Podcast(アジアプレス玉本さんインタビュー)

玉本英子さんインタビュー をダウンロードする。

先ほど、インタビュー相手から許可が出たので、ようやくポッドキャスト第二弾を公表できます。

今回は、アジアプレス大阪事務所所属のジャーナリスト・映画監督の玉本英子さんです。

彼女は、タリバン政権時代にサッカー競技場で公開処刑されたザルミーナという女性の足跡を追って、政権崩壊直後に現地に飛び、アフガンの慣習や政治に翻弄された姿を「ザルミーナ・公開処刑されたアフガン女性を追って」によって明らかにしました。この作品が反響を呼び、海外のメディアからも注目されるジャーナリストなりました。

昨夜、京都・五条大橋南にある「ひとまち交流館京都」で『イラクの人々は今ー戦時報道の現場よりー』というテーマで、スライドやビデオを交えてお話になりました。

彼女の講演に対して参加者からかなりの反響があり、終了後も質問者の列が長く続きました。ただ、会場の閉館時間にせき立てられて、カフェ「efish」に行き、主催者や参加者も混じった中で、インタビューに協力してくださいました。昨日、シリアから帰国されたとのことで過酷なスケジュールの中で講演をされたので、さすがにお疲れだったのですが、快く引き受けてくださいました。

質問内容は、

1.本日の講演会で伝えたいことは何だったですか。

2.取材されたときに一番心に残ったことは何だったですか。

3.参加者の反応はいかがでしたか。

4.次回、イラクやシリアに行かれるときには、どういう事をテーマにされる予定でしょうか。

5.イラクやアフガニスタンの実態に対して、この番組を聞いておられる方に、メッセージをお願い致します

です。

これらの質問の前に、当初、次の質問を準備していたのですが、都合により割愛しました。

1.所属されているアジアプレスというビデオ・ジャーナリスト集団は、どういう活動をされていますか。

2.玉本さんの最新映画「ザルミーナ・公開処刑されたアフガン女性を追って」についてお話を聞かせてください。

そこで、この二点に関する説明は、以下のサイトをご覧下さい。

http://www.asiapress.org/

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いったいいつ出るの?

(今夜は、アジアプレスの玉本英子さんの講演会があり、その後に彼女にインタビューした。それをポッドキャスティング第二弾としたいのだが、本人の確認を取ってからアップするので、今日は別の話題を。)

昨日、知り合いから電話がかかってきた。

挨拶もそこそこに、「まず謝まなければならないのだけれども」という言葉から始まった。何のことかというと、実は、彼が編者を務めている共著本の出版が大幅に遅れていることを詫びたのであった。

この本は、シリーズとして完結すれば、10巻以上になる予定だが、まだ5,6巻しか出版されていない。当初の計画からすると、5年以上店ざらしになっている代物だ。さきほど謝ってくれた編者は、私も執筆者の一人である未刊行本の編者であった。彼はかなり後から編者になったことをよく知っていたので、どちらかというとかわいそうな役回りである。そのため、彼が謝ってくれたのは、むしろ申し訳ないと思ったくらいだ。

では、一体誰に責任があるのかというと、締め切りを守らない筆者が第一に上げられるべきだ。ただ、この場合、いろいろ経過もあるので、なんとも言えない部分もある。かくいう私は、締めきり通り原稿を提出していたので、編者や出版元からすると、好意的に見られている。

そこで、電話の用件は、この巻を本格的に出版しようという編者と出版社の意図を私に知らせることであった。その上で、「提出済みの原稿は、時間が経過しているが、未だに出す価値がある。修正するとしても、最小限にしてほしい。それよりも、むしろ、まだ未提出者がいるため、ページ数に余裕があるので、もう一本書いてほしい」という要望だった。


頼まれると野心が沸いてくる私なので、すぐにテーマが思いついた。すると、「それを巻頭論文にしたい」と言っていただくほど、気に入ってくれた。ただ、すぐにもう一つのテーマが思いついたので、それはどうかと尋ねたが、それは時期的にまだ早い、という反応であった。締め切りが二ヶ月という短さなので、今から資料の読み込みが必要な後者のテーマはどう見ても難しそうなので、おそらく前者になると思う。

現状分析論文は、自分でその流れを追いながら、その時々の資料を読み込んだり、関係者にインタビューしたりすれば、原稿は書きやすい。ただ、既出の論文と重ならないように、新しいデータと知見を盛り込むことが必要である。

この巻の刊行をめざして、私が役に立てば光栄だ。秋から冬には締め切りが重なるが、それもまた光栄なことだ。

現段階では、具体的な署名やテーマも明記できないので、読者は狐につままれたような話で申し訳ない。来年になれば明らかになるので、半年ほどお持ちいただきたい。

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子供たちを責めないで

 縁があって、来年度、こどもに関する講義を担当することになった。

国際関係論の講義でも、「こども」の項目を講義するときには苦手意識があったので、ちょっと意外かもしれない。確かに、国際関係論はもちろん社会科学では、国家、市民、政治家、兵士などと一緒にこどもも扱うが、人文科学でのこどもの扱い方と違う。

前者は、主としてさまざまな行為者の公的側面に焦点を当てるが、後者は、私的側面に重点を置く。そこから、人間やこどもという公的な側面はを分析するときには前者でいいが、私的側面になると限界がある。その点が気になっているので、苦手意識がある。

だが、今度の講義では、必ずしも社会科学でなく、人文科学や医学的な側面が中心になりそうなので、新しく調べる意欲がわく。

先日、主催者と打ち合わせをして、ゲスト講師の人選については先方にお任せするとして、私が、トータルな構成を考えることになりそうだ。それで、ここ数日、頭に「こども」「こども」のキーワードがめぐっている。

しかし、こどもを聖なるもの、ととらえてばかりではおかしいので、こどもをひねくった作品がなにかないかと探していたら、いいのが見つかった。

Mon‐Jah

Mon‐Jah

  • アーティスト: 伊武雅刀
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
  • 発売日: 1991/09/14
  • メディア: CD
  • クリック: 6回

1980年代のラジオ番組で小林克也、桑原茂一と一緒に伊武雅刀が「スネークマン・ショー」を組んでいたが、その伊武雅刀が1983年に「子供達を責めないで」というCDを出している。(1991年にMon-jahというアルバムに収録されている。)歌詞は、おにゃん子で有名な秋元康だ。

著作権の制限があるので、出だしだけをお知らせする。

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私は子供が嫌いです。

子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で

前向きな姿勢と 無いものねだり

心変わりと 出来心で生きている

甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする

オジンだ 入れ歯だ カツラだと

はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ

私ははっきりいって絶壁”です

ーーーーーーーーーーー

本当の楽しみは、買っていただくとしても、面白そうだというのがよくわかるはずだ。

ここで私が言いたいのは、こどもを妙に美化しすぎることはよくないということである。映画やアニメだと、こどもが純粋で、大人は汚れている、という構図が多い。

しかし、実際のこどもを見ていると、決してそうではないだろうし、大人も、たとえ姿形はぶかっこうになってきても、純粋に物事を見つめようとするときもある。

なので、こどもを見ることは、実は大人を見ることでもある。あるいは、こどもと大人の区別をつけないで見ると、実は自分の世代を見ることでもある。これだと面白い。

いまのところはそういう考えを持っている。これからどういう展開になるのだろうか。

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茅葺きの農家がこんなにたくさん

夕食に洛北山中にある美山町の納豆が食べたくなった。そこで、車で買いに行くことにした。

納豆に関してはそれぞれの自慢があるのだが、ここの納豆は、ワラ包みはもちろんながら、粒が非常に大きく、歯ごたえがあるので、「畑の牛肉」という食感だ。

実は、京都生まれながら、美山町には滅多にこない。

芸術家が住んでいたり、農協の野菜売り場が最近人気であることは知っていたし、数年前の「行く年来る年」では、美山の茅葺き農家の撮影がおこなわれていた。

ただ、北陸が長かったので、富山や岐阜の茅葺き集落が一番すごいと思っていた。

しかし、美山の茅葺き農家は、それらをはるかに凌いでいた。農家の件数(20件程度)といい、眺めの良さといい、広々とした斜面に密集して並んでいたのは驚いた。京都市内から、40分足らずでこれだけたくさん残存しているのは驚くべき事だ。

解説を読むと、既に江戸時代から続いていて、若狭湾から運ばれる米や魚介類の通り道(塩鯖街道)として繁栄していたとのこと。

二十年前ならともかく、最近は道路も整備され、車の往来も多く、都市近郊からの観光客も多数見学に来ている。運良く茅の葺き替えをおこなっていた農家が二件あったが、職人はいずれも30〜40代の若い人が中心であった。行政からの補助金が前提になったいるだろうけれども、若い職人も健在で、技術の伝承もおこなわれているようだ。

納豆は、もう少し発酵が必要だが、現地に出かけただけの満足感はあった。

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二人のアーネスト・サトウ

昨夜、共著での投稿論文を仕上げて、共著者に数日間検討してもらっている。戻ってくるまで、しばしの休息ができたので、今日は自転車で、京都駅まで、高速バスチケットを買いに行った。洛北から30分程度で到着するので、住みやすい小さな町だ。

帰路に、御所の近くにある甘党喫茶で有名な氷を食べに行った。

抹茶アイス、白玉、小豆、ミルクが入って600円という良心的な値段だ。単品ならば、450円。自宅での営業のため、これだけの物を提供できるのだろう。到着したら、1時間以上自転車を漕いだので、水のお代わりを八杯もしてしまった。また、来ることでお返ししよう。

ところで、氷を食べに行ったついでに近くの家並みを見ていたら、コンクリートの打ちっ放しの小さな家があった。表札を見ると、「Y.アーネスト・サトウ」と書いてある。

この名前を見て、すぐに幕末期の英国の知日派外交官で、『一外交官の見た明治維新』などの著書で当時の日本の状況をつぶさに残した歴史上の人物だと思い出した。

自宅に戻って調べてみると、歴史上の人物は、「M.アーネスト・サトウ」であって違う人物だった。彼の本名は、「Ernest Mason Satow」と言う。日本姓ではなく、父方のドイツ姓だった。

では、「Y.アーネスト・サトウ」とは誰か。

芸術に造詣深ければ、誰でも知っている写真家の「アーネスト・サトウ(Y. Ernest Satow)」とのこと。アメリカ人の母、日本人の父のハーフで、Satowさんが、佐藤さんと結婚したことになる。彼は、京都市立芸術大学の教員として多数の著名な弟子を育てたのである。

同時に、京都の旅館俵屋社長佐藤年さんの夫として、俵屋を通じて、日本の伝統美の美しさをもてなしのなかで体現したことでも有名である。ご本人は、1990年に亡くなられた。

昨今、俵屋と言えば、俵屋で使われている高級石けん「Savon de Tawaraya」が有名だが、箱のロゴはご主人の作とのこと(そういえば、先日、知り合いからこの石けんをいただいていたので、Savon de Tawarayaというロゴは覚えている。)

ところで、「Y.アーネスト・サトウ」さんの家は、私が通った小学校のそばにある。同級生の思い出をたどって、歩いていてたまたま見つけたのだが、いつからこの家はあるのだろうか。私の通った頃にはなかったと思うが。

そして、ご子息がおられるとのことで、またまた検索してみたら、見たことのある名前だ。しかも、偶然にも同僚であることがわかり、またまたびっくりした。

今日は、仕事疲れの気晴らしのために、自転車で出かけたら、たまたま小学校の近くだったことから、過去を振り返ろうと思った。すると、もっと昔の幕末に飛び、そして、戦後の京都の老舗旅館へとシフトし、最後は現在に戻る、という位相の揺れの激しい一日だった。しかし、すべての断片的な情報が相互に結びついて、知識として凝固したことで、心の収まりのいい日でもあった。

明日からは、別の仕事に入るが、その仕事が終われば、またこういう収まりのいい日が来ることを期待しよう。

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Podcastはっしー・日本列島縦断!1000人対話の旅(デビュー)

はっしーイベント1、 はっしーイベント2、 はっしーイベント3

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イラク日本人人質事件の被害者をめぐるわが国での「自己責任」の論争は、日本社会の危うさを露呈させた。被害者および家族に対する陰湿な嫌がらせを見ると、一体今は本当に今は平和なのかと疑ってしまう。

どう思うかは別にして、多くの人々がこの事件についてのメディアの報道を見聞きしたことと思う。

渦中の人物であった今井紀明君は、当時高校生であり、三名の被害者中最年少であった。自己責任のバッシングを受けた今井君の胸中を知りたいと思った女子大学生が、彼と会って、気持ちが通じた中で彼を見つめた10分間のドキュメンタリーを作った。

その作品をひっさげて、青春18切符で全国対話イベントをおこなっている橋爪明日香さん(通称:はっしー)が昨夜ラジオカフェに来て、語ってくれた。

お調子者の私は、ブログで、今、評判になっているハッシーに会いたいと思って出かけた。

開演前に出会った彼女は、驚くほどごく普通の学生であった。もう少ししたたかな学生ではと想像していたが、実際は、話しぶりも街で歩いている若者風(つまり、ジャーナリストっぽくない)だし、身なりもどちらかというと地味。でも、暇があれば、ビデオカメラかデジカメを持っている。レンズに向かって話すのに抵抗がある人も、彼女のほほえみながらのレンズだと話せてしまう。そういうタイプだ。

「全国縦断1000人対話の旅プロジェクト in ラジオカフェ」は、最初企画者の松浦哲朗さんとハッシーとの対話で始まり、10分間のビデオ作品『みんな、空でつながっている』の上映を経て、1時間以上参加者との対話をするという構成でだった。

彼女が人質事件に関わったのは偶然だった。映像NPO事務所にボランティアをしていたが、その事務所に、ある団体からカメラを回せる人がいればすぐに首相官邸に来てほしい、ということでわけもわからず彼女が行くことになった。その後も撮影することになったが、マスメディアのカメラの視線の冷たさを見て、私は彼らと違った暖かい視点で被害者を撮りたいと思い立ち、これを誰かが記録しなくては、と思うといても立ってもいられなくなり、今井君に会いに行ったとのこと。

会い始めには、カメラを回せなかった。今井君がとても嫌がったので、最初の三ヶ月はひたすら信頼関係を作ることにした。やがて、今井君自身が事件のことは記録する必要があると決心して、ハッシーのカメラに向かって話しかけることになった。

作品に現れた今井君の表情は、マスメディアを通じて伝えられた表情となんと違うことか。

「今井君がこちらを向いて笑っている。彼が笑っているのを初めて見た。」

参加者の多くがこういう感想を持った。

そして、

ビデオの最後に、今井君が「生きててよかった」という言葉を発するところで終わっている。

映像の質や音声の乱れがあっても、こういう作品は作者の思いがあることで十分その価値がある。しかも、作者自ら「この作品はまだ未完成なんです。どう完成させるかは、1000人のみなさんと対話する中で皆さんに作ってもらいたいと思っています」と語る。

プロが作った作品は1時間以上に及ぶことが普通であり、上映後の質疑時間が限られることも多い。はっしーは、むしろ対話することを中心に置いているため、あえて10分間にしているとのこと。何百時間も回したテープから完成版を作りたいという欲望をあえて抑えて、未完成版を持って全国を回る勇気に敬服だ。これこそ学生ができる試みだ。プロが同じ事をやろうとすると言い訳じみてくるが、学生だとこれでいい。こういう挑戦をすること自体に意味があり、マスメディアとは異なる市民メディアの面目躍如といったところだ。

イベントの最後に、私ははっしーに、

「ラストの今井君のあの言葉で終わるのは、編集中に相談した人の中では必ずしも賛成が多くなかったのでは?」

という意地悪な質問をしてみた。それに対して、彼女は、

「そうです。あまり多くなかったです。でも、私としては、この結末が一番しっくり行ったので、こうしました」と返答をしてくれた。

これでいいんと思う。誰がどう思おうと、自分の気持ちにはまるにこしたことはない。ましてや、この作品を持って全国を回るので、心を偽れないだろうから。

終了後の交流会の最後に、また私が彼女に尋ねた。

「ところで、1000人達成イベントで、現在は何名まで行ったの?」と聞くと、

「今日で150名くらいです」と答えた。

松浦さんが、「じゃあ、ラジオカフェの参加者が15名だったから、約一割だなあ。」

そこで、更に私が、「いつ1000人達成する予定なの?」と聞いたら、

「まだ決まっていない。大きなイベントで人が集まると、一人一人と話せないから嫌なんです。」

それに対して、お節介な私は追い打ちをかけるように、

「1000人達成するためには、最後に大きなアートイベントを開いて、参加者全員でお祝いしたらどうか」と提案したら、はっしーは、「それならやりたい。おもしろそうだ」と言ったので、

ラジオカフェ代表の福井さんが

「京都でするなら、お寺を借りて、今井君を呼んで、VJイベントでもやれば、3〜400人は集まるよ。やるなら、いつでも声を掛けて」と暖かい励ましをした。

これにははっしーは感動だったようで、最後の別れの言葉としては一番よかったと思う。さすがラジオカフェらしい。

余談だが、私もそろそろPodcastを始めようと思う。

その第一回作品をはっしーにしたい。

今朝、はっしーのブログを見ると、私の顔が写っていた。

作品は、先ほど公開した。

無編集なので雑音が入っているが、まずは処女作をアップすることでご容赦ください。

iTune 4.9か、ココログで、

feed://feeds.feedburner.com/tsutsui-media

を登録すると、自動的にアップデートできます。

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チャンスの神様は、前に出た人にだけ振り向く

(以下の文章は、ゼミのブログに書いた文書を元に作成しました。したがって、学生に向けた内容になっています。)

今回の衆議院解散を受けた立候補者の動きを見ていると、野望を抱いている人々の実態がわかっておもしろい。

小泉首相が郵政改革だけを試金石にして解散し、与党候補者選定の主導権を握り、反対派には「刺客」を送り込む手法は、総選挙における争点隠しと有権者をないがしろにするものだと思う。したがって、こうした手法には賛成できないが、刺客候補として立候補する候補者選定のやりとりは興味深い。

8月8日に衆議院が解散されてまだ10日足らずであり、しかも選挙準備期間が一ヶ月もないにもかかわらず、次々と刺客が立候補する動きは、いかに権力に執着する人々が多いかを表している。候補者は、刺客として送り込まれることがわかっているのに、なぜ彼らは立候補するのか。

理由は様々だろう。しかし、共通しているのは、いずれの候補者もが大きな野心を持っていることであり、いざチャンスが来れば、短時間で判断して行動に移す素早さである。そこには旧知の仲間を裏切っても立候補しようとする末恐ろしいまでの野心がある。

彼らの権力への執着心や仲間を裏切る生き方はともかくとして、われわれは、彼らの動きを見て、何を参考にすべきだろか。

私の持論は、「チャンスは自分の都合のいいときには来ず、突然やってくる。その時に一歩前に出られるか人かどうかをチャンスの神様は見ている。神様は、前に出た人だけにチャンスの恩恵を与える」というものである。

学生諸君は、将来に向けて無限の可能性があると思うし、それをできる限り支援したいと思っている。しかし、多くの学生に、将来何になりたいのかを聞くと、こう答える。

「とりあえず、・・・・・し(なっ)てから、今後のことを考えます」

「・・・」は、たとえば、「○○放送局(キー局)に入りたいのですが、試験が難しいので、とりあえず小さな制作会社に入って」とか、「会社訪問するのが嫌なので、とりあえずバイトでもいいので、広告制作会社に入って」とか、「会社に入るのが嫌なので、とりあえずバイトでもしながら」とかいう答えが多い。職業に貴賎はないし、ゆっくり考えることは悪いことではないが、「とりあえず」ということばを使う人は、それ以上の事をしない人が多い。

仕事が終わった後に行った居酒屋で飲む最初のビールはうまい。そこで、ビールにとりあえずを使うことは意味がある。しかし、「とりあえずはビールだけ」にしたい。自分の人生に「とりあえず」を考えるよりも、最終目標をめざすことを考えた方がいい。でないとチャンスの神様は逃げてしまうから。

話を戻そう。刺客候補者から何を学ぶかだが、次の点が重要だと思う。

  1. まず夢や野心をはっきり持っておこう。候補者の場合は、政治家や首相になりたいだが、われわれの夢は何なのかをいつも持っていること。
  2. 夢を実現するためのシミュレーションをしておこう。候補者は、もし政治家になったらということをいつも考えている。われわれの場合も、もしなったらということを想定して考えてほしい。
  3. 夢を実現するための準備をしておこう。2.とも重なるが、候補者の場合、政治家になったらなにが必要かを考えている。政策案や演説原稿なども、別の職に就いているときにも、彼らは準備しているよ。われわれも準備しよう。
  4. チャンスが来たら、決して断らない。自分の都合のいいときにはチャンスは来ない。これは、恋愛でも、バイトでも同じだ。現在は、力不足でも、都合が悪くても、迷わず飛びつこう。力不足は短期間で補う努力をし、都合が悪ければ、都合がつくように考えよう。なんとかなります。

候補者のあくなき欲求を見ていると、われわれの冒険心が萎えていることを痛感する。しかし、われわれは、権力という魔物を求めるよりも、われわれ自身がそれぞれ大切にする目標があるはずた。これを実現する方がはるかに面白いし、意味がある。

自分の目標(これは、大きければ大きいほどいい)を大切にしていきたいものだ。

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きっとうまくいく

 お盆間近になり、通常業務も停止し、おまけに大学サイトやメールサーバが停止しているので、こういう時には、季節の行事に出かけるのにかぎる。

京都に住んでいても、大原などの観光地へは滅多にいかない。しかし、この日は、大原・三千院の拝観料が無料なのででかけたら、なんと周辺の民間駐車場も無料とのこと。大原全体の貴重な行事であるのだろう。赤シソジュースも無料でいただき、人々を迎え入れて信仰を深める寺院らしい振る舞いに感激した。

公開された秘仏や道沿いに並べられたろうそくの光が参拝者を誘う。折しも小雨が降り、周辺の山々には霧が立ちこめ、世俗を離れた信仰の里を演出していた。

ところで、夏期休暇期間中には、ゼミ生や学生諸君はどうしているのだろうか。自分の課題について調査している学生はうまくいっているだろうか。あるいは、インターンシップで広告制作会社などに行っている学生もうまくやっているだろうか。私も若干関わっただけによけいに心配になる。

現地に出かけたり、インターンに行ったりする場合には、受け入れ先が学生をどう判断するかが重要である。もちろん、建前上は、学生の調査のためとか、学生のやりがいを求めて、という学生側の達成感を前面に出すが、実際には現地や会社にどれだけ認められるかが鍵となる。忙しい職場であればこそ、人間としての基本的な姿勢が問われることになる。基本的な姿勢とは、そんなに難しいことではないが、だからこそ欠かしてはいけないことである。

時間に遅れない。約束を守る。誠実に対応する、など。

学生諸君には大変だと思うが、なんとか超えるようにしてもらいたい。もう後戻りができないのだから。

きっとうまくいくと信じていくことにしよう。

過去を思い、現在を確かめ、未来を創るために。

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計画を並べておこう

前期の成績も提出したので、そろそろ夏の研究計画に取りかからないといけない。

一つは、日本語表現法の回顧と展望について。これは、先日の学会で企画したシンポジウムをベースにして論文形式で投稿するものである。他のパネリストの方との連名であるが、私が原案を仕上げて、投稿前に点検してもらうという手はずになっている。今月末が期限。

二つめは、書き下ろし本の執筆準備。NPO、メディア、社会をキーワードにした書籍の予定。テーマや章立てを決めるのに難渋している。メディア論で終わるのも嫌だし、NPOだけでも嫌だし。できれば、他の要素も入れたいと思っている。新奇性と普遍性との兼ね合いがなかなか決まらない。概要を早急に提出しないといけない。

三つ目は、インターネット・ガバナンスの現状分析である。科研の研究チームの分担報告である。ドメインの管理をめぐっての国家間の争い、南北問題、国家と非国家的行為体との関係、それにボランティアリズムと組織的な管理とのせめぎ合いなどがここ数年一気に表面化している。今年9〜11月にアフリカ・チュニジアで世界情報社会サミットWSIS)が開かれるが、それに向けたアクターの動向とその課題についてまとめる。これは、10月の科研報告会が期限。

四つ目は、アカデミック・ジャパニーズの挑戦共著本の執筆。日本語教育者が市民に向けたことばの問題提起をおこなう意図で構想されている。ここ数年日本語教育者との共同作業で生まれてきた企画である。10月末期限の原稿とその後の座談会準備である。

五つ目は、日本語表現法の講義準備。2001年に講義をする機会がなくなって以来の久しぶりの講義を頼まれた。最新の傾向を盛り込みながら、学生の心に備わっている意欲を引き出すことが使命である。そろそろ教案を作成しないといけない。

他に講義準備はあるが、これについては省略するとしても、夏に準備すべきことが意外に多いことに驚いた。でも、ありがたい機会なので、みっちり取り組もう。

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8月に入っても講義がある

このブログは先月終わりから更新していなかった。理由は、学内行事や昨日までの研究出張が重なったことと、ブログに書いたことが先方にご迷惑がかかったことから慎重になったことがある。

このブログは、自らの活動と教育・研究との関連を振り返りたいために書いているが、そのことが他人の迷惑にならないようにしないといけない。

ブログのメリットは、htmlスクリプトやサーバへのアップなしにコンテンツの充実に専心できるために、気楽に書けることである。しかし、気軽に書いても内容に対する責任は変わらない。そのことを肝に銘じたい。

複数の旧国立大学の関係者と会う機会が何度かあり、独立法人化後の変化についていろいろと話を聞いた。独法化によって、各大学の自由裁量が拡大した一方で、依然として文部科学省の統制が続いている中で、教職員の疲弊が激しくなっていることは誰もが語る。

けれども、紙面に表れる独法化後の旧国立大学のニュースと言えば、新しい組織の設置や新しい取り組みが始まっているという、明るい面を取り上げる記事がほとんどである。確かにこうした変化を取り上げることは間違っていない。けれども、現場の教員が、この変化に表れない沈滞した状況であることが紙面に載ることが少ない。

たしかにその背後には、守旧的な姿勢があることは否定できないが、それだけではない。私自身は、大学改革を実践し、また他大学にもアドバイスをしている立場であるので、これまでと異なる新しい取り組みを支援したいと思っている。ただ、その支援の向く先は、まずもって現場の教職員に向いている。彼らが前向きに動き出してはじめて変化が本物となるからである。

その意味で、旧国立大学の現場は、決して楽観できない。ノルマの多さ、雑務の煩雑さ、文科省の規制などでそのしわ寄せは、現場で積極的に取り組む教職員に過重な負担がかかっている。かれらを勇気づけるためには、彼らが草の根で取り組んできた個別の改革の芽を正当に評価してあげることだろう。その努力が同僚や幹部に評価されることで彼らの心の安寧がどれだけ得られることか。

ここ数年、旧国立大学では、半期15週の講義を厳守するようにということで、これまで規定以上に少なかった講義を規定通りに戻そうという流れになっている。しかし、その結果、前期の講義終了が8月初めになっていることもあるという。私学よりも遅くまで講義をしている。

もっとも、4月の開講時期を早めたり、祝日の開講などを工夫すればここまで遅くなることはないはずであるが、これができないのだ。こうした動きの悪さがいかにも旧国立大学らしい。しかし、こうしたことを工夫する知恵を身につけてほしいと思う。

もちろん、旧国立大学の弱さは、私立大学でも多少とも抱えているにせよ、私学の場合には、もっと別の課題がある。経営母体が違っていて、その現象面は異なっていようとも、教育と研究を中心にした大学が社会とどう向き合うのかという戦略は変わらない。教育も研究も社会との関係も、これまでとは異なる対応が求められている。しかし、現場の教職員と学生の意欲を高めることを目標に据えた地道な取り組みが必要なのだろう。

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