今年も年賀状を書きません

授業が終わった後も、ずっと交渉事が続いている。来年度に向けて、実に様々な出会いをしている。局面的には、私も厳しい対応が迫られることもあるのだが、いずれの相手もそれぞれがしっかりしたスタンスを持っているので、話していてもやりがいがある。

先日は、大して飲んでないのに、二日酔いになり、頭がもうろうとしながらで不安だった。しかし、一日に複数の案件があったが、交渉相手に恵まれたのだろう。体調が回復するほど話にのめり込んだ。さすがに終了後には、ぐったりしたが、頭が冴えていた。もしかしたら、この感覚は、ファシリテーション受講後の疲労感と少し似ている。ということは、通常の交渉でもファシリテーションの経験が功を奏してきているのかもしれない。まあ、あまりにも飛躍しているのかもしれないが、それでも前向きに考えられるのも悪くない。そう思うことにしよう。

職場は今日で御用納めだが、私の打ち合わせはまだもう少し続く。でも、早くこれらを終わらせてから、原稿に取りかからないと。これは、これまでの歩みを総括するものとなるはずだ。

昨年に続き、今年も年賀状を書かないでおこう。

もちろん、電子メールのアドレスを知らない年配の方には、これまで通り年賀状を書くにしても、既に数えるほどである。それ以外の方にはメールで出そう。年賀状廃止の理由については、今年初めの記事で明示しているが、メールのインタラクティブ性がなんと言っても魅力的である。年賀状を書かないディメリットよりも、新しいツールにあわせた人間関係を基礎にした人生を送りたい。

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民族楽器「チベット・シンバル」を鳴らしながら、散歩する

チベット・シンバルの音を聞く(1分間)

(ダウンロードするか、iTunes for mac/winで見てください。)

好評につき、今日も、民族楽器を取り上げる。これは、チベット仏教の瞑想に使われる楽器とのこと。初めこの楽器を手にした時には、どういう風に鳴らすのかわからなかったので、敬遠していた。しかし、少し触った時の真鍮の感触に魅了されて買ってしまった。これは、散歩の時に持参して、鳴らしながら歩いている。近くを通る人がこの音色を来て、いったいどこから音がするのだろうと驚いた顔をしているのが楽しい。でも、不快な音ではないだろうと思うので、鳴らしながら歩いている。

初めは止まった状態で二つのシンバルを当てていたのだが、すぐに歩きながら鳴らせるようになった。持ち方を調節すれば、音が鳴ったり、鳴らなかったりと加減ができる。しかも、この音は、シンバルを揺らすと、音が回るのがわかる。体の芯を刺激するような音だ。

ということで、この音もお聞きください。


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12月24日クリスマス・イヴ 北山Weddingストリート教会・披露宴会場

北山ウエディングストリートの賑わいを見る(3分間)

(ダウンロードするか、iTunes for mac/winで見てください。)

今日も静養を兼ねて、午後から散歩した。最初は、上賀茂神社にお参りの札を持って行った。途中、カキツバタで有名な太田神社を経由して、神社に到着した。年末のおけら参り直前の一番参拝客が少ない時期なのだろう。ここでも、水を頂いた。

帰路は、加茂川沿いに歩いていった。北山大橋付近になると、結婚式披露宴会場のライティングを見えてきた。River Four Seasons, 北山迎賓館、北山ル・アンジェ教会 、京都ノーザンチャーチ北山教会、途中にノートルダム小学校のクリスマスツリーもあった。

暗くなる前から、北山通りは車の渋滞が始まった。歩道にもカップルの若者が教会を目指して、地下鉄から次々と溢れてくる。北山通りが車や若者で溢れるのは、夏の大文字焼き以来だ。寒さもほどよく、ライトや教会音楽も聞こえてきて、雰囲気はますます高まる。その模様をお伝えする。


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鳩まで至近距離50cm、エナジ-チャイム、バグパイプ 2

バグパイプの演奏を見る(3分間)

自宅に近づいてきた。下鴨神社付近には、スコッチ・ウイスキーで有名なバーがある。オーナーは、スコットランドでウイスキー修行をし、同地のパブ・オーナーと親しくなり、その名前をもらって営業している。夕方、店の前を通ったら、何やら楽器の音がする。バグパイプの音だ。クリスマスを前にして、店で演奏させてほしいと頼んだ趣味の仲間の演奏だ。狭い店をほぼ占領して、パイプ奏者四名が演奏していた。年配も若者も混じった不思議な組み合わせだ。狭い店一杯に音がこだましていた。その音もポッドキャスティングでアップしている。


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演奏の合間に、年配の男性奏者に、バグパイプの演奏方法や衣装について尋ねたら、説明がとまらない。現地での演奏風景や彼らの気性など微に入り細にいり描写してくれた。以前、私はドイツ研究をしていたので、ドイツのことはすべて好きという年配の方によく出会ったが、ここではそのスコットランド版だ。楽器の善し悪しはわからなかったが、膝上までの(スカートとは言わず)キルトのタータン生地のきめ細かさや上着のかっこよさはわかった。でも、冬場に野外で演奏するのはこの格好ではさぞかし寒いだろうと思うのだが、バグパイプは、指を使うだけでなく、楽器に空気を入れながら演奏するので、かなりの重労働とのこと。音域も狭く、半音もあまり使わず、フレーズの繰り返しを大切にするというきわめて原始的な楽器であることがよけいに惹かれるそうだ。

本日の写真はここのスライドショーでご覧ください。

今日一日で様々な音や風景に出会った。やはり歩きながらこその醍醐味だ。

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鳩まで至近距離50cm、エナジ-チャイム、バグパイプ 1

エナジ-チャイムの音を聞く(1分間)

(ダウンロードするか、iTunes for mac/winで見てください。)

昨夜、疲れすぎて眠れなかった。かといって、仕事する気も起こらなかった。こういう時は、体を動かして、気分転換するにかぎる。そこで、昼過ぎに、自宅から錦市場までゆっくり歩いた。幸い昨日までとは違って、温暖な気候であったので、散歩日和だった。

京都御所を横切ったが、南側にある九条邸跡拾翠亭を見てきた。現在修復中なので入口までしか入れない。そこから、拾翠亭を見ていたら、手前に大きな石があった。拾翠亭を撮影しながら、下を向くと、なんと鳩が石を登って行くではないか。人間がそのそばに立っても悠然と石を登っていく。驚いた声を出しても逃げない。そこで、カメラを構えて撮ったのがこの写真である。至近距離50cmから、鳩がこちらを向いている姿を撮れた。御所という外敵の少ない場所に住んでいるためか、警戒心がまったくないのにはびっくりした。しらばくして、石の頂上から降りていき、道を歩いていった。

錦市場でお節料理の素材を買いに行き、寺町商店街でたこ焼きか何かを食べようとしたら、クリスマス前の大混雑でどこも一杯。そこで、クリスマスには関係の薄いおじさん向けの居酒屋に行った。競馬中継を見る客で一杯だったが、料理は意外においしかった。時代から二周も三周も取り残された風情でありながらも、なお繁盛している店は、それなりの理由がある。

町に出かけたもう一つの目的は、気に入った民族楽器を探すことだった。これは趣味と言うよりも、仕事道具になる予定だ。気持ちを集中する時に心地よい環境を作るためである。その音は、上記のポッドキャストで聞ける。

寺町から上がって、京都御所東側にある梨の木神社に行った。ここには京都三名水の一つである「染井の水」がある。私は、水やお茶を飲むのは好きだが、水のおいしさの違いには鈍感だった。それが、昨年、たまたま知り合った水フェチ夫婦を伴って、この水を飲んでみると、甘みと柔らかさがあってとてもよかった。以来、時々、ここの水を頂いている。デイバックに入れてきた空のペットボトル数個に詰めさせてもらった。午後五時過ぎには既に暗くなっているが、井戸の周りだけは人間が集まっている。かといって、欲張ってはいけない。大きなポリタンクではなく、ペットボトルに詰めるのがしきたりになっている。

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授業と卒論査読が終わった

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やっと終わった。卒論査読結果を学生に手渡して、食事後、そのまま爆睡。

卒論に関しては、対象者がかなり多かったので、早めに対処したが、うれしさ半分、後悔半分です。

連休は気持ちを切り替えよう。

それ以前と切らないと、その後に追われている書籍編集、雑誌原稿締め切りに気持ちが向けられないので。

まずは一息がつける。

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卒論と授業が終わるまでアップできません

授業は今週が最後。そして、卒論査読が今週末。それに、原稿編集作業も残っている。

これらが終わらないと、動画や新しい記事がアップできません。この間、次々に新しい刺激を受けて、その刺激にさらされている自分の心地よさを感じているのですが、形にする時間がない。

しばしお待ちを。

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ケータイとパソコン、高校と大学の授業

 今日は、入試の授業を担当した。大学ゼミの一端を受験生に体験してもらいながら、その後グループ討論を経てレポートを書くというAO入試の一環である。ケータイをテーマにした授業をしてほしい、という要望を受けて、企画した。

実は、卒業論文提出締切まで残り数日というこの時期に日曜日を潰すのはかなりの冒険である。土曜日も研修会に行っていたので、体がふらふらのまま授業に突入した。

授業形式を工夫した。Keynoteでスライドを作ったのだが、デジタルプレゼンはやめ、スライドを一枚ずつ印刷した。授業の進行に合わせて、一枚ずつ貼っていった。デジタルプレゼンは慣れているので便利なのだが、受験生との距離感とライブ感を大切にしたいと思って、あえてアナログで勝負した。受験生の着席方法も、机をなしにして、半円形に椅子を並べて座ってもらった。途中、彼らと対話しながら、授業を進めていった。

終了後、彼の感想を読むと、ケータイという身近な道具を見直す話しをしてくれたことと、少し変わった、でもリラックスした授業形式が気に入ってもらったようだ。「ケータイとパソコン」と「高校と大学の授業」を対照しながら話した。本日の授業スライドをここにアップしているので、ご覧ください。

さあ、地獄の卒論添削へ逆戻りだ。

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大学教育にも新しい仲間が増えてきた

浜名さんのワークショップを見る(約7分間)

(ダウンロードするか、iTunes for mac/winで見てください。)

本日は、龍谷大学で大学教育学会が開催された。開催校の河村能夫先生とは、以前からNPOやインターンシップで一緒に仕事しているし、近藤久雄先生とは、いろいろと親切にしていただいている。初日の初年次教育ワークショップでは浜名篤さんがファシリテーションを取り入れた手法で展開されていた。理論的な説明が盛りだくさんだったので、ワークショップ自体の時間が足りなかったのだが、学会でこうした形式を導入されることには賛同したい。本当は、私がしなくちゃいけないことなのにと思いながらも、楽しんで参加した。一部は上記の動画ファイルで見られます。

ワークショップでグループを組んだメンバーの一人が東京大学の岡田晃枝さんだった。彼女の名前は以前学会誌で見たことがあるのだが、専門分野が私と同じ国際関係論であった。大学教育の世界で、法学分野の研究者と出会ったのは初めてであった。研究以外にも多彩な才能を持っておられるようで、教養学部教養教育担当教員として仕事されるとのこと。ご健闘を祈りたい。

その他にも以前から懇意にさせていただいている体育の奈良雅之先生が、鍼灸師の資格を取得されたとのこと。昼間は通常業務をこなしながら、夜間に数年間専門学校に通学された成果として新しい人生を歩み始めておられる。私も、少しまとまった研修を積みたいと考えているので、大変励みになった。

今から老後を考えるよりも、今でも新しいことができないかと考え、実践できることが私の強みだと思う。大学院時代の蓄積だけで人生を過ごすよりも、もっと新しくて意味のある人生があるはずだ。若者から、次々と新しい刺激がやってくるので、これらを受けとめたいと思う。

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武井杉作君が「地方の時代」映像祭入選!

山形で野外ゲリラ映画祭を開催したのだが、その時に上映した作品が「地方の時代」映像祭に入選した。

監督の武井杉作君(すぎちゃま)から今日連絡があった。明日1日に授賞式・レセプションがあり、2日に記念上映されるとのこと。素晴らしい!

うれしいね。彼は、美男子で、物怖じしないが、ちょっと狂気じみた才能がある。亡くなった彼の親友と出会って開花したのだろう。いいテーマといい出演者に恵まれたことが受賞理由であろう。とても初監督作品とは思えない。このテーマは重いし、彼から離れることはないと思うが、でもそこから離れてこそ新しい世界が広がるのだと思う。

2日夜、東京に帰る途中に会えればいいなあ。

映画「与那国」について、以前に上映した模様がアップされていました。

また、本人が語った以下の文章もありました。


自作を語る

┃ ┃■『与那国』

┃ ┃■武井 杉作

┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

作品紹介

身近な人が死んだら、あなたはどうしますか?

高校時代の友人、菅谷周が亡くなりました。

この映画の監督である僕と、彼は当時、

共にコント映画を作るパートナーでした。

死は鏡となって、さまざまな人を映し出します。

統合失調症・ひきこもり・いじめ・過食・アル中・自殺未遂など、

生前彼が抱えていた問題を明らかにしつつ、

悲しみに暮れる家族、いじめを悔やむ旧友たち、それぞれの想いを、

高校時代に2人で作った映像を交えて追っていきます。

いるはずの人間がいない空間を、受け入れる過程は人それぞれ。

しかし、そこに通低する魂が、

与那国から微かに浮かび上がってきます。

製作日記

以下は、映像製作は全くの素人の俺が、イチから撮影して編集していくなかで感じ

たことの日記だ。

菅谷周が二年前の夏に亡くなったとき、彼を題材になにかを作ろうという気持ちは、

不思議なほど自然と沸いてきた。映画を作るのは本作で二度目、一度目は高校の頃。

まさしく菅谷と共に作ったコントだった。

当時の俺は、暗く激しい渦巻きのようなカオスに支配され、押しつぶされそうにな

っていた。菅谷は、そんな渦を共有できる唯一の人間だった。彼といることで渦は

幾分吐き出されて楽になった。自分と似てるなあ、と思った。そして菅谷は俺の居

場所になり、吐き出された渦をパッキングしようとコント映画を作ったのだった。

本作にも当時の映像は納めた。もちろん映画と呼べるほど洗練されたものではない

が、二人がいかに閉ざされた観念の世界で繋がれていたかがわかるはずだ。内省的

な狂気の匂い。

その後、映画作りはいずれ再開しようといいつつ二人は疎遠になり、俺は大学に進

学した。四年の月日が流れ、頭の渦は徐々に静まり、安定した生活を送っていた。

だが菅谷は違った。統合失調症に犯され、荒廃した生活を送っていた。死因は盲腸

の破裂だが、病時の大量の酒と薬で肝臓が弱っていた。

病気・ひきこもり・いじめ・過食・アル中・自殺未遂など、卒業後の彼が抱えてい

た問題を聞き知るにつれ、ふつふつと湧き上がってきたのは「何が彼を殺したん

だ?」という疑問だった。そして俺はカメラを手にした。

とはいえ、映像のテクニックなどなにもない。衝動のみで彼の身内にインタビュー

しまくった。カメラはブレまくり、マイクはつけ忘れ、字幕を多様するはめになっ

た。

撮影は三日で終わった。みんなが菅谷への想いをカメラの前で噴出するように語っ

てくれた。それはあまりにも圧倒的だった。

家族や友人はそれぞれ菅谷に対し違った見解を持っていた。しかし彼らの話に冷静

に耳を傾けて編集していくうちに、それらの解釈の奥に潜むものを感じた。つまり、

自分の中で菅谷という存在を位置づけることは、彼の死を受け入れるための手段だ

ったのだ。自分の中の菅谷周を語ることは、実は自分自身を語ることだった。そこ

に「答え」は存在しない。

独善ともいえる当初の撮影目的は失せ、俺の解釈も相対化された。撮影をはじめた

とき、俺は高校時代に感じていた孤独やもやもやを菅谷に投影し、彼を殺した何か

に深い憤りを感じていた。菅谷は、現実と自分自身のすり合わせができず、居場所

がなかった俺自身の鏡だったのだ。

そして目的は変わった。原因究明は既に意味を成さなくなった。しかし彼らが菅谷

を語るとき、そこにはそれぞれの想いがあった。学校が菅谷の抱えている問題に理

解を示さなかったと涙ながらに訴える母親、いじめていたことを深く後悔する友人

…とても言葉では表現できない、圧倒的な想い…それは「魂」だ。俺の目的は「答

え」ではなく、「魂」を伝えることだと思って編集を進めた。最も伝わると感じる

瞬間を、思い入れたっぷりに並べていった。できるだけ演出せずに、不明瞭な部分

すら大切に編集してきた。ワンフレーム単位で偏執的にこだわり、一年くらいかけ

て、ようやく二時間程度にまとまった。いるはずの人がいない空間を、うまく切り

取れたと思った。

上映したときの反応は、「長い」。失意の中また半年くらいかけて、身を切るよう

に一時間半まで削ってふたたび上映。その空間に共鳴する人は感動していた。それ

以外の人は「テーマがわからない」と言っていた。何かが足りなかった。それはた

だの記録映像に過ぎなかったのだ。

「過去の自分を菅谷に投影する武井杉作」という人間を意図的に作り出せたことは、

俺自身の成長だろう。だが「彼」は、なんの留保もなくそこにいて、他の登場人物

と同様、菅谷への想いをとりとめもなく語っていた。足りないのは、「そこから成

長し、それぞれの『魂』に胸を打たれる、編集時の武井杉作」の視点だった。それ

があって初めて、客観的な視点が成立する。

もしかしたら、素材が圧倒的過ぎて、自分のフィルターを通すのが怖かったのかも

しれない。彼らの「魂」と対峙することや、自分自身と向き合うことから逃げてた

のかもしれない。しかし何度も何度も見直しては考えていくうちに、そこを超えて

第三者として見られるようになった。「武井杉作の成長」という流れに沿って編集

し直したら、それからはあっという間だった。流れはくっきりと輪郭を帯び、テー

マは伝わりやすくなり、空気感を濁すこともなく、贅肉は削ぎ落とされた。たった

一週間の編集で一時間強にまでなった。それは撮影開始から二年近く経って俺がよ

うやく辿り着いた境地だった。

というわけで、この映画は高校時代から撮影開始を経て今までの、俺の成長記録で

もある。作品の編集とは、まさしく自分を見つめる作業だと思う。自分の変化が、

そのまま反映されていく様はエキサイティングだ。

この映画を見た方に、少しでも「魂」が届けばと思う。

☆『与那国』(2006年、DVD、65分)監督・撮影・編集・音楽:武井杉作、主演・

音楽:菅谷周

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