた学生を受け入れてくれるかどうかかなり不安だったようだが、その学生が「勉強したくなったんです」と言ったことは大きな変化だ。自分で学びたいと思った時こそ大学の役目がある。喜んで受け入れたいと思う。退学後は、運良くいい仕事をしていたようでその経験も生かしてもらいたい。

手続きがうまくいきますように。

新しい出会いとともに、これまでの出会いも絡み合いながら、夏を迎えることになる。

カテゴリー: 未分類 | コメントする