物忘れ・紛失は、時間が解決する

96歳ともなると、物忘れや紛失が増えてきます。

 自立歩行ができて、整理整頓もやりすぎるくらいなので、自分で何かとやっていますが、どうすればいいかといろいろ考えます。

物忘れが起こってもわかってもらうように相手がわかるように何度も説明しています。これはこれでいろいろ対応策を考えます。

でも、紛失は私がまったく知らないところで起こるので困ります。母も紛失にはかなり困った様子です。

こちらができることは、母の行動範囲を限定しておけば、そのうち見つかるだろうという気持ちでいることです。自分でできることはできるだけやってもらっているのですが、あやふやなところで紛失が起こるとかなり悩むようです。

そこで、母の承諾の元で、次回からはこちらができるならばやるようにしています。自分がだんだんできなくなる悲しさはありますが、同時に、悩みから少し楽になったという気持ちも持っているようです(自分が介護状態になった時には、ここは悩むところです)。

でも、紛失した場所が狭いので、何日かすると出てきます。その時には、なくした時の落ち込みが想像できないくらい当たり前の顔をしています。

要は、紛失時と見つかった時とを合わせて考えると、こちらは紛失時にはあまり怒らず、「きっと見つかる」という楽観でいる方が良さそうです。時間がなんとかしてくれると思っているとなんとかなるもんです。

これは確か子供の育児の時にも似た気がします。こちら側が時間の感覚を変えていくと、なんとか行けます。そんなことを考えながら過ごしています。

といいながら、オンライン配信の仕事の時には、秒単位で考えることもありますが、ずっと続くわけでもありません。逆にそれが体験できることが心地いいです。

さあ、配信の下見に行ってきます。https://tsutsui-learning-lab.com/

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【「結果を求める時間」と、「結果を忘れる時間」】

96歳母の介護をする一方で、ライブ配信や大学の授業の仕事していると、時間への接し方が変わってきました。

2017年からやっている、ライブ配信サポート業務では、事前の入念な準備と本番でのドキドキした感を体験します。大会場、小会場、学会やセミナーなどのフォーマルな形式、逆に小規模な集まりでも、トラブルが起こった時にも、瞬時に最適解を求められる緊張感はなかなかやりがいがあります。

私のライブ配信の仕事は以下からわかります。https://tsutsui-learning-lab.com/

この時間は、「結果を求める時間」です。

流れている時間は、そのプロセスではなく、すべて結果に結びつくきます。ここでは、いかに瞬時に結果を出すのかを問われます。

その一方で、「結果を忘れる時間」もあります。介護していて思うのは、もし母がこちらが予期しないことや物をなくしてしまった時にわれわれがどうするのかを考える機会をくれていると思います。

母は、物を片付けたり、書き物したり、いろいろと忙しいです。そのおかげでさっきまであった物がよくなくなります。その時、私の心の中では、怒りがわきます。

でも、母なりの忙しさの中で、やったことがわかると、怒らないで他の形にしようと考えます。

そして、いつも思うのは、われわれは仕事の中で、結果を求められる仕事をしていると、相手にもそれを求めてしまう、ということです。

むしろ、結果を求めない、いや、結果を忘れて相手と対応することに専念すればもっと楽なのにと思います。忘れていると、しばらくして、結果がついて来ます。

たとえば、鍵や手紙などがどこかに行っていたことで母はたいそう悩んでいたとします、その時、「母さんは、この部屋以外に行ってないので、きっと見つかる。それまで気長に待ちましょう」というようにしています。

 すると、しばらくして見つかります。よかった、よかったです。

介護していて思うのは、人生では結果を求める時間がすべてではないことです。

自分の生活の中では、異なる時間が流れています。

いつも結果と結びつく時間ばかりではありません。それを教えてくれるのが、介護です。

自分の中での異なる時間の流れを感じて、大切にしたいと思います。

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【介護しても、なぜ相手に伝わらないのかという介護者のいらだちは、介護と生活の結びつきを感じることです】

「96歳母の介護をしている」というと、他人から「介護大変ですね」と言われます。それはその通りですが、そこで終わると意味がない。むしろ、自分が言ったことがうまく相手に伝わらなかったことをどうすればいいのかを考えています。

医者などが早口で話したことは母にほとんど伝わってないのですが、相手はわかったと思っている。そこが大きなネックです。

仮に伝わったとしても、それを母がしっかり理解して、それに対応した言葉や行動をできるかは別です。さらに、一度はできても、次もできるかどうかはもっとわからない。

たいていの人は、三、四度繰り返してできなければ、「何度言ったらわかるのか」とどなってしまいます。(私もたまにそういうことがあります。)

でも、最近わかってきたのが、どなることは相手が悪いので直せ!ということです。

でも、本当に相手に直ってほしいと思っていますか?

単に怒りをぶつけているだけじゃないの?

私はいろいろ手を尽くしてもうまくいかない時には、私の悲しさを正直に母に伝えるようにしています。母がわかってくれるかどうかは別にして、自分の気持ちを伝えています。でないと悲しくなるので。そんな時は私もかなり切羽詰まっていますが、ありがたいことに何回かに一度は母が理解してくれます。その時には、心を込めて母に感謝を伝えます。

次回がどうかはわからないにしても、今回やってくれたことが本当にありがたいです。そんなことを考えていると、介護の苦しさよりも、こちらができることに集中します。

私ができるのは、まずは体調管理と時間調整をすること、そして、介護業務を一人で抱え込まないことです。それによって、母を受け入れられるようになります。

もっと言うと、介護者の意思を伝えることに気持ちが傾きがちですが、むしろ介護される側の話しをじっくり聞く方が重要です。

母が気になっていることや不安感をじっくり聞いてあげることが一番効果があります。じっくり聞くことは介護者と被介護者との間をつなぐ「つぎな」になります。

これを体験したのが、母の介護です。でも、介護と自分とがつながっていることがわかったのは、実は介護ではなく、2013年から大学の授業でやってきたことです。

仕事から介護がわかるのは不思議ですが、日々の仕事で起こるフリクションは、介護でも起こることです。

介護も仕事も生活もすべてがつながっています。

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教師=教える人 ではなく、「場を創る人」

ダイアローグ研究の最大の成果は、いずれがどれだけ正しいかを示すことではなく、意見の異なる人・組織同士が話し合う土壌を創ることだと思う。


学会で、私が「教師=教える人 ではない」と言った時に、「教えなければ教師ではない」という強い違和感をもたれた。「教師=よりよく教える人」というのが多くの方々の望みなんだと思うし、それに向けてとてつもない努力をされているのも事実だ。

でも、これだと教師にさらなる負荷を与えることで教師の疲弊が止まらない。しかも、「よりよく教えられる」特定の教師だけが評価されて、それができない多くの教員はダメ教員となってしまう。

「教師=教える人」のジレンマから脱する方法はただ一つ。

「教師はもっと力を抜いてください。学生を指導しようと思わないで、まずは異なる人と一緒に話し合う場を創って下さい」です。

対立する意見のいずれかに熱狂するのではなく、話し合う場を創ることだと思うし、いずれが正しいかではなく、これができていない自分へのいさめとすべきだ。

専門職は得てしてその分野に専心するあまり、排他的になる。その時には、(たとえば)自分の体のどこかを軽くたたいて、集中をずらし、別の自分の視点で眺めることができればいい。そうした俯瞰視線を獲得することから始めてみようと思う。

昨今の現状を見るにつけ、大学教員としての私はどのように生きるのかを考えています。いい機会をもらっていると思います。

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【12/22 本年最後の授業公開。オンライン見学者募集!】

これまで順調に習得してきた学生が、自分たちが創りたい授業を創ろうと思って立ち止まっています。

「授業作りってかなり難しい!」


学生は今どうすればいいのか混乱しています。


その姿をほぼ毎回参加していただいている10名近くのオンライン見学者がおられます。仙台、東京、京都北部、京都市内はおろか、ドイツやフランスからも来ていただいています。


悩める学生を前にした見学者も悩んでおられます。


見学者はどのように学生に接すればいいのかです!


教師と学生の閉鎖的な学習空間が学びの基本であると信じている人にとっては、見学者の立ち位置は迷います。


でも、私のねらいは、見学者は迷ってほしいと思いますし、実はそのことは教師や専門家の立ち位置を振り返る機会になります。


はい、学びの空間に第三者が入ることでの変化に気づいてもらえればありがたいです。


12月22日(水)午後6〜7時半


今年最後の授業です。
迷いは学生だけでなく、実は見学者も悩みながら参加することが重要です。


なんか変な授業ですよね。


でも、生の学生が見られるし、あちこちから来られるボランティアや見学者もおられます。筒井はおまけです。


お申し込みはここからお願いします。。

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【12/8 オンライン第10回授業見学者募集! これまでの振り返りと学生グループによる授業作りの基礎作業】

毎回オンライン見学者の方が来ていただきありがとうございます。

初回からほぼ毎回参加していただける方も多く、初回から現在までの学生の変容をじっくり見ていただいていることに心から感謝いたします。

授業終了後には、当日授業の感想を述べ合うのですが、受講生も必ず何名か来てくれます。

授業を創ったり見学したりするだけでなく、受ける方も来て互いの側面を伝え合ういい機会です。

これまで見学者には学生の話を傾聴していただきましたが、ようやくコメントもしていただけます。学生がどのように授業を創っていくのかの迷いに是非コメントいただけるとありがたいです。

お申し込みいただいた方には、前日にZoomURLをお知らせいたします。

12月8日授業午後6〜7時半

https://peatix.com/event/3093493/view

お待ちしています。

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【12/1 オンライン授業見学者募集! 授業仕様書からの授業作り】

この授業では、教師は「教える人」ではなく、多様な関係者が集まって「対話をおこなう場を創る人」です。

したがって、教師が前面に出て進行することは最小限にして、学外からやって来た四名の授業ボランティアが学びの場を進行させていきます。

授業の最後には、学生チームによる授業を実際に作り、実施していきますが、今年の授業ボランティアは、そのために授業仕様書の作成を提案しています。

授業仕様書とは、

1.授業のゴール

2.授業の評価方法

3.授業の実施内容

と考えられます。

学生チームは、事前にこれを明確にした後に、授業作りをします。

授業仕様書の作成は、先週から始まり、第9回に完成します。

完成までには学生はいろいろ試行錯誤をしますが、そこに授業ボランティアや見学者の方も是非サポートください。

どのようなサポートが必要かについては、授業内で説明しますが、多くの方が来て頂けるとありがたいです。

授業は、12月1日(水)午後6〜7時半です。

以下からお申し込み下さい。

12月1日オンライン授業見学者募集!

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【10/6 京都工芸繊維大学第二回授業 オンライン見学者募集】

昨日が初回の授業でしたが、多くの見学者がお越しいただきありがとうございました。

気を良くしてさっそく二回目の授業見学募集をします。

初回は、N中等部職員の倉本龍さんが担当されました。チャットにハッシュタグを創るというありふれたことをテーマに取り上げて、徐々に参加者の気持ちを掘り起こしてくれました。

次回は、千田 瑛子さんの登場です。

第5週までは、自分の多様性と新しい発見をすることを目的としていますが、どのような授業になるのか楽しみです。

希望者は、以下からお申し込み下さい。https://peatix.com/event/3023892/view

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【ついに解禁 9/29 京都工芸繊維大学第一回授業見学者募集!】

9月29日から、京都工芸繊維大学「リーダーシップ基礎2」授業が始まります。

オンライン見学者募集です! 以下からお申し込み下さい。 https://peatix.com/event/2950187/view

この授業では、最後に学生チームが自分たちが作りたい授業を創ることが最終ゴールです。

授業を進行するのが、4名の授業ボランティアです。

既にお知らせした3名に加えて、 Kei Saitoさんが加わって4名で協力していきます。

齋藤渓さんは、大学卒業後に務めた会社(デロイト トーマツ コンサルティング)に承諾を取って、ボランティアでやってみたいという24歳の若者です。年齢も職種も違うからこそわれわれにはありがたい存在です。

他の三名の紹介です。

1.何とフランスでオンライン日本語学校(EKKA)代表の 千田 瑛子さんです。フランス語で育った子供に日本語を教えておられます。

 千田さんは、初の海外からのボランティアです。海外から工繊大生の授業に関わってくれる素敵な前例を作ってくれます。

2.前期授業に見学に来ていただいた縁で、後期授業でお手伝いをするつもりが、がっつり関わってくれるRika Yoshizawaさんです。フリーで企業向けのIT、ビジネス、学校での研究やコーディネーターをされています。これまでしっかりと計画されたプログラムを作っておられたのが、この授業準備の中で、学生の心が解放されることを目指しておられるのがとてもありがたいです。

3.私立高校の有名教師から、N高校に移り、探究学習もオンラン授業もみっちり経験して、9月からN中管理職として働いている 倉本 龍さんです。2014年にお目にかかって以来よく一緒に仕事していますが、まさかボランティアで来てくれるととは思わなかったという驚きの参加です。

来週以後の授業について、現在ボランティアの方が準備していますが、既存の枠にとどまらず、自分たちがやりたいことをやるという切れ味鋭い内容となります。 是非お越し下さい。

お申し込みは以下からです。

https://peatix.com/event/2950187/view

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仕事完成度100%神話からの脱却。そこにいる誰かと改善できる場を創りたい! 大谷大学授業ボランティア募集!

「仕事」では完璧さを求めて、プライベートではアバウトなタイプは一杯います。


そこで、

「なぜ仕事だと完璧さを求めて、プライベートだとそこそこなのですか?」

と尋ねると、

「仕事とプライベートは違うので、仕事は完璧さが大事です」

と答える場合が多いです。


もちろん、仕事に熱心になることはいいことなのですが、仕事への執着は、実は仕事自身への執着と共に、その熱意のかなりの部分は、周りに認められたい自分がいませんか?


「周りに認められたい自分」というといいですが、もしかしたら、「他の人に批判されるのが嫌、弱点を指摘されないようにする」ということはないでしょうか。


少なくともかつての私にとっては、「弱点を指摘されないように」頑張るということは大きな動機でした。


北海道大学の故山岸俊男さんが『信頼の構造』で、日本社会が、集団主義ではなく、むしろ集団内でのポジション獲得のための競争である」極めて個人主義的な競争の中にいることが明らかにされています。


要は、仕事に視野が向いているのではなく、自分の周りの同僚(同輩集団)に視野が向いています。こうした集団は競争相手なので、互いの弱点を見せまいとして、個人で完成度100%をめざします。


自分の弱みを見せないで完成度100%をめざすとすると、担当者の業務量は増大し、強制的な側面が強まります。こうした傾向が日本社会に一般的な気がしています。


学校の研究指定校や公開授業担当者は、弱点を見せまいとして、完璧な授業を目指します。担当者の努力や疲労度は半端じゃないです。


私がおこなう授業ボランティア中心の授業においては、これとは逆のことを目指します。


授業ボランティアが毎回の授業を設計されるのですが、その時には、「完成度を上げすぎないように」「ボランティア全員が全力で取り組まないような設計をするのではなく、全員で取り組まないでもできる緩い授業を目指して下さい」と言っています。


たとえば、ボランティアが3名いたら、2名だけできるような授業にしてほしいと思います。また、授業内容も詰め込みすぎないことや細かなところまで決めすぎないこともあります。


完成度を100%ではなく、そこそこに抑えると、逆にいいことがあります。改善点があれば、それをなんとかしようという人が出てきますし、その方に協力してもらって少しでも改善されればいいと思います。


完成度100%だと、他の人はただ誉めることしかできませんが、そこそこの完成度だと、他の人に協力を求めることで改善可能になります。


個人で頑張るのではなく、「そこにいる誰かと改善できる場を創ること」が大切です。
私の授業ではこれをめざしています。


9月22日から、大谷大学の授業が始まります。


授業ボランティア希望者がおられれば、以下のお読みの上でお知らせ下さい。
https://tsutsui-media.net/?p=3755
お待ちしています。

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