最近ラジオ番組をはじめました

メディアと市民の関係をここ数年間様々な取り組みで考えてきた。ポッドキャスティングしかり、ライブストリーミングしかりだ。いずれもメディアの新しい可能性を開くものであるが、よく考えると、私自身がメインになって取り組んではいなかった。そこで、自分でもはじめてみようと思い、先月からラジオ番組のパーソナリティーを務めることになった。

番組名は、「プラスメディア」である。市民活動を支援し、メディア的な要素を盛り込むことで、活動がより豊かになるようにという思いを込めて命名した。

パーソナリティーはまだ慣れないが、ディレクターやプロデューサの助けを借りて、そうそうアシスタントのサポートも得て、はじめています。月二回ラジオカフェで放送されています。

毎回、市民活動をしている方やメディアに関わりのある方をお招きして、20分間の番組を作っている。ゲストの話しを中心にしながら、自らの個性を織り込んでいきたい。

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30歳代には何をしていたのか?ー北日本新聞「越中讃歌」への寄稿ー

前任地の話題はこれまで意識的に避けていたのだが、徐々にわだかまりが取れてきた。過去はいい思い出だけを大切に持ち続けたい。そう考え出してから、いろいろとつながりが出てくる。

昨年、久しぶりに寄ったついでに出会った人との思い出がその後も刻印を残している。そんなきっかけで、地元紙に寄稿することになった。二十年前のことなのでほとんど忘れていたが、断片をつなぎ合わせながら過去をつなげて見た。すると、現在と断絶しているどころか、現在とつながり、また未来へと広がってきた。そんな喜びを記事にしてみた。以下が概要である。

「懐かしい記憶」  

■挑戦続ける先進性

 昨年、八年ぶりに富山を訪れたが、それは、彼(か)の地での思い出と再会する場となった。その場とは、オーバード・ホール館長の杉田欣次さんが私財を投じて開館した「隠し文学館 花ざかりの森」のオープン記念式典だった。そこには懐かしい人がいっぱいいた。杉田さんのほかに伏木・光西寺住職である射水宗昭さん、写真家で五箇山・相倉の民宿オーナー池端滋さん、鱒のすしの「高芳」を営む多賀志郎さんたちだ。

 思い起こせば、富山赴任前に、私は、あることを心に決めていた。富山に行けば、おいしい食べ物やお酒があるに違いない。でも、素晴らしい人間と出会う以上に美味はない。富山ではそういう人を見つけよう、と。そして、事実、そうなったのだった。

 私が地域の人とよく活動していた1980年代半ばから90年代初めの出来事は、ウェブにはほとんど記録が残っていない。そこで、記憶を頼りに当時を振り返ってみる。1986年の赴任早々、大学と地域とのつながりを強めようと、地元の方を授業にお招きした。現在、京都の本山におられる浜黒崎・常楽寺住職の今小路覚真さんが最初のゲストだった。その後、射水さんにも来ていただいた。そうこうしているうちに、市内で展開するさまざまなイベントにかかわるようになっていった。

 この時期、富山駅前の有名な「真酒亭」が出した本「現代異人譚(たん) みゃあらくもん」の書評を本紙で書かせていただいた。当時、映画「少年時代」の撮影準備がおこなわれていたが、鯉淵優プロデューサーが真酒亭に偶然寄って、そこに貼(は)ってあった私の書評を見たそうだ。映画の子役探しでいろいろと相談に乗っていた時にそう語っていた。

 ■極めて斬新

 89年には「アパルトヘイト否(ノン)!国際美術展」にかかわった。この美術展は、南アフリカの人種差別政策に抗議したアーティストたちがユネスコに作品を寄付して、それが世界中を巡回していたのである。私は富山実行委員会事務局長となった。努力の甲斐(かい)あって、わずか一週間の会期にもかかわらず、三千人もの参加者を記録した。

 この美術展のシンボルであった作品輸送トラック「ゆりあ・ぺむぺる号」が赤い大きなバルーンを掲げて停車している姿は大きく報道されたものだった。予想以上に集まったイベント収益を市民に還元しようと、映画上映や講演会などを次々と開催していった。90年には、在外研究の機会を得て、欧米数カ国を移動しながら研究していた。本紙で「ふだん着の米欧見聞録」という連載記事を担当し、市民視点のホットな海外情報を送っていた。

 翌年に帰国したが、その後の大きなイベントは、92年「エキスポとやま博」(JET)のFMピーチであった。エキスポ会場内のどこからでも見える仮設スタジオを「見えるラジオ」と呼んだ。そして、その企画コンセプトが当時としては極めて斬新だった。ラジオは聞くもの、という当時の常識を破って、市民がどんどんラジオに出演したのである。これは、今から考えると、その後の市民メディアのさきがけであったといえる。

 この年、本紙の紙面批評を一年間担当させていただいたのだが、それ以後、私は、本務に忙殺されることになる。やがて地域との関係も薄れ、2001年の京都転勤によって、ますます疎遠になってしまった。もちろん、93年、富山大学に言語表現科目を新設して本紙の編集委員や他のメディア関係者と一緒に授業を作ったことは、その後、全国のモデルとなったのであるが、これとて本務の一環であった。

 ■富山にルーツ

 ところが昨年、「花ざかりの森」の式典でかつての知り合いと出会って、過去と現在とが一気につながった。

 私は、現在、スーダン難民問題を扱ったオランダ映画「Sing for Darfur」の試写会を京都の十大学で開催したり、京都三条ラジオカフェというNPO放送局でラジオ番組を作っている。「アパルトヘイト否(ノン)!国際美術展」のプロデューサーであった北川フラムさんは、数年前から本学客員教授となった。彼は、富山の参加者の多さに驚いていたのだった。

 これら現在のいずれもが二十年近く前の富山にルーツがあったのである。富山は決して伝統だけに生きているのではなく、先進性をも兼ね備えている。それに気づかせてくれたのが、多くのイベントをリードしてきた射水さんと話している時であった。ところが、残念なことに、昨年、彼は早すぎる死を迎えた。この時には、彼を慕う多くの友人が集まったという。

 友人たちはその後も挑戦を続けている。けれども、その挑戦の成否は次の世代へと橋渡しされるかどうかである。まだまだ休むわけにはいかない。今度は、未来への夢の架け橋を作りましょう。また、相談に行きます!

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講義型授業とワークショップ型授業の相違

大学に限らず、教育現場では、教師が学生・生徒に効果的に知識・思考方法を教える方法として、講義型授業が採用されている。この方法は、限られた時間に教師が学生・生徒に系統的に伝達する方法としては非常に効果的である。このメリットは今日でも有効である。

しかし、一方で、学生・生徒自身が、他の人と一緒になって意見や情報を交換し合うには適さない。その点では、(広い意味での)ワークショップ型の授業方法が効果的である。そこでは、互いに問いかけながら、自分の意見を作ることができるからである。

つまり、授業では、大きく分けて、二つのコミュニケーションの流れがある。一つは、教師と学生の流れであり、もう一つは、学生相互の流れである。伝統的な講義型授業では、前者は可能であるが、後者を作り出すのは難しい。しかし、ワークショップ型の授業では、前者も後者も可能である。と考えると、講義型とワークショップ型とは、学生相互のコミュニケーションの流れがあるか否かが分かれ目となる。もちろん、後者には教員も含めることが可能なので、それを踏まえれば、ワークショップ型の授業は、学びのコミュニティー作りに適しているのである。

二つの授業方法のもう一つの違いは、授業内容にある。講義型授業の場合、教師が提示した知識や思考内容を習得することにあり、ワークショップ型の場合には、参加者の主体的な学びから意見を作り上げていくことにある。前者が、正解に向けて一直線で進んでいくのに対して、後者は、手探りしながら新しいことを作り上げていくプロセスを重視する。

以上のような二つの授業方法は、どちらかが正しいか否かではなく、両者のバランスの中で選択されるべき問題である。けれども、現状の授業のほとんどは講義型授業であり、ワークショップ型授業を展開する余地は極めて小さい。そうした現状を変えていきたいと思って、大学教育学会のラウンドテーブルでワークショップ型授業の展開を継続しているし、自らの授業でも実践をおこなっているのである。こうした試みについて、最近色々考えている。

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関西初上映の京都精華大学は140名参加!

7月10日(金)関西初上映の大学であった京都精華大学では、140名の参加で大成功でした。

授業の中での上映でしたが、それ以外の方の参加者も多数来てくれました。

主催者の学生たちは、これまでこうした大がかりなイベントに関わったことがなかったので、準備をしていてもなかなかうまくいかず、一体何をすればいいのかの悩みながらの取り組みでした。人文学部の授業にとどまらず、併設の芸術学部やデザイン学部の授業に行って、広報したり、食堂前での一斉フィライヤー配布をたびたびおこなっていました。上映当日が近づくにつれて、その活動も少しずつ慣れてきて、知り合いはもとより、一般学生への呼びかけもうまくできるようになりました。

上映当日の主催学生の意気込みはすごかったです。昼休みに最終打合せをしたのですが、実にてきぱきと処理が運んでいきました。上映直前から、参加者が次々とやってきたのですが、大きな声を上げて、参加者を誘導したり、資料を配付していました。授業内での上映だったので、終了時刻が決まっているので、司会は時間に追われながら、簡潔に説明をしていました。

映画の上映が始まってからは、終了後の準備をしており、参加者がコメントを書いたり、ビデオメッセージに協力してくれたりした時も、10名以上の学生が、この映画に対する愛着を一つの心に結びながら、互いに相手の動きを感じながら行動していました。

上映終了後は、学生大会に出る学生が多かったりして、ビデオメッセージを撮影する時間が非常に限られていたのが残念ですが、それでも10名以上のメッセージを撮影できました。参加者の熱い心がよくわかります。

来週からいよいよ他大学での上映が始まります。

13日月曜日は、京都外国語大学です。

さあ、楽しみです。

念のため、上映情報を転載します。

京都外語大学

日時  7月13日(月)

時間  18:30〜20:30

場所  R741(収容人数200人)アクセスマップ

入場料 無料

内容

・挨拶、映画紹介(10分)

・映画上映(78分)

・トーク解説(20分)

連絡先:

peace-project@hotmail.co.jp

関西上映会実行委員まで

追記

先日、コメントカードを集計していると、130枚あり、また記入していない人もいるので、140名程度の参加でした。

訂正します。

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Golden Eggsが映画「Sing for Darfur」を応援! 関西でも試写会が始まる

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Golden Eggsを制作しているプラスヘッズが、今秋、スーダン・ダルフール難民をテーマにしたアート映画を配給する。その前に、大学など全国でも見てほしい、とのことで、試写会を連続で開催している。

6月初めに、この映画に関わっているrobot関係者から、関西の大学で試写会を開催して欲しいと依頼があった。信頼できる方からの申し出なので、忙しいけど、やってみることにした。

一緒に担当してくれるのが、世界唯一の難民ラジオ番組「難民ナウ!」の宗田勝也さんだ。宗田さんとは、今年1月のカンボジアでのラジオ放送を聞いて、一緒にしたいと思っていたからだ。

先月、関西の大学で、宗田さんは、「難民映画祭」を企画していたので、その次の企画として、7月に「Sing for Darfur」上映の段取りで進めている。私も、最近、他大学の学生ともつながってきたので、呼びかけたところ、次々と企画が進んでいる。

現在のところ、京都大学、大阪大学、京都精華大学、同志社大学、立命館大学、龍谷大学、京都産業大学、京都外国語大学、京都造形芸術大学、関西学院大学で開催決定、あるいは準備中が進行している。

その先駆けとなるのが、わが京都精華大学である。

タイトル:関西初! 京都精華大学「Sing for Darfur」先行上映会

日時:7月10日(金)午後4時20分〜6時まで

場所:黎明館201号教室

授業の中で開催されるが、一般の方の入場も可能だ。

学生は、研究室や授業を訪問して説明したり、食堂前でフライヤー配りをして広報に努めている。単なるイベント手伝いということではなく、広告プロモーションとしての教育の一環と考えている。

その後、京都外大や龍谷大学、大阪大学でも開催が決定している。

詳しくは、試写会関西実行委員会のブログを参照して欲しい。

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入試で輝く学生スタッフ

先日のオープンキャンパスでも改めて痛感したが、学生スタッフの働きが入試活動では非常に大きな役割をする。

入試活動に関わる学生は、動機は色々あるにせよ、それなりに意欲のある学生だ。もちろん、授業にも熱心に取り組んでいる学生も多いが、そうでない学生もいる。その場合、授業とはかなり違って、入試活動では実にいい仕事をする。

入試での学生アルバイトというと、なんか肉体労働的な仕事をそうぞうしそうだが、そうではない。AO入試では、受験生の中に入って、あるテーマについての意見交換をする仕事をする。これは、実に大変な仕事だと思う。見ず知らずの場所に来て、緊張している受験生の心をリラックスさせて、他の受験生と一緒に意見を言えるようにもっていくのだから。

先日のオープンキャンパスでは、私のゼミ体験の中にも学生スタッフが協力してくれた。余命程度の高校生を集めて、意見を出し合うためのファシリテータをするのである。スタッフがうまく意見が出やすいようにしてくれるとしめたものだ。その時にも実によく働いてくれた。

彼らは、どういう思いで入試活動に加わっているのだろうか。バイトであるということは別にしても、自分の一、二年前の姿の後輩を見て、後輩と共に、自分自身を励ましているような気がする。先輩・後輩の励ましが、学びには大きな役割をするということを実感するのである。

授業では必ずしもうまく入り込めなくても、入試活動では生き生きしている姿を見ていると、大学の学びは、いろいろの角度からきっかけをつかむのだと思う。

いよいよ入試活動も本格化してきたので、学生スタッフの支援をたくさん受けることになる。彼らを励ます気持ちを持ちながらも、むしろ彼らから贈り物をもらっているのが実態だ。

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オープンキャンパスでゼミ体験を実践

夏に近づいたら、高校生の大学訪問を盛んになる。本日は、二度目のオープンキャンパスが実施され、私が「ゼミってなんだろう? ―総合人文学科の学び体験―」を担当しました。

有力な教員が集まったので、こちらも張り切っていました。私は、「コピーライターになろう-心をつかむ広告をつくる-」というテーマで、高校生に広告の原理を説明した上で、高校生が広告を作る作業をしてもらいました。講師を担当する私が最初に正解を言うのではなく、高校生の話から正解を生み出すように工夫しました。

説明する前に、まず参加者にA4用紙に書いてもらって自己紹介をしてもらった上で、授業を始めました。説明の最初に、「広告とは何?」を話しましたが、これも参加者に書いてもらった上で進めていきました。

レジュメは、ここにあります。

導入部を急がず、参加者の身体性を伴うアクティビティーを経ながら、コンテンツに入っていくと方法は、大学教育学会でのラウンドテーブルでの経験があったからです。ゼミの進行は、以下の通りでした。

  1. 広告とは何?
  2. 広告を知ろう
  3. 広告の事例
  4. 自分で広告を創ってみよう
  5. 振り返り

参加者は、自分で広告を作る、ということに最初とまどいがあったようですが、学生スタッフが少しアドバイスをすると、すぐに創造力が沸くようで、なかなかの出来でした。

創作テーマは、精華大学を紹介するということでした。それぞれの作品を紹介し合いながら、最後には人気投票をしました。

最高得点を得た作品は、

「大人だけど子供。

自由な大人になろう」

でした。

制作者曰く、精華大には子供のような創造的な教職員がたくさんいる。それを高校生に伝えたかったとのこと。

短時間で作り上げたにしては、面白い作品でした。

優秀な学生スタッフの支援と、参加者の創造的な活動に助けられました。

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大学教育学会で二つ発表しましたよ!

もう一週間前になってしまったが、

先週末(6/6-/7)に首都大学東京で開かれた学会では、初日と二日目と連日発表した。

初日午前は、ラウンドテーブルというセッションで、2時間半の時間、教室、サポート学生が提供されて、それ以後は企画者が自由に使ってください、というものです。最近、このセッションは、長時間みっちりした企画がしやすいので、人気がある。昨年法制化されて、管理職や担当者がやっきになっているFD(教員の教育改善活動)や事務職員の改善活動のSD活動などのテーマが目白押しだ。

その中で、昨年から、私が企画しているのが、「授業方法としてのワークショップ」というものだ。ワークショップって何や定義いろいろあるが、「参加者が主体的に論議に参加したり、言葉だけでなく、からだやこころを使って体験したり、相互に刺激しあい学びあう、グループによる学びと創造の方法」(中野民夫)としておこう。要は、従来型の講義形式の授業よりも、効果的な授業方法であるワークショップ型の授業方式を大学教育に浸透させたいと思って、継続的に企画するつもりだ。

昨年は、「e-learningとワークショップの接点」というテーマだったので、e-learningに関心がある人が多かったが、今年はワークショップ自体への関心を持った人が多かった。もちろん、その中でワークショップを経験した人もいたし、初めての人もいたので、その意味では広がりがあってよかった。

でも、学会というと、きっちりと計算された発表原稿に基づいて、スピーカーがひたすら話し続けていくのが普通だ。もちろん、ワークショップという名前がついていても、ごく普通のシンポジウム方式である場合が多い。その意味では、テーマも形式もワークショップ型を学会で提起するのは、実は非常に勇気がいる。

けれども、大学教育を変えるのは、授業内容の改善だけでなく、ワークショップ形式を導入することだと思っているので、それが普及するまで継続していくつもりだ。

ワークショップの進行は、次のようなものである。

ファイルは、ここから見ることができる。(しばしお待ちを)

今回は、半期15週の導入部の授業づくりに焦点を当てて、ワークをおこなった。定義を最初に説明するのではなく、また、授業改善において、つまいづいた点を参加者の中で出し合いながら、参加者自身がそれに答えていく形式を採った。それによって、参加者自身が回答を見つけ出すというねらいがあった。また、最初のワークを入念にしたことも、授業の導入部の大切さと結びつけたのである。エグゼクティブプロデューサの中村恵子さんのサポートもあり、まずまずの出来だった。

二日目は、京都市立紫野高校に支援をおこなっている活動の報告である。大学教員の関わり方についての報告は、中村博幸先生が、高校教員と生徒についての報告は、紫野高校教頭吉田功先生と私がおこなった。大学の授業をそのまま高校に持ち込んだり、大学が高校を系列化する動きとは違って、高校側のリーダシップを大学教員が支援する形式の高大連携授業は全国的にも珍しい。その意味では、高校側の努力が生徒の動きを変えつつあるのだと思う。

この報告については、事情があって掲載できないが、個別にお問い合わせいただければ、ありがたい。

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授業はライブだ! ー学生自身の授業公開ー

我が大学では、今年度から画期的な授業公開を実施している。

学生が日々接する教育の現場と言えば、授業である。授業を受けた学生はその内容を知ることがで

きるが、それ以外の人には知ることができない。かねてから、これをなんとか表に出したいと思っていた。

そこで、どうすればうまくいくのかについて授業公開の方法を検討してみた。

 一つは、実際の授業を公開して、それを参観する伝統的な方法である。もう一つは、e-learningによる最先端の方法である。マサチューセッツ工科大学(MIT)のオープンコースウエア(OCW)のように、有名大学の有名教授の授業が無料でネットで公開されれば、内容はともかくとして、授業公開されるだけでも意味があるだろう。

ただ、私自身は、もう少し別の次元で授業公開を考えている。普通の教育現場で、きらめきを感じる授業に出会うチャンスを増やすことである。しかも、この授業公開では、これまであくまでも見られる側、記録される側に過ぎなかった学生学生自身に授業記録を公開してもらうようにしている。

その試みは、既に私が非常勤講師と一緒に担当している授業「クリエイティブの可能性」では、おこなっている。ただ、ここでの記録作業は、クオリティーが高いため、どうしても文章力のある学生に記録者が偏りがちである。

そこで、もっと気楽に記録できるすべはないかと検討を重ねた。そこで、学生の参加が求められ、かつ授業プロセスを見せる実技系の授業を対象とすることに決めた。担当教員を通じて、受講生の何名かに広報担当者になってもらい、かれらが授業風景を撮影したり、文字化したりするのである。もっとも、広報担当者であっても、受講生であるので、授業に専念できる程度の仕事量にする必要がある。

従来は、担当教員や学生に負担をかけ過ぎたのであり、長続きすることが少なかった。そこで、今回は、教務課職員や教育支援職員と一体になって、広報担当者の作業を支援する態勢を整えた。既に公開が始まっている授業を含めて20科目程度の授業を一挙に公開している。

科目名は、

【農的くらし】【編集技法】【広告表現技法】【ノンフィクション・ルポルタージュ】【クリエイティブの可能性】 写真表現技法】【言語表現技法】【社会調査技法】【シナリオ技法】【メディア・システム設計】【メディア・データ編集】【シナリオ技法】【プレゼンテーション技法】【クリエイティブの可能性】

などである。

 

このプロジェクトの特徴は、

1.約20科目同時にブログサイトを立ち上げたこと。

2.投稿者は、授業の受講生から選ばれた広報担当者がおこなっていること。

3.毎回の授業の流れ、授業風景、授業に対する感想などが書き込まれていること。

4.学生を支援するために、教務課から委任されたスタッフが配置されていること。

5.全授業の公開動向を4.のスタッフがフォローしていること

である。

このように大規模な授業公開の試みは、

精華大学では初めての試みであり、

全国的にも先進的な活動である。

以下のサイトからリンクをたどってほしい。

京都精華大学人文学部ワークショップ科目

それらは、みなさんにとっても、きっと「きらめきを感じる授業に出会うチャンス」を提供してくれることと思う。

追記:

このプロジェクトを実践しているのは、教務課職員藤井剛さんと、教育支援スタッフの徳日俊聡さんです。

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30分間で、人生を選択せよ!

ONE LOVE-ザ・ベリー・ベスト・オブ・ボブ・マーリィ

ONE LOVE-ザ・ベリー・ベスト・オブ・ボブ・マーリィ

  • アーティスト: ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ,ボブ・マーリー,V.フォード,N.G.ウィリアムス
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • 発売日: 2001/06/27
  • メディア: CD
  • 購入: 2人 クリック: 29回

昨秋から、間断なく続いている介護生活だが、いよいよ節目を迎えてきた。

この問題は、親族や経験者以外にはあまりわかってもらえないため、ひたすら親族に加重負担がかかっていくものだ。親族は、どう進めばいいのかわからないなかで、重要な決定をしないといけない。

昨日、夕方に職場外での打合せのために、電車に乗っていたら、携帯電話が鳴った。ホームに降りて、聞こうとするが、電波が弱いのと、雑踏の騒音に囲まれて、相手の説明がよく聞き取れない。実にそっけない説明を一生懸命聞こうとするのだが、よく聞き取れない。こちらも冷静さを失いそうになる。もちろん、相手が重要な選択肢を提示していることはわかったが、移動中のこともあり、また他の親族の承諾もえないといけない。しかし、それを含めても、30分間で結果を知らせよ、とのこと。

あまりの態度に怒り心頭だったが、時間がないのですぐに関係者に連絡した。しかし、誰もが即断できるわけではない。結局、最後は、私が決断しないといけないのだった。

残された時間は数分間の猶予しかなかった。心が定まらない中で、これまでの経過、現状、将来像を描きながら、私は、セカンドベストの選択をするために、祈るような気持ちで決断することにした。

数週間前、授業の中で、外交や核戦略にはゲームの理論が多用されており、それは日常生活でも有効である、という説明をしたばかりだった。まさに日常生活におけるゲームの理論の実践であった。

私の決断が正しかったかどうかが、いつはっきりするのかわからない。

それまでは、正しかったという結果が出るように、全力で向き合うしかない。

峠の向こうに、朝日は昇らないにしても、今よりも少し明るくなることを願って。

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