縁があって、来年度、こどもに関する講義を担当することになった。
国際関係論の講義でも、「こども」の項目を講義するときには苦手意識があったので、ちょっと意外かもしれない。確かに、国際関係論はもちろん社会科学では、国家、市民、政治家、兵士などと一緒にこどもも扱うが、人文科学でのこどもの扱い方と違う。
前者は、主としてさまざまな行為者の公的側面に焦点を当てるが、後者は、私的側面に重点を置く。そこから、人間やこどもという公的な側面はを分析するときには前者でいいが、私的側面になると限界がある。その点が気になっているので、苦手意識がある。
だが、今度の講義では、必ずしも社会科学でなく、人文科学や医学的な側面が中心になりそうなので、新しく調べる意欲がわく。
先日、主催者と打ち合わせをして、ゲスト講師の人選については先方にお任せするとして、私が、トータルな構成を考えることになりそうだ。それで、ここ数日、頭に「こども」「こども」のキーワードがめぐっている。
しかし、こどもを聖なるもの、ととらえてばかりではおかしいので、こどもをひねくった作品がなにかないかと探していたら、いいのが見つかった。
1980年代のラジオ番組で小林克也、桑原茂一と一緒に伊武雅刀が「スネークマン・ショー」を組んでいたが、その伊武雅刀が1983年に「子供達を責めないで」というCDを出している。(1991年にMon-jahというアルバムに収録されている。)歌詞は、おにゃん子で有名な秋元康だ。
著作権の制限があるので、出だしだけをお知らせする。
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私は子供が嫌いです。
子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で
前向きな姿勢と 無いものねだり
心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ 入れ歯だ カツラだと
はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいって絶壁”です
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本当の楽しみは、買っていただくとしても、面白そうだというのがよくわかるはずだ。
ここで私が言いたいのは、こどもを妙に美化しすぎることはよくないということである。映画やアニメだと、こどもが純粋で、大人は汚れている、という構図が多い。
しかし、実際のこどもを見ていると、決してそうではないだろうし、大人も、たとえ姿形はぶかっこうになってきても、純粋に物事を見つめようとするときもある。
なので、こどもを見ることは、実は大人を見ることでもある。あるいは、こどもと大人の区別をつけないで見ると、実は自分の世代を見ることでもある。これだと面白い。
いまのところはそういう考えを持っている。これからどういう展開になるのだろうか。