もう一日、非日常の生活を送った。
前日の筋肉痛が残っているかと思うと、まったくない。いつもよりかなり短めの睡眠でも実に快適に起きた。
今日は、本山(ほんざん)の中でも特別な部屋だった。畳から感じる暖かさが少し冷えている。自分の体を投げ出す。脱力できないと、相手はつらい。相手の熱を感じながら、相手の動くにまかせると、やがて体の重みを感じなくなる。今度は、自分の重みを相手にかける。相手へのいたわりが相手に重みとして伝わる。いたわらない。体の動くままにまかせよう。すると、体重の重みを突然感じなくなる。
それから直立して、相手から少し離れて立つ。以前は感じなかったエネルギーを感じる。昨日は、もっと近くに寄らないと感じられなかった相手の存在が少し離れても感じる。体温ではなく、生の息吹が芽生えている。この芽生えは、「声の文化」の時代には感じるのが当たり前だったのだろうが、「文字の文化」の今では呼び出すのにかなり手間取る。過去に失われてしまった感覚が蘇る瞬間だ。じっくり味わう。
休憩時間に小用に行く。手洗い室には行かない。その部屋は字句通りの手洗いだ。隣のToiletに行かないといけない。入口が小用で、奥が男女共用トイレだ。慣れない感覚だが、この違和感が今へと戻る役目をする。
じっくりと、そしてあっという間に過ぎる時間。気持ちをほぐすのには時間がかかるが、その後の時間はあっという間だ。同じ時間であっても、そこに挟み込まれる人間の位置はまったく違う。その時間に緊張し、弛緩し、そして、今へと戻ってきた。
心地よい疲労感のままに眠ることにしよう。