先日、大学教育の研究会で長く一緒に議論している方から献本して頂いた。その方は、大学教育の他には、情報教育を担当されていて、その分野での業績もある。しかし、今回献本して頂いたのは、環境論の業績である。もし大学教育の分野だけでの知りあいであれば、この方が環境論を専攻されていることにびっくりするだろう。
私がこの方のご専門が環境論であることを知ったのは、2001年である。当時、精華大学人文学部に社会メディア学科と文化表現学科を新設する前年であり、私は新学科開設記念イベントを担当していた。その中の一つに、反グローバリズムの象徴的な農民であるフランスのジョゼ・ボベを京都に招聘する企画が進んでいた。そのニュースを大学教育のメーリングリストに流したところ、この方がわざわざ参加するという連絡をいただいた。
私はびっくりしてご本人に確かめたところ、専環境論が専門なので、ジョゼ・ボベには関心があるとのこと。そうしてはじめて本来の専門分野のことを知ったのである。私の場合にはたまたまこういう機会があったのだが、普通は知るのが難しい。別に、ご本人が隠しているわけではないのだが、他の人が聞く必要もないほど、情報教育や大学教育に精通されていたのだった。
でも、こういう驚きはいい。大学教育に早くから取り組んでこられた方は、多くは教育学関係の方であったが、そうではなかったという意外性がうれしい。
最後に、本の内容を説明しておこう。
本書は、日本海沿岸部の気象に関する伝統的呼称の実態調査から地域の風土的環境観を抽出し、それが災害リスクを軽減することを立証しようとするものである。つまり、観測データから分析視覚を出すという理科系的発想ではなく、むしろ気象の受容者である住民による呼称から地域環境を考えるという手法は郷土史、地理的な調査と同様でありながらも、それを環境データと結びつけていることが面白い。しかも、調査対象は、日本だけでなく、朝鮮半島まで広がっている。
こうした分析に対して、私は次のような感想を持った。
災害対策や環境保護においては、気象観測から取得されるデータが唯一の基準と思われているが、そこには住民側からの伝統的な発想は、古いものとして完全に無視されている。しかし、自然と人間相互の観点から地域環境を考えていく必要性を力説されていることは、文科系の私にとっても非常に説得力があると思った。こうした地域の伝統的な呼称という対象は、しかし、固定的ではなく、少しずつ変化するものであり、たえず調査を積み重ねる必要がある。この点で他の研究者との共同研究が望まれる。
いずれにしても、こうした地道な研究は、一朝一夕で完成するものではない。他の専門分野での取り組みをしながら、その合間をぬって、コツコツと積み重ねるものである。専門は一つでない方がいいが、それでも複数持つことの難しさもある。直近のテーマに取り組みつつ、地道なテーマに取り組む努力が必要になってくる。
著者のお名前を忘れていた。
武蔵野大学の矢内秋生さんである。