ハイブリッド配信はすべての参加者が対等だ、という大いなる誤解ーオンライン参加者の孤独を理解しようー

オンライン配信は遠隔地の方々も参加できて参加者が一同に介します。参加者の顔、顔が写り、各地から来られる素晴らしい機会です。

2016年1月からZoomを使っている私にとってもそれは本当に衝撃的な体験でした。私は早くからそれに慣れ親しんでいました。

オンライン配信当初は、すべての参加者がオンラインだけの、いわゆる「完全オンライン」の参加でしたが、そのうちに、対面参加者何名かとオンライン参加者何名とかが一緒に参加する、いわゆる「ハイブリッド配信」も始まってきました。

参加者全員の顔が並んでいると、すべての参加者が対等に話しているように思えます。

しかし、それは幻想です!

対面参加者同士の話しはテレビ会議ツールなしで話せますが、オンライン参加者には聞こえないことも多いです。対面参加者同士だけで話しが盛り上がると、オンライン参加者がまったく置き去りにされてしまいます。オンライン参加者は孤独なんです。

会場にいる主催者や講師は、会場参加者だけを考えて、オンライン参加者をまったく無視することもあります。しかもこういう場合であっても、「対面もオンラインもみなさんお互いに対等ですよ」と誤解されていることも多いです。

正直に言いますが、
対面参加者とオンライン参加者とが対等に参加することはできません。
ただし、できるだけ対等にすることは可能です。
しかし、そのためには、技術的なサポートが必要です。

オンライン参加者を置き去りにしない技術的サポート(大規模な場合)をするためには、経費が必須です。
しかし、小規模な場合には、誰でもできるようになります。

どうしても置き去りになりやすいオンライン参加者の孤独感をどのようになくすのかを是非考えてください、必要ならば、いつでもご相談下さい。

完全オンラインでもハイブリッドでも、オンライン配信によって、距離の離れた方々と自由におはなしできればこれほど素晴らしいことはありません。

オンライン配信サポートは以下です。
https://tsutsui-learning-lab.com/

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10カメの切り換えオンライン配信

6月4日は、京都府歴彩館で開催されたハイブリッド学会の配信サポートでした。

500名会場なので、舞台袖と調整室とが離れているので、ケーブル敷設に手間がかかると思ったら、会場カメラが優れていたので、講演、シンポ、学会業務を含めると、カメラを10ポーズとスライド1カメを切り換えました。

 3名サポートなので、Zoom、Youtube、マイクなどを分担したので、スムーズに進行しました。

カメラ切り換え10ポーズは圧巻でした。舞台袖との打ち合わせもインカムでやれたので、本番を邪魔することなく裏方で打ち合わせできました。

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【介護中の大問題。補聴器の紛失。これを改善したい!】

一般に高齢化してくると、視力と歩行がネックになりますが、さらに聴力も気になります。

私の母の場合、96歳になっても裸眼で新聞を読んでいるし、歩行もできますので、むしろ問題は聴力の確保です。父が存命の時には、小ぶりのセルフメイドタイプを好んでいたので、高めの補聴器を買っていました。健康な時にはその方がよかったですが、紛失が頻繁になってくると、それがかえってやっかいです。

紛失した時の母の落胆ぶりは本当につらそうですし、高額であるがゆえに、私にももったいなさが沸いてきます。

本人の努力でなくさないことを求めるのは酷なので、なくさない工夫をしようと思いました。

ずばりGPS付補聴器です!

いろいろ捜しましたが、こういう製品はなかなか見つからない。ケアマネさんに相談して見つけてくれたのがこれです。

母はセルフメイドでないので装着が慣れないのですが、必ずストラップを服に付けてくれるので耳から補聴器がはずれてもなくしません。これだけでも大きな前進ですが、ストラップが外れていた場合でもGPSで捜索可能です。何度かそれで居場所がわかりました。

昨日紹介した、靴に付けるGPS付の見守りツールとこの補聴器があればなんとか捕捉可能です。

「どこにいるかわからない」

これほど恐ろしい事態はありません。それをふせげるだけで、どれだけ安心感を得られるかわかりません。

母の介護を通じて、私が介護される立場になった時にこうしてほしいと思うことが沸いてきます。それを少しでも実現していきたいと思っていますが、これは5年前から始めた対面授業の中にオンライン授業を実現したこととよく似ています。

「いつでも、どこでも、誰とでも学ぶ」という理想の実現のためには対面授業は窮屈です。その矛盾を見つめるよりも、対面授業の改善に奔走することがいかに馬鹿げているのかがわかれば、私が大学の授業だけでなく、オンライン配信サポートに乗り出すことも当然の帰結です

https://tsutsui-learning-lab.com/

介護することで、オンライン配信サポートの仕事が一層面白くなり、それが大学の授業改革へもつながっていきます。

現場にいる自分と、越境する自分が友に時代を生きていまる感覚を大切にしたいです。

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【2年間ほぼ毎夜30分間ひたすら雑談してわかったこと】

タイトルがいかにもな感じですが、コロナ禍の広がりの中で、学校が休校になった2020年3月初めに立ち上げて、現在まで2年以上も毎日続けています。午後8時半〜9時の30分間の「夜会」と呼んでいます。たまに用事で出られないときがありますが、それ以外は私がいます。私は毎日いるので、いつでもお越し下さい、というだけで、特段の目的もなくぶらっときてもらっています。

開設当初は、私がZoomのホスト経験があったので、どうすれば自分の周りの人と一緒にオンラインセミナーを立ち上げるのかという目的で来られた方が多かったです。別の機会に、Zoomオンランコイン講座(有料)を解説していたこともあり、その延長線上で尋ねられる方もおられました。それはそれで楽しかったですし、わからない場合には、参加者と一緒にあれこれと思案していました。

一年経った2021年には参加者もぐっと減り、一抹のさみしさを感じていました。継続するのか、辞めるのか、いろいろ考えましたが、そのまま継続しました。ただ、ここからの展開が面白いのですが、参加者がじり貧になって寂しくなることを変えてみようと思いました。自分が寂しいのに続ける必要もないですから。

そこで、「夜会」を開く意味を自分の生活リズムに合わせました。つまり、コロナ前までは、この時間は外出して居酒屋での宴会途中でした。ですが、今では外出してもこの時間までに戻ってきて「夜会」を迎えています。変更してもまったく困ることがありません。

夜会で話すテーマはまったく決めていませんが、来られた方との間で自然にテーマが決まります。よく来てくれる方であっても、初めての方であっても、私は特に困らなくなりました。互いの反応の中でテーマは自ずから決まってきますから。

もちろん、最初から相談や依頼が来ることもありますが、それも楽しいです。30分間のとりとめもない雑談の中から時々ずしんと重い何かが生まれます。ここが一番の魅力です。

これがいつ起こるのか、またいつもの日常を楽しむのかはそれぞれですが、来ていただく中で創り上げる物なのでしょう。目的は決めず、一日の終わりに30分間雑談する習慣を今後も楽しみにしています。

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【問いを作る前に、必ず話を聞くこと(傾聴)】 

教師が一方的に説明する授業が多いので、それを改善するためには、学生が考える、つまり「問いを作ること」が重要だとよく言われます。

「問いを作ること」は、学生が能動的に学習するといわれるので、あちこちで奨励されています。実は、私も以前はそう思ってきました。

でも、それを繰り返すと、話を聞く前に、事前に問いを考えたり、問い作りに集中して、話しを聞かなかったりして事例ができてきました。一部の理解力の足りない学生だとその可能性があるとも言われますが、私は違うと思います。

学生が自分で問いを作ることはいいにしても、その前に必ず相手の話をしっかりと聞くことを入れるべきだと思います。

話をしっかりと聞けば、それに賛成するかどうかにかかわらず、尋ねたくなります。

傾聴、傾聴、傾聴

ここを抜かさないでやっていくべきだと思います。

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物忘れ・紛失は、時間が解決する

96歳ともなると、物忘れや紛失が増えてきます。

 自立歩行ができて、整理整頓もやりすぎるくらいなので、自分で何かとやっていますが、どうすればいいかといろいろ考えます。

物忘れが起こってもわかってもらうように相手がわかるように何度も説明しています。これはこれでいろいろ対応策を考えます。

でも、紛失は私がまったく知らないところで起こるので困ります。母も紛失にはかなり困った様子です。

こちらができることは、母の行動範囲を限定しておけば、そのうち見つかるだろうという気持ちでいることです。自分でできることはできるだけやってもらっているのですが、あやふやなところで紛失が起こるとかなり悩むようです。

そこで、母の承諾の元で、次回からはこちらができるならばやるようにしています。自分がだんだんできなくなる悲しさはありますが、同時に、悩みから少し楽になったという気持ちも持っているようです(自分が介護状態になった時には、ここは悩むところです)。

でも、紛失した場所が狭いので、何日かすると出てきます。その時には、なくした時の落ち込みが想像できないくらい当たり前の顔をしています。

要は、紛失時と見つかった時とを合わせて考えると、こちらは紛失時にはあまり怒らず、「きっと見つかる」という楽観でいる方が良さそうです。時間がなんとかしてくれると思っているとなんとかなるもんです。

これは確か子供の育児の時にも似た気がします。こちら側が時間の感覚を変えていくと、なんとか行けます。そんなことを考えながら過ごしています。

といいながら、オンライン配信の仕事の時には、秒単位で考えることもありますが、ずっと続くわけでもありません。逆にそれが体験できることが心地いいです。

さあ、配信の下見に行ってきます。https://tsutsui-learning-lab.com/

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【「結果を求める時間」と、「結果を忘れる時間」】

96歳母の介護をする一方で、ライブ配信や大学の授業の仕事していると、時間への接し方が変わってきました。

2017年からやっている、ライブ配信サポート業務では、事前の入念な準備と本番でのドキドキした感を体験します。大会場、小会場、学会やセミナーなどのフォーマルな形式、逆に小規模な集まりでも、トラブルが起こった時にも、瞬時に最適解を求められる緊張感はなかなかやりがいがあります。

私のライブ配信の仕事は以下からわかります。https://tsutsui-learning-lab.com/

この時間は、「結果を求める時間」です。

流れている時間は、そのプロセスではなく、すべて結果に結びつくきます。ここでは、いかに瞬時に結果を出すのかを問われます。

その一方で、「結果を忘れる時間」もあります。介護していて思うのは、もし母がこちらが予期しないことや物をなくしてしまった時にわれわれがどうするのかを考える機会をくれていると思います。

母は、物を片付けたり、書き物したり、いろいろと忙しいです。そのおかげでさっきまであった物がよくなくなります。その時、私の心の中では、怒りがわきます。

でも、母なりの忙しさの中で、やったことがわかると、怒らないで他の形にしようと考えます。

そして、いつも思うのは、われわれは仕事の中で、結果を求められる仕事をしていると、相手にもそれを求めてしまう、ということです。

むしろ、結果を求めない、いや、結果を忘れて相手と対応することに専念すればもっと楽なのにと思います。忘れていると、しばらくして、結果がついて来ます。

たとえば、鍵や手紙などがどこかに行っていたことで母はたいそう悩んでいたとします、その時、「母さんは、この部屋以外に行ってないので、きっと見つかる。それまで気長に待ちましょう」というようにしています。

 すると、しばらくして見つかります。よかった、よかったです。

介護していて思うのは、人生では結果を求める時間がすべてではないことです。

自分の生活の中では、異なる時間が流れています。

いつも結果と結びつく時間ばかりではありません。それを教えてくれるのが、介護です。

自分の中での異なる時間の流れを感じて、大切にしたいと思います。

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【介護しても、なぜ相手に伝わらないのかという介護者のいらだちは、介護と生活の結びつきを感じることです】

「96歳母の介護をしている」というと、他人から「介護大変ですね」と言われます。それはその通りですが、そこで終わると意味がない。むしろ、自分が言ったことがうまく相手に伝わらなかったことをどうすればいいのかを考えています。

医者などが早口で話したことは母にほとんど伝わってないのですが、相手はわかったと思っている。そこが大きなネックです。

仮に伝わったとしても、それを母がしっかり理解して、それに対応した言葉や行動をできるかは別です。さらに、一度はできても、次もできるかどうかはもっとわからない。

たいていの人は、三、四度繰り返してできなければ、「何度言ったらわかるのか」とどなってしまいます。(私もたまにそういうことがあります。)

でも、最近わかってきたのが、どなることは相手が悪いので直せ!ということです。

でも、本当に相手に直ってほしいと思っていますか?

単に怒りをぶつけているだけじゃないの?

私はいろいろ手を尽くしてもうまくいかない時には、私の悲しさを正直に母に伝えるようにしています。母がわかってくれるかどうかは別にして、自分の気持ちを伝えています。でないと悲しくなるので。そんな時は私もかなり切羽詰まっていますが、ありがたいことに何回かに一度は母が理解してくれます。その時には、心を込めて母に感謝を伝えます。

次回がどうかはわからないにしても、今回やってくれたことが本当にありがたいです。そんなことを考えていると、介護の苦しさよりも、こちらができることに集中します。

私ができるのは、まずは体調管理と時間調整をすること、そして、介護業務を一人で抱え込まないことです。それによって、母を受け入れられるようになります。

もっと言うと、介護者の意思を伝えることに気持ちが傾きがちですが、むしろ介護される側の話しをじっくり聞く方が重要です。

母が気になっていることや不安感をじっくり聞いてあげることが一番効果があります。じっくり聞くことは介護者と被介護者との間をつなぐ「つぎな」になります。

これを体験したのが、母の介護です。でも、介護と自分とがつながっていることがわかったのは、実は介護ではなく、2013年から大学の授業でやってきたことです。

仕事から介護がわかるのは不思議ですが、日々の仕事で起こるフリクションは、介護でも起こることです。

介護も仕事も生活もすべてがつながっています。

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教師=教える人 ではなく、「場を創る人」

ダイアローグ研究の最大の成果は、いずれがどれだけ正しいかを示すことではなく、意見の異なる人・組織同士が話し合う土壌を創ることだと思う。


学会で、私が「教師=教える人 ではない」と言った時に、「教えなければ教師ではない」という強い違和感をもたれた。「教師=よりよく教える人」というのが多くの方々の望みなんだと思うし、それに向けてとてつもない努力をされているのも事実だ。

でも、これだと教師にさらなる負荷を与えることで教師の疲弊が止まらない。しかも、「よりよく教えられる」特定の教師だけが評価されて、それができない多くの教員はダメ教員となってしまう。

「教師=教える人」のジレンマから脱する方法はただ一つ。

「教師はもっと力を抜いてください。学生を指導しようと思わないで、まずは異なる人と一緒に話し合う場を創って下さい」です。

対立する意見のいずれかに熱狂するのではなく、話し合う場を創ることだと思うし、いずれが正しいかではなく、これができていない自分へのいさめとすべきだ。

専門職は得てしてその分野に専心するあまり、排他的になる。その時には、(たとえば)自分の体のどこかを軽くたたいて、集中をずらし、別の自分の視点で眺めることができればいい。そうした俯瞰視線を獲得することから始めてみようと思う。

昨今の現状を見るにつけ、大学教員としての私はどのように生きるのかを考えています。いい機会をもらっていると思います。

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【12/22 本年最後の授業公開。オンライン見学者募集!】

これまで順調に習得してきた学生が、自分たちが創りたい授業を創ろうと思って立ち止まっています。

「授業作りってかなり難しい!」


学生は今どうすればいいのか混乱しています。


その姿をほぼ毎回参加していただいている10名近くのオンライン見学者がおられます。仙台、東京、京都北部、京都市内はおろか、ドイツやフランスからも来ていただいています。


悩める学生を前にした見学者も悩んでおられます。


見学者はどのように学生に接すればいいのかです!


教師と学生の閉鎖的な学習空間が学びの基本であると信じている人にとっては、見学者の立ち位置は迷います。


でも、私のねらいは、見学者は迷ってほしいと思いますし、実はそのことは教師や専門家の立ち位置を振り返る機会になります。


はい、学びの空間に第三者が入ることでの変化に気づいてもらえればありがたいです。


12月22日(水)午後6〜7時半


今年最後の授業です。
迷いは学生だけでなく、実は見学者も悩みながら参加することが重要です。


なんか変な授業ですよね。


でも、生の学生が見られるし、あちこちから来られるボランティアや見学者もおられます。筒井はおまけです。


お申し込みはここからお願いします。。

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