他人のストーリーを自分が演じるということ

自分のもう一つの側面を見つめるのは好きだけど、それをあたかもその通りに演じるのは不得意だ。特に、演劇的手法は、苦手だ。

しかし、他人の話をあたかも自分が体験した可能かのうように演じることは、自分自身のことではないので、演じることができる。しかも、他人からはまったく説明されていない状況を自分が演じてしまうこともある。それを今日体験した。

その場合、演じている自分は自分ではなく、自分とは別の感情や意見が登場することになる。自分がそれを切り開けた、というか、自分の体を通じて、それを表出できたのは非常に幸運だった。自分でも、他人でもなく、そこで共有する場や意識の産物を表現することは、少しの恥ずかしさを超えれば、すんなりとできる。

由緒正しいお寺で、過去と現在、そして未来が交錯する場ができあがった。明日、もう一度触れに行こう。

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