昨夜、共著での投稿論文を仕上げて、共著者に数日間検討してもらっている。戻ってくるまで、しばしの休息ができたので、今日は自転車で、京都駅まで、高速バスチケットを買いに行った。洛北から30分程度で到着するので、住みやすい小さな町だ。
帰路に、御所の近くにある甘党喫茶で有名な氷を食べに行った。
抹茶アイス、白玉、小豆、ミルクが入って600円という良心的な値段だ。単品ならば、450円。自宅での営業のため、これだけの物を提供できるのだろう。到着したら、1時間以上自転車を漕いだので、水のお代わりを八杯もしてしまった。また、来ることでお返ししよう。
ところで、氷を食べに行ったついでに近くの家並みを見ていたら、コンクリートの打ちっ放しの小さな家があった。表札を見ると、「Y.アーネスト・サトウ」と書いてある。
この名前を見て、すぐに幕末期の英国の知日派外交官で、『一外交官の見た明治維新』などの著書で当時の日本の状況をつぶさに残した歴史上の人物だと思い出した。
自宅に戻って調べてみると、歴史上の人物は、「M.アーネスト・サトウ」であって違う人物だった。彼の本名は、「Ernest Mason Satow」と言う。日本姓ではなく、父方のドイツ姓だった。
では、「Y.アーネスト・サトウ」とは誰か。
芸術に造詣深ければ、誰でも知っている写真家の「アーネスト・サトウ(Y. Ernest Satow)」とのこと。アメリカ人の母、日本人の父のハーフで、Satowさんが、佐藤さんと結婚したことになる。彼は、京都市立芸術大学の教員として多数の著名な弟子を育てたのである。
同時に、京都の旅館俵屋社長佐藤年さんの夫として、俵屋を通じて、日本の伝統美の美しさをもてなしのなかで体現したことでも有名である。ご本人は、1990年に亡くなられた。
昨今、俵屋と言えば、俵屋で使われている高級石けん「Savon de Tawaraya」が有名だが、箱のロゴはご主人の作とのこと(そういえば、先日、知り合いからこの石けんをいただいていたので、Savon de Tawarayaというロゴは覚えている。)
ところで、「Y.アーネスト・サトウ」さんの家は、私が通った小学校のそばにある。同級生の思い出をたどって、歩いていてたまたま見つけたのだが、いつからこの家はあるのだろうか。私の通った頃にはなかったと思うが。
そして、ご子息がおられるとのことで、またまた検索してみたら、見たことのある名前だ。しかも、偶然にも同僚であることがわかり、またまたびっくりした。
今日は、仕事疲れの気晴らしのために、自転車で出かけたら、たまたま小学校の近くだったことから、過去を振り返ろうと思った。すると、もっと昔の幕末に飛び、そして、戦後の京都の老舗旅館へとシフトし、最後は現在に戻る、という位相の揺れの激しい一日だった。しかし、すべての断片的な情報が相互に結びついて、知識として凝固したことで、心の収まりのいい日でもあった。
明日からは、別の仕事に入るが、その仕事が終われば、またこういう収まりのいい日が来ることを期待しよう。