大学で講義されている石丸次郎さん(アジアプレス大阪代表)は精力的に仕事されている。
一つは、TBS報道特集での北朝鮮ビデオだ。彼が数年間つきあっている北朝鮮ジャーナリストが本国の様子を隠し撮りで撮影したビデオを監修している。DVDレコーダで予約録画したのだが、操作がわかっていないせいか、部分的にしか録画できなかった。
隠し撮りしかできないにしても、日常生活をかいま見ることができて興味深い。驚いたのは、国民の中でも優遇されていると言われる兵士であっても、食料の配給が少ないことを語っていることだ。幹部による物資の横流しが日常化しているのだろう。
また、2003年から部分的な自由市場が導入されて、物資が流通しだしたことも驚きだ。やはり物資はあるところにあるのだ。効率性に欠けた経済状況の中で、部分的とはいえ、市場経済が容認されたことで、経済政策の弱点を国民が知りだしたのだ。この経験がどのような跳ね返りをするのかが注目される。
もう一つは、NHKハイビジョンの番組だ。『そして僕は生まれ育った』という、在日を主人公にした110分間の長尺番組だ。ハイビジョンは見る機会がないでしょうということで、わざわざテープを送っていただいた。
主人公は、玄真行というテレビディレクターである。在日として生まれながらも、日本人の中で生きてきた彼が、親の故郷の済州島を訪ねるところからはじまる。戦前は貧しくて、多くの住民が日本へと移住していった。玄の親は、故郷を愛しながらも、戻ってくることはなかった。「なぜ両親は、故郷へ戻らなかったのか」という疑問を解く旅がはじまる。
日本に移ってからの主人公のかつての家を訪ねていく。玄は、東京に住んでいたかつての家があった場所を尋ねると、大家は存命だった。彼からは、借家人である玄の父と所有権を巡って争っていたという話を聞かされる。そこでは、亡き父と対立した大家から父の悪口を聞かされて言葉を失うことになる。別の場面では、日本人には決して負けないように生きてきた中で、依然として日本人に対するわだかまりも明らかとなる。
しかし、その玄は、日本人女性と結婚した。新しく戸籍を作って、子供は日本国籍となり、日本人玄としての生活を始める。在日にこだわりながらも、既に母語も話せず、親から先祖や故郷のことを聞くこともないまま生きている自分を探し始める。
「在日」とは何か?
それは、自分自身であることだ。
番組に出てくる在日の人々は、在日にこだわりながらも、玄とは異なる生き方を選択している。それぞれにとっての在日の意味があるとすれば、それはやはり自分自身だからだろう。
そして、最初の問いである、両親が祖国に戻らなかった理由について、家族と対話し始める。
貧しかったから? そうかもしれないが、そう思いたくない。
戻っても何もない? そうかもしれないが、そう思いたくない。
強制的に連れてこられたから? そうかもしれないが、そう思いたくない。
すると、娘が、「自分の夢を実現するために、日本に来たのだから、戻ってしまうとその夢が達成できないから」と言う。
在日は夢の実現、という言葉を聞き、彼の溜飲が下がった。
そう思いたい。いや、きっとそうに違いない。
将来の夢を託された玄とその家族は、新たな夢を求めて歩き出す。
過去の断罪よりも、未来を開こうという番組のメッセージに対して、玄も過去と自分を振り返る新たな視点で考えはじめる。それに対して、我々がそれにどう答えるのかが次の課題となる。