【「結果を求める時間」と、「結果を忘れる時間」】

96歳母の介護をする一方で、ライブ配信や大学の授業の仕事していると、時間への接し方が変わってきました。

2017年からやっている、ライブ配信サポート業務では、事前の入念な準備と本番でのドキドキした感を体験します。大会場、小会場、学会やセミナーなどのフォーマルな形式、逆に小規模な集まりでも、トラブルが起こった時にも、瞬時に最適解を求められる緊張感はなかなかやりがいがあります。

私のライブ配信の仕事は以下からわかります。https://tsutsui-learning-lab.com/

この時間は、「結果を求める時間」です。

流れている時間は、そのプロセスではなく、すべて結果に結びつくきます。ここでは、いかに瞬時に結果を出すのかを問われます。

その一方で、「結果を忘れる時間」もあります。介護していて思うのは、もし母がこちらが予期しないことや物をなくしてしまった時にわれわれがどうするのかを考える機会をくれていると思います。

母は、物を片付けたり、書き物したり、いろいろと忙しいです。そのおかげでさっきまであった物がよくなくなります。その時、私の心の中では、怒りがわきます。

でも、母なりの忙しさの中で、やったことがわかると、怒らないで他の形にしようと考えます。

そして、いつも思うのは、われわれは仕事の中で、結果を求められる仕事をしていると、相手にもそれを求めてしまう、ということです。

むしろ、結果を求めない、いや、結果を忘れて相手と対応することに専念すればもっと楽なのにと思います。忘れていると、しばらくして、結果がついて来ます。

たとえば、鍵や手紙などがどこかに行っていたことで母はたいそう悩んでいたとします、その時、「母さんは、この部屋以外に行ってないので、きっと見つかる。それまで気長に待ちましょう」というようにしています。

 すると、しばらくして見つかります。よかった、よかったです。

介護していて思うのは、人生では結果を求める時間がすべてではないことです。

自分の生活の中では、異なる時間が流れています。

いつも結果と結びつく時間ばかりではありません。それを教えてくれるのが、介護です。

自分の中での異なる時間の流れを感じて、大切にしたいと思います。

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