山形で野外ゲリラ映画祭を開催したのだが、その時に上映した作品が「地方の時代」映像祭に入選した。
監督の武井杉作君(すぎちゃま)から今日連絡があった。明日1日に授賞式・レセプションがあり、2日に記念上映されるとのこと。素晴らしい!
うれしいね。彼は、美男子で、物怖じしないが、ちょっと狂気じみた才能がある。亡くなった彼の親友と出会って開花したのだろう。いいテーマといい出演者に恵まれたことが受賞理由であろう。とても初監督作品とは思えない。このテーマは重いし、彼から離れることはないと思うが、でもそこから離れてこそ新しい世界が広がるのだと思う。
2日夜、東京に帰る途中に会えればいいなあ。
映画「与那国」について、以前に上映した模様がアップされていました。
また、本人が語った以下の文章もありました。
自作を語る
┃ ┃■『与那国』
┃ ┃■武井 杉作
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作品紹介
身近な人が死んだら、あなたはどうしますか?
高校時代の友人、菅谷周が亡くなりました。
この映画の監督である僕と、彼は当時、
共にコント映画を作るパートナーでした。
死は鏡となって、さまざまな人を映し出します。
統合失調症・ひきこもり・いじめ・過食・アル中・自殺未遂など、
生前彼が抱えていた問題を明らかにしつつ、
悲しみに暮れる家族、いじめを悔やむ旧友たち、それぞれの想いを、
高校時代に2人で作った映像を交えて追っていきます。
いるはずの人間がいない空間を、受け入れる過程は人それぞれ。
しかし、そこに通低する魂が、
与那国から微かに浮かび上がってきます。
製作日記
以下は、映像製作は全くの素人の俺が、イチから撮影して編集していくなかで感じ
たことの日記だ。
菅谷周が二年前の夏に亡くなったとき、彼を題材になにかを作ろうという気持ちは、
不思議なほど自然と沸いてきた。映画を作るのは本作で二度目、一度目は高校の頃。
まさしく菅谷と共に作ったコントだった。
当時の俺は、暗く激しい渦巻きのようなカオスに支配され、押しつぶされそうにな
っていた。菅谷は、そんな渦を共有できる唯一の人間だった。彼といることで渦は
幾分吐き出されて楽になった。自分と似てるなあ、と思った。そして菅谷は俺の居
場所になり、吐き出された渦をパッキングしようとコント映画を作ったのだった。
本作にも当時の映像は納めた。もちろん映画と呼べるほど洗練されたものではない
が、二人がいかに閉ざされた観念の世界で繋がれていたかがわかるはずだ。内省的
な狂気の匂い。
その後、映画作りはいずれ再開しようといいつつ二人は疎遠になり、俺は大学に進
学した。四年の月日が流れ、頭の渦は徐々に静まり、安定した生活を送っていた。
だが菅谷は違った。統合失調症に犯され、荒廃した生活を送っていた。死因は盲腸
の破裂だが、病時の大量の酒と薬で肝臓が弱っていた。
病気・ひきこもり・いじめ・過食・アル中・自殺未遂など、卒業後の彼が抱えてい
た問題を聞き知るにつれ、ふつふつと湧き上がってきたのは「何が彼を殺したん
だ?」という疑問だった。そして俺はカメラを手にした。
とはいえ、映像のテクニックなどなにもない。衝動のみで彼の身内にインタビュー
しまくった。カメラはブレまくり、マイクはつけ忘れ、字幕を多様するはめになっ
た。
撮影は三日で終わった。みんなが菅谷への想いをカメラの前で噴出するように語っ
てくれた。それはあまりにも圧倒的だった。
家族や友人はそれぞれ菅谷に対し違った見解を持っていた。しかし彼らの話に冷静
に耳を傾けて編集していくうちに、それらの解釈の奥に潜むものを感じた。つまり、
自分の中で菅谷という存在を位置づけることは、彼の死を受け入れるための手段だ
ったのだ。自分の中の菅谷周を語ることは、実は自分自身を語ることだった。そこ
に「答え」は存在しない。
独善ともいえる当初の撮影目的は失せ、俺の解釈も相対化された。撮影をはじめた
とき、俺は高校時代に感じていた孤独やもやもやを菅谷に投影し、彼を殺した何か
に深い憤りを感じていた。菅谷は、現実と自分自身のすり合わせができず、居場所
がなかった俺自身の鏡だったのだ。
そして目的は変わった。原因究明は既に意味を成さなくなった。しかし彼らが菅谷
を語るとき、そこにはそれぞれの想いがあった。学校が菅谷の抱えている問題に理
解を示さなかったと涙ながらに訴える母親、いじめていたことを深く後悔する友人
…とても言葉では表現できない、圧倒的な想い…それは「魂」だ。俺の目的は「答
え」ではなく、「魂」を伝えることだと思って編集を進めた。最も伝わると感じる
瞬間を、思い入れたっぷりに並べていった。できるだけ演出せずに、不明瞭な部分
すら大切に編集してきた。ワンフレーム単位で偏執的にこだわり、一年くらいかけ
て、ようやく二時間程度にまとまった。いるはずの人がいない空間を、うまく切り
取れたと思った。
上映したときの反応は、「長い」。失意の中また半年くらいかけて、身を切るよう
に一時間半まで削ってふたたび上映。その空間に共鳴する人は感動していた。それ
以外の人は「テーマがわからない」と言っていた。何かが足りなかった。それはた
だの記録映像に過ぎなかったのだ。
「過去の自分を菅谷に投影する武井杉作」という人間を意図的に作り出せたことは、
俺自身の成長だろう。だが「彼」は、なんの留保もなくそこにいて、他の登場人物
と同様、菅谷への想いをとりとめもなく語っていた。足りないのは、「そこから成
長し、それぞれの『魂』に胸を打たれる、編集時の武井杉作」の視点だった。それ
があって初めて、客観的な視点が成立する。
もしかしたら、素材が圧倒的過ぎて、自分のフィルターを通すのが怖かったのかも
しれない。彼らの「魂」と対峙することや、自分自身と向き合うことから逃げてた
のかもしれない。しかし何度も何度も見直しては考えていくうちに、そこを超えて
第三者として見られるようになった。「武井杉作の成長」という流れに沿って編集
し直したら、それからはあっという間だった。流れはくっきりと輪郭を帯び、テー
マは伝わりやすくなり、空気感を濁すこともなく、贅肉は削ぎ落とされた。たった
一週間の編集で一時間強にまでなった。それは撮影開始から二年近く経って俺がよ
うやく辿り着いた境地だった。
というわけで、この映画は高校時代から撮影開始を経て今までの、俺の成長記録で
もある。作品の編集とは、まさしく自分を見つめる作業だと思う。自分の変化が、
そのまま反映されていく様はエキサイティングだ。
この映画を見た方に、少しでも「魂」が届けばと思う。
☆『与那国』(2006年、DVD、65分)監督・撮影・編集・音楽:武井杉作、主演・
音楽:菅谷周