カウンターカルチャーとパーソナル・コンピュータ

今では白髪まじりが普通になったヒッピー世代(紛争世代)も定年を迎えたり、次の人生を歩んでいたりする。私は、それ以後の世代だが、京都に住んでいたのでその当時のことは、鮮明な記憶がある。

  • 通学していた電車が街頭デモ行進のために臨時停車したり、
  • はやりの喫茶店に行ったら、そこには多色のバンダナをした学生がたむろしていたり、
  • 『イチゴ白書』という映画とそれを元にした歌が流行っていたりした。

パーソナル・コンピュータの発明は、彼らのライフスタイルと結びつくという説明が米国ではしばしば語られる。確かに現在のコンピュータ業界の大物もかつてはヒッピーであったということも珍しくない。そして、当時の米国西海岸の体制反抗的な雰囲気のなかで、新しいコンピュータ技術の革新が次々と生まれていった。しかし、両者が本当につながるのかどうかは難しいところだ。

また、仮に両者の結びつきがあったとしても、そのことによってこれまで未開拓であった個人ユーザ層にまでコンピュータ産業の市場が拡大したことは疑いがない。

ただ、そうだとしても、そのつながりに今なお多くの耳目を集め続けるのは、双方には単なるノスタルジーにとどまらない何かがある。

以下の書籍は、CNET JAPANの記事を読んでいたら紹介があった。

http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000050150,20083617,00.htm

両者の結びつきが実際にはどのようなものであったかを明らかにしていくとのこと。神話のベールをはぎながらも、なおかつそれが新たな神話を作り出すことだろう。

さっそく注文しよう。

What the Dormouse Said: How the Sixties Counterculture Shaped the Personal Computer Industry

What the Dormouse Said: How the Sixties Counterculture Shaped the Personal Computer Industry

  • 作者: John Markoff
  • 出版社/メーカー: Viking Adult
  • 発売日: 2005/04/21
  • メディア: ハードカバー
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困った時には、全体を見渡そう

「これだ」と衝撃を受けたときには、その衝撃と自分が一体化し、自分もそれに同質化したいと思う。

逆に、これは嫌だと思った時には、それと自分とを完全に分離し、自分はそれとまったく異質だと思う。

どちらも必要な反応であって、振幅の揺れの中にわれわれがいる。

ある講義に、Nakata.netのプロデューサーが来られた。

ベッカムやリアル・マドリードのプロデュースも手がけている。社員わずか数名で何億の売り上げだが、それはここでは関係ない。

注目すべきは、次の写真だ。

これは、中田のサッカー動作を三次元のベクトルデータにしようと、体中にカメラをつけて動いているところだ。彼は、視野が広いのが特徴だと言われる。試合中、彼は、頻繁に顔をあちこちに動かして全体を見ようとしている。このシーンをテレビはあまり映さないが、これが彼の強さの秘密だ。

写真の中で、顔中にカメラをつけているのは、まさにそれを象徴しているかのようなだ。

すごいことがあったら、

  1. まず自分の体と心で対話しよう。
  2. それから、自分や他の人を遠くから見てみよう。

自分との一体感を感じた後に、異質感、つまり、冷静な感情で対象を俯瞰(ふかん)することで、はじめて自分と対象との関係が深まる。

講義を受けながら、われわれに欠けていることを痛感した。

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戦争の節目

今年は、戦争の節目の年である。

  1. ベトナム戦争が、1975年4月30日に集結した。その30周年記念である。「巨人とアリの戦い」といわれた戦争であるが、アリが不屈のねばりで勝利した最後(?)の戦いがベトナム戦争である。ベトナムからの留学生は、両親が戦争中は解放戦線側で戦い、投獄されたとのこと。ベトナム・米国側から撮影された秘蔵の映像を是非ゼミ生に見せたいとのこと。わが国ではいまでは記憶が薄れつつあるこの戦争を、身近に感じさせる人がいた。大切にしよう。
  1. 5月8日、ロシアで「対独戦勝記念式典」が開催された。かつての敵国であったドイツ首相も参加して、冷戦後の欧州の和解を印象づけた。バルト三国との関係がまだ未解決であり、またわが国との平和条約も未締結であるなかでも歴史を共有する意味は各国にとって無視できない。
  1. そして、8月15日である。第二次世界大戦の終結を記念する日であり、今年が60周年となる。思えば、私が初めてインターネットの世界で海外に発信したプロジェクトは、1955年の戦後50年である。過去を振り返ると共に、未来に向けた日独両国の歩みを学生同士で話し合えればいいと思って企画した。技術的にも陣容的にも今から思うと恥ずかしくなるが、それでも当時に状況では精一杯であったこと。決して後悔することはない。

この記念すべき年に、われわれが今取り組もうとしているプロジェクトとはどうつながるのか。

おそらく直接的につなげるよりも、素材だけを提示して、あとは参加者が勝手に考えればいいという形態が好ましいと思う。

今週末から、Retired Weapons Art Project in Kyotoの仕込みが始まるだろう。

さあ、どうなるか。

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日本語教育とメディアリテラシー

横浜国立大学の門倉正美さんから送られてきた科研報告書「日本留学試験とアカデミック・ジャパニーズ」と論文を読んだ。

従来の日本語教育は、日本語自体を学ばせる、あるいは日本のことを学ばせるというものであった。しかし、近年、アカデミック・ジャパニーズという流れは、留学生と日本人学生との区別をするのではなく、「大学の学習と生活に必要な日本語」を教えようと変わってきている。こうした流れだと、日本語力や文化的な背景の相違はあっても、現代社会の普遍的な特徴を扱うことになり、双方で同じ視点に立った教育をおこなうことになる。

門倉さんの科研研究グループから、昨年報告を依頼されて報告をしたが、その時に私は留学生と日本人学生の教育は、日本語教師にとっては同じ視点で教育が可能であると主張した。こうした主張が門倉さんのグループと共通点があったのだろう。

このことは私にとってもうれしかった。93年当時から主張していたが、ほとんど顧みられなかったからだ。共通の土俵が広がっていることを痛感した。

しかも、門倉さんの優れているのが、日本語教育の視点からメディアリテラシーに取り組んでおられることだ。留学生向けでの講義ではなかなか勇気のいることであるが、見事に成果を上げておられるのがわかる。門倉さんが、日本語教育と国語教育とをメディアリテラシーという媒介項でつないでおられるのを見て私も考えた。

私の専門である大学教育とe-learningとをつなぐ媒介項が見つからずに四苦八苦していたが、もしかしたらメディアリテラシーによってつながるかもしれないと思ったからである。もちろん、私の場合には、マスメディアに対する批判的な視野よりも、市民メディアでの情報発信の仕掛けをつくことに重点がある点が異なる。しかし、それでも何らかのつながりができないかと考えている。

こうした思いつきが生まれたことで、門倉さんの業績には感謝しないといけない。

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一泊25ルピー

今日は、昨日に続いての市民メディアのテレビ会議がおこなわれる。

場所は、ラジオカフェからである。カフェ内に陣取った端末を前におじさんたちがなにやらのぞき込んでいる風景はちょっと変。でも、そのなかに美男子二人がいることが周りの雰囲気との違和感を和らげてくれる。ラジオカフェの松浦さんとSEの後藤さんである。

https://tsutsui-media.net/radio/index.html

本来ならば、お客さんにも参加してもらえばいいのだが、じゃまになってもいけないので、少し気になっているお客さんにだけは説明するのにとどめた。私の仕事はといえば、特にない。お二人が作業されているのをただ遠巻きにみているだけだ。でも、あまり何も仕事がないのはもうしわけないので、メイキング写真を撮って、メーリングリストに知らせた。交信先は、万博会場、函館、横浜、米子、熊本そして京都の六ヵ所である。

数分間ずつ各地の取り組みや特色を紹介しながら、無事終わった。

今年9月半ばに「市民メディア全国交流集会」が開催される熊本上江村からは、住民ディレクターで有名な松本さんが顔を見せておられた。

その様子は、以下にある。

http://blog.livedoor.jp/marrontv/

山に囲まれた小さな村だが、マロンテレビという市民放送が盛んである。

そんな放送中に、突然、お客さんから声を掛けられた。一人は、精華大の学生で昨年の講義に出ていたとのこと。あの時にも、英国とのテレビ会議を試みていたなあ。でも、トラヒックが最悪で大失敗だった。

もう一人は、東京から来た方だった。精華大について質問があるという。「精華大では、学生がカレー一杯100円で売っているのですか」とのこと。かなり濃い質問だ。確かに食堂内の通路で、香辛料のにおいをさせながら、本格的なカレーを作っている。ただ、地べたに座って作っているので、食欲がわかないけど。

もう一つの質問は、「学内で25ルピーで泊まれるところがあるのか」とのこと。これは知らない。でも、もしかしたら、学生のサークルボックスかどこかでやっているのかもしれない。なぜルピーなのかと聞いたら、彼女たちはインドで出会った友達で、精華大生とも知り合ったので、そのことを話していたとのことだ。

その他、精華大の自由な学生生活を話すと、是非次に京都に来たときには、精華大を見に行きますとのこと。彼女たちにとっては、京都のマイブームが精華大だそうだ。

テレビ会議をやっているのか、精華大の話をしているのかわからないまま終わってしまった。

でも、回線自体は順調で実用化が見えてきたので、9月には本格デビューしそうだ。

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朝市、ラジオ、テレビ会議

今日は、連休終盤でいい天気だった。

こういう時は、外に出て日を浴びたい。

暑いと、冷えた飲み物がほしくなる。

のどが潤うと、今度はおいしい食べ物が食べたくなる。

そんな単純だが、楽しい日に、京阪三条の三条大橋たもとにある「壇王法林寺」の朝市に出かけた。

http://www.radiocafe.jp/dannou/index.html

といっても、本来の目的は、朝市ではなく、京都三条ラジオカフェの野外中継が本堂でおこなわれた様子を見たかったからである。今回は、多地点間を結ぶテレビ会議システムを使ったストリーミングである。連休中、愛知万博会場にラジオカフェが出張イベントを開催しており、京都会場であるこの本堂にもゲストが登場した。

多地点をサーバーなしで結ぶため、100メガの光ファイバーが必須条件である。もっとも、通信環境としてはかなりシビアであるだけに、音声や画像のクオリティーも遜色がないレベルである。トラヒックさえ安定していれば使用に耐えるシステムである。明日は、北海道、横浜、京都、熊本の各都市と万博会場を結んで、市民メディアの可能性について話し合うとのこと。

京都会場のゲストは、太田航平さんであった。彼は、京都の有名な環境運動家であり、ラジオカフェの主要メンバーでもある。彼の紹介で、このお寺で朝市を復活させないかという提案に応えたメンバーが朝市を運営者していた。そこにはたくさんの精華大生も参加していた。メンバー代表の小鹿さんに話を聞いたのだが、この朝市への出店呼びかけは、わずか一ヶ月前だったとのこと。それでも、これまでスローフード活動に取り組んでいた彼女に対する信頼から、近隣の農家、市民農園グループなど40店ばかりが境内に出店していた。「家庭菜園ファーマーズ朝市」と名付けて、自然と人間に優しい食の普及を目指したいとのこと。

この市のもう一つの目玉は、環境対策支援便という車である。イベント用の皿やコップなどを貸し出して、使用後には洗浄して再度使用するという「リユース、リターナブル」は環境保護策を普及しようという試みである。この責任者が太田さんで、彼にもこの活動の意義について話を聞いた。彼によれば、いくつかの行政がこうした活動を始めているが、市民側が始める試みとしてはこれが最初である、とのこと。この活動の効果は、朝市の終了後にあつめたゴミの量を見れば一目瞭然である。数千名の来場者があったにもかかわらず、廃棄が必要なゴミはわずかビニール袋半分ほどであった。この結果をイベント主催者に理解してもらえれば、この活動はかなり広がるだろう。

明日は、ラジオカフェからのテレビ会議である。私も、裏方で見に行くことにしよう。

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一歩前進

先月末にOSのバージョンアップをして以来、あれこれといじっている。

メールの送信ができなかったのとカレンダーが同期できないのでびっくりしたが、Discussion Boardの議論を見ることでメールは解決した。ベンダーからの対応を待つまでに、ユーザ相互の助け合いが起こるところが見ていて気持ちがいい。

サイバースペースの世界では、近年、負の側面が肥大化しつつも、相互の助け合いの部分は継承されているがゆえに魅力はつきない。バージョンアップにともなう私の単純ミス(写真データの失念。しかし、検索機能が向上したことでほぼ復旧)はありつつも、ほぼ現状を回復し、順調に稼働している。特に、これまでカーネル部分での根本的な損傷を解消できなかったのが、初期インストールによって完全に回復したことは大きな安心感につながった。

新バージョンの楽しさを享受する段階に入った。

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少し面白くなってきた

私のゼミは、他のゼミとは違って、あらかじめ厳しいということを告げて、同時に、技術力などの実力をつけることを前提とすると言っている。それを承知でゼミに入ってくるはずなのだが、実際はそうではない学生もいる。ここで教員と学生双方に思惑の違いが生じていく。

だが、この思惑の違いを解消するためには、学生を教員側に歩み寄らせようと思ってもうまくいかない。そこで、過去はともかく、現状からどう思惑の相違を埋めるのかという努力をしないといけない。

二回生の場合、後期から始まる専門演習の準備という位置づけなので、ゼミで取り組む「メディア、インターネット、NPO」に関する特定サイトを分担して読んでもらい、必要ならば、アナウンスしてもらうようにしている。同時に、全員が月に一回記事を書いてもらう。ただ、書くだけではなく、読者の立場からアドバイスをする編集委員会を学生の中から募って、そのアドバイスをもらうことでよりわかりやすい記事を書くようにしている。

この提案に最初は懐疑的だったゼミ生が次第に興味を持ち始めた。

同じ事を三回生にも提案してみたが、あまり受けない。初めて提案したということもあるが、どうもゼミがうまくいっていないことから、この提案を受け入れる環境が整っていないのかもしれない。

学生によって対応に差があるが、まずは二回生での実践をうまく進めることから始めよう。彼らの顔が少しずつ変わってきたのがわかるので。少しずつ面白くなってきた。

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きっとうまくいく

8時前になったので帰宅しようと研究室を出たら、うしろで物音がして振り向くと背の高い学生がいた。なにか急いで相談したそうだったので戻って話しを聞くことにした。

初めて会う学生だった。別の学科の四回生だとのことで、出版や新聞社への就職を考えているのだが、うまくいかないので相談に乗ってほしい、とのこと。背筋が通り、はきしているので、就職活動真っ最中という風情。だが、まだ業種も何も絞り切れていないまま活動している、とのこと。

エントリシートに書いている自己アピール文を読ませてもらった。誠実な人柄がよくでている丁寧な文章だが、冗長であり、長文が続いている。

「自分は他人と比べて、明確な目標もないが、出版関係に行きたいと思っている。しかし、文章もうまくないし、あがり症なので面接でも思い通りにしゃべれない」という話しである。

たしかに文章も練れてないし、話しも回りくどい。それに就職先のこともあまり調べてないようだ。

しかし、言葉遣いがしっかりしているので、文章は書き慣れていないだけで、少し経験を積めば普通にかけるようになるだろう。話の回りくどさも、最初に結論を言ってから説明すればよくなる。あがり症だというが、初対面の教員に一人で尋ねてきて、自分の状況を説明できるとすれば、いくらでも改善は可能だ。しかも、人の話を聞くのがうまい。

要は、本人が自分のこれまでの人生の中で自分の体験や考えを振り返ることである。そこからしか始まりはないし、そこにこそ正解がある。それを自覚し始めた彼女はきっと変わっていくだろう。

今日の最後に、可能性を感じるいい人に出会った。

「きっとうまくいく」

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法善寺横丁

2002年9月と2003年4月の二度の火災によって、有名な飲食店や飲み屋がほぼ被災した。それが次第に復興してきてかつての賑わいを取り戻していた。もっともかつてのちょっと雑然とした風情がうすれたが、そこにある店は相変わらずの賑わいを見せている。

横丁には有名なみずかけ不動さんが立っている。信心が厚いので多くの商売人や観光客が四六時中水をかけているので、体全面が苔だらけになっている。始めて見るとぞっとするが、理由がわかればなるほどと思う。横丁の店は普通の飲み屋や飲食店だが、不動さんを出たそこは一面賑やかしい歓楽街が続く。この落差が大阪らしい。そういえば、大阪・寺町は、名の通りお寺が密集しているが、そこも歓楽街である。

コリアタウンも歩いたが、中華街と比べて、店のバリエーションが少ないのは残念だ。キムチ、肉屋、食糧屋さんでほとんど終わってしまう。ちょっと食べたい総菜や軽食がないのであまりお金を落とすこともない。

いろいろとした顔を持つ大阪の街を歩くことが最近の楽しみの一つになってきた。もちろん、歩くだけで終わらせてくれる街ではないのはご承知のところ。

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