世界情報社会サミット(WSIS)と私たち

科研のショックを醒ますためというわけではないが、以前から予定していた出張に出かけた。ショックの効果は出張費に表れる。夜行バスの往復ということになった。

出張の目的は、JCAFEが二ヶ月に一回開催されているサロンに参加することである。今回は代表の浜田さんが報告者となった。テーマは、「世界情報社会サミットの現在」である。2003年12月第一フェースがスイス・ジュネーブで開催されたWSISでは、当初、インターネットのガバナンス(IPアドレスとドメインの管理)問題が検討事項であったが、次第にそれ以外のテーマであるサイバーセキュリティー、犯罪、プライバシーなどを先行的に規制しようという方向に変わってきている。この傾向は、911事件以後のテロに対する戦いという基調が大きな影響を与えている。

私はこの会議の重要性を、昨年末出版された会津泉さんの本を読むまで意識しなかった。

インターネットガバナンス―理念と現実

インターネットガバナンス―理念と現実

  • 作者: 会津泉
  • 出版社/メーカー: NTT出版
  • 発売日: 2004/12
  • メディア: 単行本

しかし、意識しなかったのだが、2003年12月のサミット前の10月東京で開催されたWSISアジアNGO会議直後に開かれたネットワーキング専門家会議で、私も報告させて頂いていることがサロンで配布された資料でわかった。なんとも恥ずかしいことだが、インターネット関係者の関心は実はこうした現状である。

では、このサミットで議論されていることに対する懸念は何なのか。

いくつかあるが、

  1. IPアドレスやドメイン管理という技術的な課題だけでなく、その他の問題を先行的に議論して、多くの当事者が知らない間に国際的な規制の枠組みを決定していこうということである。人権やマイノリティーの権利よりも、その権利を規制する枠組みが決められようとしていることである。
  2. ガバナンス問題に関しても、これまで国家の関与を意識的に排除してきた伝統が崩れつつあること。
  3. NGOや市民の発言権が認められない一方で、企業の影響力が肥大化していること。
  4. この会議での決定内容が国内的にどのように関わるのかがわかりにくいこと、

などがある。

特に最後の懸念をどのように市民に伝えるのかは、今後開催される会議に焦点を絞りながら、早急に対応すべきことである。5月16〜17日東京でWSISユビキタス・テーマ別会合が開催されるがそれに参加する海外のNGO関係者を招いたイベントを開催しようということになった。ただ、焦点は、9月(ジュネーブ)、11月(チュニス)で開催されるWSISフェーズ2会議である。これに向けて市民の関心を高めるイベントを開催する準備に取りかかることとなった。この活動も私の研究テーマとなりそうだ。

 

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がっくり

学者の研究活動は、大学から支給される研究費だけでは賄えない。こうした傾向は、理科系の学者の場合にはかなり深刻であるが、文科系の私も通信設備を使った研究をする関係で無縁ではない。

科学研究費という研究助成金は、金額も大きく、かなり重要である。今週、今年度の採択状況が発表されるとのことで、毎日、どきどきしていた。たまたま出会った同僚も気になっているらしく、一緒に担当部局に聞きに行こうということになった。結果は、二人ともだめ、とのこと。

正直、この結果はショックだ。目算していた機器の購入を諦めなければならない。それが教育上研究上でも、大規模なことができなくなることを意味するからだ。もちろん、予算がなくてもできないことはないのだが、新しい技術を取り込みながら進めてきたこれまでのスタイルからすると、気持ちが落ち込んでしまう。

しばらくは上向きそうにない。

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ますは情報収集から

今日は、二回生のゼミだった。このゼミは、基礎ゼミだが、専門ゼミの準備期間というわかりにくい位置づけである。そこで、まずはゼミのテーマに関する知識や情報量を増やして、自分なりに解釈できる習慣を身につけようと思っている。

NPO、Net News、国際情勢、市民メディア、これらのイベント情報、新聞書評などのサイトを分担して、情報を吸収し、それを編集して、ゼミ生に送るという作業をしてもらう予定である。

この方法を思いついたのは、昨年のゼミ生(今年も同じだと思うが)は、希望としては、インターネットやコンピュータの操作を向上させたいと思っている。しかし、実際にスクリプト系の実習をさせようとすると避けるという受け身の姿勢がある。また、それ以前にこうした知識を吸収していていないので、学ぼうという動機が浮かばないのである。

こうしたことを改善するために、特定のサイトを複数名でワッチしながら、どの情報が自分やゼミにとっても興味があるのかを取捨選択してもらう。そして、必要な情報を編集して、ゼミにフィードバックするという手はずにした。

こうして編集された情報をどこに蓄積するのかだが、Weblogに蓄積する方がいいだろう。レンタルサーバにMovable Typeをインストールして、誰か学生に管理してもらうことにしよう。

この情報収集段階がうまくいけば少し可能性が広がる。慎重に、彼らの気持ちを探りながら、進めよう。

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Retired Weapons Art Project始動

以前お伝えした表記プロジェクト(http://www.retired.jp/)が一気に動きそうだ。

5月には主催者がオランダに行くとのこと。

ポートランドでもプロジェクト開催が決定。

昨日、主催者の一人が講義で概要を説明していた。その後、講義の裏方を務めているメンバーとブレインストーミングをしながら、すぐに行動に移りはじめた。新風館の雰囲気を確認したら、今度は、学生だけでさっそく交渉に行った。それに同伴していた二年生によれば、上級生が相手に冷静に説明する姿を見て、自分が二年後にこんなに冷静に説明できるのかと不安になるくらい真剣だったそうだ。大した学生達だと思う。

こういう説明を聞いたら、たいていうまく進み出す。気持ちが一つになって、次々アイデアを練っている学生の姿を見ると本当に素晴らしいと思う。この場に多くのゼミ生がいてくれればと思う。

短期間で次々と積み上がっていくような気がする。

私の仕事は、彼らの発想をサポートし、実現するための露払いをすることだ。

これもまた楽しい。

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大講義でのグループワーク

三月終わりに、京都大学で大学教育研究フォーラムが開催された。その分科会の一つに久留米大学の安永悟さんが基礎ゼミの実践を報告されていた。

教育心理学者の安永さんを中心に、非専門家による多人数の教員集団を率いて、日本語表現法などの講義を実施されている。多人数で意欲的な講義を進めておられる報告に思わず質問させていただいた。

その松永さんから、献本して頂いた本を読んだ。

大学授業を活性化する方法 (高等教育シリーズ)

大学授業を活性化する方法 (高等教育シリーズ)

  • 作者: 杉江修治・関田一彦・安永悟・三宅なほみ
  • 出版社/メーカー: 玉川大学出版部
  • 発売日: 2004/03/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 2人 クリック: 4回

以前にも書いたが、従来、大学教育、特に導入教育は、専門的な観点からの研究はされていなかった。それが近年専門家の登場が本格化してきた。日本語教師と心理学者がそうである。専門分野の立脚点からして、導入教育を専門的な観点から研究対象としやすいのだろう。いよいよ専門家が入ってきたなあという実感がする。

今期は、大講義(といってもそんなに大きくないけど)でグループワークを取り入れようと思ってこの本を読んだ。著者の一人の中京大学の杉江修治さんは、中京大学の研修会で呼ばれた時に以前会っている。三宅なほみさんにも。

それはともかく、大講義での工夫として、グループの組み方、課題の提示の仕方など参考になることが多かった。

私は次のように取り組もうと思っている。

講義の前半は座学で、後半をグループワークとする。

グループは4名で構成し、一人が司会者、一人が書記、残りがディスカッションメンバーとなる。書記は、議論に参加せず、テーマにしたがった議論を要約する。他の三名で議論をする。議論の結果は、書記が、後日、メールで送ることで議論の内容を確認する。

グループをどう組もうかという事に頭を悩ましている。

メンバーが固定せず、また役割も固定しないで、毎回、新しいメンバーと議論してもらいたいと思っている。ただ、物理的に毎回あちこち移動して、新しいメンバーを組むのはなかなか勇気がいる。そこで、まず、同じメンバーの中で役割を順に変えていこうと思う。三回回せば、今度は新しいメンバーに組み直すという方法を取ろうと思う。

杉江・安永さんの他の著書も参考にして工夫してみよう。

安永さん、ありがとうございます。

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いつもながらアイデアをもらっている

早稲田大学の向後千春さんの日記サイトが三月半ばで中断されたことは既に述べた。

10年近くWeb日記を続けてきた強者なので辞めることはないと断った上での中断だった。予告通り、四月から再出発している。タイトル以外大幅に変わったことはないように思うが、強いて言うならば、書評が増えた。特に、献本された本の書評が増えた。

本を献本して頂くのはうれしいのだが、テーマが少し異なっていたり、忙しかったりして読まない本もあったのは事実だ。このことは心の中で後ろめたさで残っている。そんなときに向後さんの日記を読んで、気づいた。ご本人には直接連絡するのが一番いいにしても、それとは別に、献本して頂いた本をblogで紹介することで好意に報いるのではないかと。

彼みたいに、年間100冊読もうと決心し、しかも分厚い研究書も短期間で読破することはできないが、少しずつでも紹介していきたい。

こういう少し高い目標を設定して、無理のない範囲で進めるのならば出来そうな気がする。

いつもながらアイデアと実践の両方を参考にさせて頂いている。私も提供することを考えないとね。

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コツコツと別のことをする

先日、大学教育の研究会で長く一緒に議論している方から献本して頂いた。その方は、大学教育の他には、情報教育を担当されていて、その分野での業績もある。しかし、今回献本して頂いたのは、環境論の業績である。もし大学教育の分野だけでの知りあいであれば、この方が環境論を専攻されていることにびっくりするだろう。

私がこの方のご専門が環境論であることを知ったのは、2001年である。当時、精華大学人文学部に社会メディア学科と文化表現学科を新設する前年であり、私は新学科開設記念イベントを担当していた。その中の一つに、反グローバリズムの象徴的な農民であるフランスのジョゼ・ボベを京都に招聘する企画が進んでいた。そのニュースを大学教育のメーリングリストに流したところ、この方がわざわざ参加するという連絡をいただいた。

私はびっくりしてご本人に確かめたところ、専環境論が専門なので、ジョゼ・ボベには関心があるとのこと。そうしてはじめて本来の専門分野のことを知ったのである。私の場合にはたまたまこういう機会があったのだが、普通は知るのが難しい。別に、ご本人が隠しているわけではないのだが、他の人が聞く必要もないほど、情報教育や大学教育に精通されていたのだった。

でも、こういう驚きはいい。大学教育に早くから取り組んでこられた方は、多くは教育学関係の方であったが、そうではなかったという意外性がうれしい。

最後に、本の内容を説明しておこう。

本書は、日本海沿岸部の気象に関する伝統的呼称の実態調査から地域の風土的環境観を抽出し、それが災害リスクを軽減することを立証しようとするものである。つまり、観測データから分析視覚を出すという理科系的発想ではなく、むしろ気象の受容者である住民による呼称から地域環境を考えるという手法は郷土史、地理的な調査と同様でありながらも、それを環境データと結びつけていることが面白い。しかも、調査対象は、日本だけでなく、朝鮮半島まで広がっている。

こうした分析に対して、私は次のような感想を持った。

災害対策や環境保護においては、気象観測から取得されるデータが唯一の基準と思われているが、そこには住民側からの伝統的な発想は、古いものとして完全に無視されている。しかし、自然と人間相互の観点から地域環境を考えていく必要性を力説されていることは、文科系の私にとっても非常に説得力があると思った。こうした地域の伝統的な呼称という対象は、しかし、固定的ではなく、少しずつ変化するものであり、たえず調査を積み重ねる必要がある。この点で他の研究者との共同研究が望まれる。

いずれにしても、こうした地道な研究は、一朝一夕で完成するものではない。他の専門分野での取り組みをしながら、その合間をぬって、コツコツと積み重ねるものである。専門は一つでない方がいいが、それでも複数持つことの難しさもある。直近のテーマに取り組みつつ、地道なテーマに取り組む努力が必要になってくる。

著者のお名前を忘れていた。

武蔵野大学の矢内秋生さんである。

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専門は一つでない方がいい

伝統的な大学教員の養成システムは、単線的であった。

つまり、わが国の大学院博士課程単位取得退学後に大学教員になるのが一般的であった。そこでは、指導教員やその出身大学・専門分野の伝統を継承しながら、研究者としての知識にとどまらず、研究者のライフスタイルまで形成されるのが普通である。

その場合のスタイルには、二つのことが含まれる。一つは、学者として大成するための生き方を意味する。もちろん、誰もが大成するわけではないのだが、それに向けた学者像を持ち続けることが重要である。もう一つは、研究テーマは少しずつ変化しても構わないが、所属する専門分野の枠内での活動に限定することである。この枠は、多くの場合、有力学会の学問的広がりと関連している。つまり、法学関係の学会と美学関係の学会とは会員の重なりはほとんどない。このことは、学問的な関連性がないと言える。

私の場合、あまり勉強熱心な大学院生ではなかったので大きな事は言えないが、学者になった当初には伝統的なスタイルを継承していた。もちろん、伝統的なスタイルのメリットも否定しないが、私の場合には、多くは私自身の責任のためにそこから離れることになった。特に、所属する学会の変容が激しい点である。元来は、ドイツ現代史であり、国際関係論であったのが、今ではNPO、大学教育、コンピュータ関係の学会のつながりが深い。

私が伝統的なスタイルから離れた理由は、

  1. 努力不足が最大の理由にせよ、自身の研究分野に対する強い関心を持ち続けることができなかったこと。
  2. 戦前から分厚い研究層が存在する分野では、自身が開拓できる分野は少なかったこと。
  3. 教養部に所属していたことから、他分野研究者との交流に興味があったこと。

以上の理由の他に、

最大の理由は、目前の教育改革の必要性とそこでの自分の役割を自覚したことにある。

日頃の教育活動から見て、大学教育にとどまらず、研究分野でも改善する必要があると認識したからである。

しかし、従来の分野での研究はやめても、研究自体は辞めたわけではない。つまり、研究分野が変化すると同時に、教育活動自体を研究活動と考えることで研究分野自体はむしろ増えることになった。NPO、e-learning、大学教育という三つが現在の研究分野である。

なぜ研究分野がこの三つになったのかと言われても明確な理由はない。ただ目前の関心事に邁進したら、結果的にそうなったと言わざるを得ない。しかも、三つの関連性についても、まだまとまり切れていないが、昨年のシンポジウムをきっかけに考えているのが、大学の使命と関連しているのではないかと思っている。

もっとも、大学の使命と三つの分野とはどれだけ関連しているのかはまだ詰め切れていないので、使命だけは明らかにしておこう。

第一は、教養の涵養である。

第二は、キャリア形成である。

第三は、社会的価値の創出である。

これらと三つの分野との関連についてはまたの機会に話したいと思うが、いずれにしても私が言いたいのは、専門分野に閉じこもるよりも、複数の専門分野に取り組むメリットを享受することである。近年、この必要性がより高まっているのであり、伝統的な研究スタイルの転換が問われているのである。

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自分のことだと忘れてしまう

ゼミの運営について、あれこれ考えている。

基礎演習では、意欲のわかない学生をできるだけついてこられるようにあらゆる努力をしている。だが、専門演習は、就職時期に近づいてきているので、少し異なった厳しさを前提にしている。つまり、ゼミを希望する学生にあらかじめ次のことを言っている。基礎演習のように最低線を抑えることではなく、最先端を支援することになるので、ついてこれるように努力して欲しい、と。そして、この意見に承諾することを前提にしている。もちろん、ついてこれない学生にも追いつけるような仕掛けを作っているので、意欲のある学生と一緒に努力することは可能である。しかし、意欲のわかない学生は、その仕掛けにも入ってこない。これでは私の思いが伝わらない。

そういうことを、今日、教育トレーナーである知りあいに話したら、さすがにいいコメントをくれた。つまり、専門演習であっても、導入教育と同じように考えればいい。しかも、ゼミでは報告者一人に対して全員(20名程度)が聞いて議論するという方法ではなく、最初三名で議論し、次に六名で議論し、最後に24名でするという段階を踏んでいけばいいとのこと。

私がもし他人であれば同じようなアドバイスをするだろう。しかし、いざ自分が障害にぶつかった時には当事者であるがゆえに、思いつかないことをズバリ言ってくれた。

要は、初心に返れということである。専門演習は、基礎演習とは違ってみっちりしようというにしても、段階を踏みながら進むというプロセスを忘れてはいけないのである。

専門演習の内容を少し練り直してみよう。

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いろいろ訪問できるのが楽しい

日本語表現法に関する報告や原稿を書いていると、それ自体のおもしろさはあるにしても、実はもっと楽しいことがある。それは、読者や聴衆の方が質問していただいたり、コンタクトを取りに来て頂くことだ。そして、場合によれば、原稿や報告を依頼されたりすることもある。

私の拙い原稿や報告に反応して頂くだけでもありがたいのに、その後にお仕事をいただけるのはさらにうれしい。様々な大学、学校、メディア関係者の方とお知り合いになれるからだ。日本語表現法に関する全国的な実践例はかなり知っているつもりだが、近年実施大学が急増しているために、知らない例も増えてきている。

これまで九州での実践例はあまり聞かなかったが、この間、集中的に知ることができた。その方々と知り合ったり、また訪問させて頂いただいたりことで私も現場を知ることができるが、知り合った方々も他の事例を知ることができる。私の役目は、全国の大学の相互の情報の流通を促進することである。

以前にも書いたが、日本語表現法を通じて知り合った方どうしは、「ことば」を共有している。この共有感を持つことが楽しい。今後の課題は、この共有する「ことば」の中身を明確にすることである。

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