教師=教える人 ではなく、「場を創る人」

ダイアローグ研究の最大の成果は、いずれがどれだけ正しいかを示すことではなく、意見の異なる人・組織同士が話し合う土壌を創ることだと思う。


学会で、私が「教師=教える人 ではない」と言った時に、「教えなければ教師ではない」という強い違和感をもたれた。「教師=よりよく教える人」というのが多くの方々の望みなんだと思うし、それに向けてとてつもない努力をされているのも事実だ。

でも、これだと教師にさらなる負荷を与えることで教師の疲弊が止まらない。しかも、「よりよく教えられる」特定の教師だけが評価されて、それができない多くの教員はダメ教員となってしまう。

「教師=教える人」のジレンマから脱する方法はただ一つ。

「教師はもっと力を抜いてください。学生を指導しようと思わないで、まずは異なる人と一緒に話し合う場を創って下さい」です。

対立する意見のいずれかに熱狂するのではなく、話し合う場を創ることだと思うし、いずれが正しいかではなく、これができていない自分へのいさめとすべきだ。

専門職は得てしてその分野に専心するあまり、排他的になる。その時には、(たとえば)自分の体のどこかを軽くたたいて、集中をずらし、別の自分の視点で眺めることができればいい。そうした俯瞰視線を獲得することから始めてみようと思う。

昨今の現状を見るにつけ、大学教員としての私はどのように生きるのかを考えています。いい機会をもらっていると思います。

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