雑誌『ブレーン』に、精華大の授業が大きく紹介された

京都精華大学から大学コンソーシアム京都に出向して提供している授業「クリエイティブの可能性」は、大変好評の内に終わった。後期は、キリンビバレジ(KBC)社と協同で授業を展開した。

同社の缶コーヒー「Fire」無糖炭酸飲料「Nuda」は、若者向けには食い込みが今ひとつなので、京都の大学生が自らの生活にフィットした商品企画を練ることになった。KBCと京都精華大とをつないでくれたのは、大手広告代理店の敏腕社員小林さんと、以前から授業を担当してくれている石川さんである。

KBCさんとしては、一大学の学生ではなく、京都全域からの大学生が集まる授業で商品企画を練ることに大きなメリットを感じている。また、もちろん、単なる学生の意見を聞くだけでなく、百名単位での学生に対して、詳細な質問項目の入ったアンケートなどを実施して、データ的な裏付けのある分析をおこなう。これらを元にして、12月学内での最終プレゼンに望んだ。

会場である精華大の講義室には、受講生と担当教員以外にも、KBC関係者と広告代理店関係者、それに精華大教員や大学コンソーシアム京都事務局幹部も参加して、プレゼンに対する質疑応答をおこなった。

いずれのチームのプレゼンも、アンケート調査の結果という裏付けから出発して、それと大学生のライフスタイルやチームの議論を織り交ぜて、斬新な内容であった。よく調べて、よく議論した、というだけでなく、どのチームもどことなく笑いが出るようなほんわかしたプレゼンであった。

意欲のある学生がプレゼンする場合、ビジネス的な堅めの発表が多い。しかし、そこにはあまり学生のよさが出ないことが多い。それに対して、彼らのプレゼンは、聞いていても楽しいし、合計4時間以上続いたプレゼン発表だが、まったく飽きなかった。これが彼らの強みだと思う。

KBC社員さんは、12月の学内プレゼンを聞いて、どれかのチームをセレクションしようと考えていた。しかし、お世辞抜きでどのチームもレベルが高いので、1月にKBC本社に四チームすべての代表を呼び、担当部局全員が彼らのプレゼンを聞かさるという判断を下した。4時間以上のプレゼンがおこなわれたが、業務があるにもかかわらず、ほぼ全員熱心に聞いてくれた。

その場に、雑誌「ブレーン」の編集者が傍聴に来てくれて、今月号の同誌に見開き二ページの記事として掲載された。記事をスキャンして画像ファイルにしたのがこの写真である。学生の表情もうまく掴んでくれて、大変いい記事だと思う。

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さあ、来年に向けてまたさらなるバージョンアップを検討しよう。

追記:プレゼン内容については、KBCさんとの秘密保持契約によって明らかにすることはできない。

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「おくりびと」と青木新門さん

納棺夫日記 (文春文庫)

納棺夫日記 (文春文庫)

  • 作者: 青木新門
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: 文庫
  • 購入: 17人 クリック: 67回

私は、何事も早めに知り合いになるのを得意にしているのだが、そういうチャンスがありながらも、親しくならなかった人が二人いる。

一人は、i-modeのリーダであった松永真理さんである。i-modeが1999年2月に発売になり、私は、同年9月に学会のセミナーでお会いしている。彼女の発表後、軽井沢のホテルで深夜までみんなといたのだが、直接話さなかった。理由は、携帯メールがあまり好きじゃなかったから。今から考えると、偏見で物事をとらえていて失敗したと思う。

もう一人は、青木新門さんである。彼とは、私が富山にいた時に、何度となく会っている。彼は、詩人なので、彼と親しい友人もたくさんいた。富山には、街の仕掛け人や文化人が集まるバーや会合があって、私もその仲間に入れてもらっていた。青木さんは、カラオケが好きで、歌い出すと、止まらない。早稲田大学卒の文化人らしくシャンソンや外国の歌が大好きだった。彼が冠婚葬祭会社の重役であることは知っていた。救急車ではなく、民間企業による福祉車両で老人や負傷者を送る事業を始めようとしていて、行政の前例主義や四角四面の対応をなんとかクリアして、事業を始めたことも聞いていた。また、この会社は、近年は、ホテル事業にも乗り出していて、他府県にも広がっている。もっとも、京都にあるホテルはもう一つだけど。

その青木さんが、1993年に『納棺夫日記』を桂書房から出されたことも富山で聞いていた。地元出版社「桂書房」の社主は、知り合いであり、彼の話を聞いていた。この本が、やがて全国的な話題になるにつれて、文藝春秋から発売されるにいたって、不動の地位を得た。この原作は、マンガにもなっている。精華大学マンガ学部の教員である漫画家のさそうあきらさんがマンガ『おくりびと』を書いている。さそうさんは、二年前に大学付近で殺害された学生の犯人逮捕のために、冊子を作っている。

話を戻そう。青木さんの近くにいながらも、ならなかった理由ははっきりしている。彼は、人格的にもすぐれているのであるが、なんとなく職業に対する偏見があったのだと思う。本当に惜しいことをした。

先日、映画『おくりびと』を見た。封切り上映中は、京都メディフェスの最中でとても行ける余裕がなかったのだが、先日、ふと映画に行こうと思ったら、また上映されていることを知って、見た。アカデミー賞ノミネートのおかげだ。

親の介護を経験していると、この映画が実に違和感なく見られた。死にいたる最後の局面での人間を見ていると、その死と人生が見えてくる。介護でも葬儀でも、親族や知り合いの情だけで抱えるにはあまりにも重すぎる。もちろん、以前はすべてこれらは親族が負担していたのだが、もう親族にはその余力が残っていない。それは、どの家でも同じだろう。そこで、全体の流れをプロフェッショナルにまかせて、医療や葬儀を運営してもらい、親族はその流れの中に乗ることしかないのではないかと思う。プロフェッショナルに求められるのは、愛情ではなく、金銭を媒介とした冷静かつ、専門的な仕事ぶりである。それだからこそ親族は感謝をし、かつ涙するのである。

「プロフェッショナルに求められるのは、愛情ではなく、金銭を媒介とした、冷静かつ、専門的な仕事ぶりである」とすれば、他の職業にも広げられるのではないか。ファシリテーションでも、実は同じ事をしている。クライアントに対して、ファシリテーターは、同情や共感を元に動くことはしない。むしろ、クライアントにあわせながらも、実は、かなり冷静で、専門的な仕事を求められているのである。

「おくりびと」から、青木新門さんへ、そこから、親を経て、最後は自分に戻ってきた流れができて、自分の置かれている位置が明確になった。社会の中で、自分を内からと、外からの両方で見られると、現状がどうあれ、気持ちがすっきりする。次への活力が沸いてくる気がする。

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追悼 原総一郎さん

今日、横浜の知り合いから原総一郎さんが死去されたとの弔報があった。

原さんの肩書きを紹介するのに、どれを使えばいいのかに迷う。彼の略歴を見ても、実にいろいろの関わりをされているので、一言では表現しにくい。しかし、「横浜」「市民メディア」「情報誌ぱど」などは欠かせないと思う。

私が、原さんと初めてお会いしたのは、市民メディア全国交流集会熊本大会の頃だったと思う。原さんは、全国の運動の中で、マスメディアとは異なった、市民メディアの重要性について切々と語っておられ、2006年上記横浜集会の事務局長を務められた。

私は、彼があまりにも実直に仕事をこなされるのを見て、たまりかねて、「原さん、少し休んでください。原さんは、いま休んでもらわないと、その後がきついですので」と言った記憶がある。彼は、私の言葉に少し会釈しながらも、少し休むとすぐ仕事に戻られた姿を見て、もはや何も言えないと思った。

昨年の京都メディアフェス・プレイベントにも、ゲストで来ていただき、市民の運動とそれを取り巻く状況について熱っぽく語っておられる姿が目に焼き付いている。

享年48歳。

あまりにも早すぎるではないか。あなたがここにいないことが、どれだけ私に喪失感をもたらすことか?

まだ、やることがある。いや、まだまだです。

あなたが敷いた道は、花に囲まれ、誰でもが楽しそうに通れる道になっている。でも、あなたの前にある空間は、雑木が覆い茂って、誰も通れない道である。われわれは、その前でうちひしがれている。

しかし、しかし、あなたは、それを一本一本ずつ切り出していくすべを我々に教えてくれていた。

そうだ。その記憶を頼りに、雑木の向こうには、あなたの透き通った顔が見えるはずだ。

あなたを失ったことは、我々の心を悲しみに包む。しかし、あなたの存在自体は、我々を決して悲しませることはない。われわれに見えるのは、ただ、あなたの笑顔と、たぐいまれな暖かさである。

それを頼りに、われわれはひるむことはありません。

ありがとう。

新しい「門」を超えたあなたに!

合掌。

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日本をすいっと飛び越える女性発見! 難民ナウが飛躍する

今週月曜日に、メディアフォーラムでカンボジアで日本紹介ラジオ番組を作っておられる門倉さんが話された。カンボジア語も話せないのに、興味を持ったら、現地に行ってしまい、そこでボランティア活動をした。

初めは、現地に役立つこととして、選挙監視活動や子供に対する支援をしていたが、それらの課題の大きさに行き詰まった。その時、現地の人が、日本のことを知りたいことがわかり、日本紹介番組を始めることになった。人材、資金、政府の許可など障害もあったが、なんとか継続して今日に至っているとのこと。

日本国内で日本や地域の話題をテーマにした番組を作っても、よほどのことがない限り、聞いてくれない。しかし、日本の情報が少なく、日本に対する興味のある国だと、聞いてくれる。こうしたことを発見したことが重要だ。

しかも、これを主催する門倉さんは、英語は達者だが、カンボジア語は不十分とのことで、その意味では現地の人に伝える言葉を持っていない。しかし、協力者を得て、現在は日本から毎週番組素材を現地に送って、放送を続けているとのこと。

門倉さんを呼んでくれたのは、難民ナウの宗田さんである。難民ナウは、難民問題ではそれなりに知名度があるが、海外から直接のコンタクトを得ることはしていない。今回のラジオ番組をきっかけに難民ナウがさらに新しい飛躍をすることと思う。それに対して、私も協力しようと思う。

若者は、国境をすいっと越えてしまう。そして、誰もができないことをいとも簡単にやってしまう。いい話だった。

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2月にオープンハウスバサール開催

引っ越しの時に、日本では家具をそのまま持って行くので、大荷物になる。しかし、海外では、引っ越しの時に不要品を売り払らって身軽にするバザールを開催することがよくおこなわれます。

私の場合は、引っ越しではないのですが、実家にある不要品を学生にもらってもらう趣向です。既に何度か書いていますが、仕事が忙しい中で、親の介護が一気にやってきててんてこ舞いでした。

ただ、介護が苦しいと言っても、それが続くと慣れるものです。確かに気が滅入ることは多いですが、その中でもこれまで体験しなかった世界に徐々に自分が適用できて、人間の接し方に広がりが出てきました。それは、これまでワークショップやファシリテーションを学んできたおかげです。

2月に実家で開催するバザールの参加者は、スペースの関係上、私がこれまで出会ってきた授業やインターンシップの学生限定となります。

バサールの開催趣旨を以下のように書き留めました。参加者に特化した情報は省いて、抜粋だけをお知らせします。

試験前、就職活動を前にしている愛する学生の皆様へ

今年度の締めくくりとして、大学を超えて活躍する学生同士をさらに結びつけて、新たなチャンスを開く場を提供します。

バザール開催場所は、筒井の実家です。「**」駅から徒歩二分にある家です。私は、父と折り合いが悪く、長く絶縁状態にあったのですが、昨秋、父が認知症で、突然、入院生活に入ることで、両親の介護を余儀なくされました。

そこで、実家に久しぶりに戻ったのですが、家の様子は一変していました。かつて手入れの行き届いた庭は、雑草や雑木が荒れ放題で、もはや見る影もなくなっていました。近所迷惑なので、それらを四日かけて伐採しました。また、腰が抜けるほど働いて、室内にある父の不要品を捨てました。その仕事は、私一人ではとても無理で、家族が一致協力しました。しかし、まだ、室内には、服、シャツ、コート、本などが残っています。なかには、このまま捨ててしまうのがもったいない物もあります。

そこで、私は決意しました。

これは、単に一家族が介護の悩みとして終わらせるのではなく、これまで知り合った学生を交えて、三世代(高齢者、中年、若者)をつなぐライフヒストリーにしよう、と思いました。一家族が親の介護で悩み続け、実家に残された品物をただ捨てることはよくあります。しかし、捨てるのではなく、これらを若者に引き継いでもらい、そこに新しい生命を吹き込んでもらおうという試みです。私の実家で、学生の交流の場を提供すると同時に、フリーバザールを開催して、好きな物を持って帰ってもらいます。

料理や飲み物は、私達が準備します。伐採した雑木を燃料にして、かまどで焼くバーベキュー、ダッチオーブンで焼く鳥の丸焼きやスペアリブ、鉄鍋で焼くパエリア、焼き芋などを準備します。

ただ、準備したものだけでは足りないので、参加者は、食べ物か飲み物を一品持ち寄ってください。洗い物を少なくするために、箸、皿、コップなども各自持参してください。

こうした料理を糧にして、参加した学生の成果を披露してもらいましょう。これまで授業やインターンシップで取り組んだ内容を15分間で伝えてください。初めて聞いた学生は、その素晴らしさにきっとびっくりすることでしょう。

熱の入ったプレゼンの合間には、参加者によるミニコンサートも考えています。アコースティックがいいですね。

さあ、いよいよメインイベントは、オープンハウスバサールです。実家に残された品物の中から、お好きな物を持って帰ってください。紳士物が中心ですが、婦人物も準備します。もちろん、それらを持ち帰るための、入れ物を忘れないようにね。

(以下、略)

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カンボジアで、日本紹介ラジオ番組が始まっている

月一回、京都三条ラジオカフェで開催している「京都メディアフォーラム」だが、

今月19日(月)は、海外で取り組んでいるラジオ番組制作者・門倉若菜さんの登場である。

カンボジアで日本語指導や市民社会形成のための活動をされていた中で、ラジオ番組の制作を思いついたとのこと。今回は、『難民ナウ!』の宗田勝也が紹介くださって、例会ゲストで来られることになった。たまたま帰国されているとのことで、絶好のタイミングだった。実は、この門倉さんとは、間接的につながっている気がしている。当日、本人にお会いして、確かめてみよう。

是非ご参加ください。

□■□第45回 京都メディアフォーラム■□■

◆テーマ

「ラジオが結ぶカンボジアと日本の未来

〜スバエンヨル・プロテ・チャポン!(ディスカバー・ジャパン!)の報告〜」

カンボジアの三都市で日本の文化や社会情勢などを紹介しているラジオ番組

「スバエンヨル・プロテ・チャポン!(ディスカバー・ジャパン!)」。

視聴者との交流を重視し、日本の若者文化にも触れたいカンボジア人と、

「カンボジア=貧困」という負のイメージを持つ日本人の双方が、

新しい関係を築く試みとして注目されています。

番組の制作は、社会人として働く一方で「日本」をキーワードに

両国の架け橋になりたいという大きな夢を語る門倉若菜さんです。

今回は、神奈川から門倉さんをお迎えしラジオの可能性についてわいわいと議論し

ます。皆さまのご参加をお待ちしています!

◆ゲスト

◇門倉若菜(チーム・ボイスオブジャパン・カンボジア代表)

1979(昭和54)年、神奈川県相模原市生まれ。

短大時代に定住インドシナ難民に日本語等の指導を行う。

彼らの祖国を訪れて以来、カンボジアに「ハマる」。

大学在学中にNPOインターバンドで総選挙監視活動、

除隊兵士支援活動のカンボジアプロジェクトに従事。

その後NPO国境なき子どもたちで同国に約1年間駐在。

これらの経験を基に2007年”カンボジア語による日本紹介ラジオ番組”を開始し、

現在も同国の主要3都市で好評放送中。

今後、同番組を他国でも実施するべく目下準備中。

2008年(社)日本青年会議所主催『人間力大賞』準グランプリ、外務大臣奨励賞

受賞。

■日時:2009年1月19日(月) 19:00〜21:00 (18:30〜受付開始)

※18:55までに会場にお集り下さい。

■場所:京都三条ラジオカフェ

(〒604-8082 京都市中京区三条通御幸町角1928ビル1F)

■参加費:例会 一般1,000円学生500円

(1ドリンク付)

例会後、懇親をを企画しております。

会費は参加費とは別途必要となります。奮ってご参加下さい。

参加費:一般2,000円 学生1,000円(飲食代)

※定員30名(先着順) 定員に達し次第締切らせて頂きますのでご了承下さい。

参加お申し込みは、氏名/連絡先/所属/懇親会への参加の有無を必ず明記の上、

「京都メディアフォーラム」事務局までメールにてお願い致します。

メール確認後参加受付のメールを事務局太田より、配信させて頂きます。

■e-mail: mf@radiocafe.jp

主催:京都メディアフォーラム

京都コミュニティ放送活性化研究会

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就活や学びの極意を、「ドラゴン桜」外伝モデルが語るー1月16日精華大で講演会ー

マンガ「ドラゴン桜」作者の三田紀房さんは、「ドラゴン桜」をさらに成長させたいようだ。三田さんは、時代の流れを掴むのがうまい。大学にとっては、ありがたい存在だ。

学生が就職活動を前にすると、とたんに悩みが深くなる。

「いったい自分は何をしてきたのか?」

「大学生活と企業・社会とは、何がつながっているのか?」

「卒業後は、趣味を中心にして、仕事は適当にしたいと思っているが、それが可能か」

などいろいろ考えている。

そんな悩みをマンガ「モーニング」連載中のマンガ「エンゼルバンク」のモデルである、海老原嗣生さんに聞いてみよう。

海老原さんは、リクルートエイブリックでコピーライターとして活躍後、リクルートワークス研究所の「WORKS」編集長を務めた後、リクルート社の人事関連の専門雑誌「HRmics」編集長として活躍している。

海老原さんとは、昨年、知り合いの紹介で出会ったが、ジーパンにラフな格好で現れて、次々新鮮なアイデアを提供してくれるので、一気に好きになった。また、彼が有望株だと思っている学者が私の知り合いであったことも奇遇なつながりだった。

以下の講演会に是非おいでください。

なお、タイトルの「クリエイティブは簡単だ!」は、芸術系を意味しているのではなく、学びもビジネスも、そして就職活動も、クリエイティブな発想が大切であることを言っています。

京都精華大学人文学部講演会

タイトル:クリエイティブは簡単だ!

日時  :1月16日(金)午後6時30分〜

場所  :京都精華大学 L-101教室

アクセス:

 http://www.kyoto-seika.ac.jp/access/index.php

連絡先 :京都精華大学人文学部教務課 (075)702 5339

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松本隆さんの講演会詳細

昨年6月25日、京都精華大学で行われた講演会の概要はすでに過去のブログでお知らせしたが、私の手元には対談を収録したビデオが残っていたのを忘れていた。めったに講演をしないタイプなので、貴重な映像になるはずだ。

昨12月にYoko Onoを迎えた精華大学長だが、松本隆さんとは対談相手を務めた。対談直前に、私のゼミ生が学長にインタビューしている。そのビデオも残っていた。正月のスペシャル企画として、これらをお届けする。

http://www.stickam.jp/video/178617440:title=

学長への事前インタビュー映像]

大学創立40周年記念イベントの趣旨や松本さんへのコンタクトなどについて語っている。

松本隆さんの講演(対談相手:精華大学長)前半

1970年代日本のロックミュージシャンの動きからはっぴんえんど結成。そして、作詞家への転身などを語っている。

松本隆さんの講演後半

作詞家に転身して、歌謡曲の世界への転身を図り、松田聖子のヒット曲を連発したり、ベストテンにも何曲も登場したりという作曲の「量」を目指した時代を語っている。対談では、1980年代を中心に語ったので、90年代にまで行かなかった。時間がなくなったので、最近の話題と言うことで、オペラへと舵を切っている話をしてくれた。京都との関連で言うと、昨年11月に上演された源氏物語千年記念オペラの曲を提供している。

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今年の目標:より若者の中に入ろう

新年あけましておめでとうございます。

昨年の目標は、才能のある若者との出会いを大切にすることであった。

今年は、それをさらに進めて、より若者の中に入り、具体的な形にすることを目標にする。どういう形になるかはまだわからないが、それを目標にしていきたい。

なぜ若者にこだわるのかは簡単だ。私の知り合いで上の世代がそろそろ定年にかかってきたため、今後、仕事上で遊んでくれる知り合いがますます減少してくるだろう。そこで、遊んでくれる知り合いを増やすためには、付き合う世代を下げる必要があるためだ。今後、彼らが社会を作り替えていくだろうし、その動きを促進したいと思うからだ。

今年の目標は、ここまでにして、昨年の活動を振り返りたい。昨年は、論文などの活動よりも、編集作業やプロデュース業が主であった。その意味では、学者としては不十分だったが、プロデューサとしてはかなり充実していた。以下には、プロデューサの仕事は記していない。書けばいいのだけど、どう書けばいいのか迷っている。今年は、もう少し学者の仕事を増やす予定である。

【論文など】

  • 京都高等教育研究センタープロジェクト研究報告書『大学連合体における接続・導入教育の研究?』大学コンソーシアム京都、2008年3月。
  • 「日本語表現法の意義と今後の展望」『月刊言語』大修館、2008年3月。
  • 「授業方法としてのワークショップとelearning」『大学教育学会誌』第30巻第2号、2008年11月、62-64頁。
  • 「市民メディアの発展と市民の情報発信の高まり」『学びとコンピュータ ハンドブック』東京電機大学出版局、2008年10月。
  • 「大学における学びの変容とことばの教育」東北大学特色GP国際シンポジウム「『学びの転換』と言語・思考・表現」2009年3月(印刷中)。
  • 第6回高大連携教育フォーラム 『報告集』2009年3月(印刷中)。

【報告など】

  • ラウンドテーブル企画「授業方法としてのワークショップとelearning」大学教育学会、2008年6月7日
  • 発表「初年次教育と専門教育との接続ー「専門導入教育」の定義づけをめぐってー」大学教育学会、2008年6月8日。
  • 「仲間と向き合い、仲間と歩むこと。そして、あなたは喝采を受ける」京都文教大学『初年次演習』ファシリテーション、2008年6月28日。
  • 「メディア・ファシリテーション」『メディアコンテスト(MEDICAM)』、2008年8月28日。
  • 基調講演「大学における学びの変容とことばの教育」東北大学特色GP国際シンポジウム「『学びの転換』と言語・思考・表現」2008年10月31日。
  • 分科会企画・司会「特別推薦入試の課題とその克服」『高大連携教育フォーラム』、2008年12月5日。
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ヨーコ・オノ記者会見動画と、今年の終わりにあたって

今年は、なかなか大変な年でした。

30日にすべての仕事が終わってからは、茫然としてすべてのエネルギーが失われた感じです。

例年だと、年末年始には原稿の締切があって忙しくしているのですが、今年はそれがなくて本当に助かりました。

仕事上での振り返りは、正月になってからゆっくりしますが、両親の介護が突然やって来たことで、すべてがそれに振り回されました。幸い母が、小康状態を保っているのがありがたい。

いろいろ言われる介護保険制度ですが、もしこの制度がなかったら、もっと大変だったと思います。ただ、今回の場合、保険制度の狭間にいたので、なかなかその恩恵を受けられず、その分、こちらに負担となりました。

この状態がいつまで続くのかという不安が一番つらいのですが、来年になったら少し改善しそうとのこと。それを期待して、新しい年を迎えたいと思います。

ブログ自体は、11日のイベント報告以来書いてなかったのですが、ヨーコ・オノイベントの続報を載せておきます。イベント終了後には、記者会見があり、私も正式に申込みして出席が許可されました。また、このブログに記者会見の模様をアップする許可ももらったので、以下にアップします。

70歳半ばとは思えない元気な応対をするヨーコさんは、「あと20年生きます」と言っていました。その言葉に嘘はないでしょう。

なお、ここに掲載した写真は、公式カメラマンの作品である。講演会の最後には、音楽に合わせて踊り出すのですから、大した人です。

ヨーコ・オノ記者会見(京都精華大学、2008年12月10日)

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