96歳ともなると、物忘れや紛失が増えてきます。
自立歩行ができて、整理整頓もやりすぎるくらいなので、自分で何かとやっていますが、どうすればいいかといろいろ考えます。
物忘れが起こってもわかってもらうように相手がわかるように何度も説明しています。これはこれでいろいろ対応策を考えます。
でも、紛失は私がまったく知らないところで起こるので困ります。母も紛失にはかなり困った様子です。
こちらができることは、母の行動範囲を限定しておけば、そのうち見つかるだろうという気持ちでいることです。自分でできることはできるだけやってもらっているのですが、あやふやなところで紛失が起こるとかなり悩むようです。
そこで、母の承諾の元で、次回からはこちらができるならばやるようにしています。自分がだんだんできなくなる悲しさはありますが、同時に、悩みから少し楽になったという気持ちも持っているようです(自分が介護状態になった時には、ここは悩むところです)。
でも、紛失した場所が狭いので、何日かすると出てきます。その時には、なくした時の落ち込みが想像できないくらい当たり前の顔をしています。
要は、紛失時と見つかった時とを合わせて考えると、こちらは紛失時にはあまり怒らず、「きっと見つかる」という楽観でいる方が良さそうです。時間がなんとかしてくれると思っているとなんとかなるもんです。
これは確か子供の育児の時にも似た気がします。こちら側が時間の感覚を変えていくと、なんとか行けます。そんなことを考えながら過ごしています。
といいながら、オンライン配信の仕事の時には、秒単位で考えることもありますが、ずっと続くわけでもありません。逆にそれが体験できることが心地いいです。
さあ、配信の下見に行ってきます。https://tsutsui-learning-lab.com/