【孤独にしないこと。同じ人ばかりにしないこと。それが人生なのか。】

あなたの友達は何人くらいですか?

友達かどうかは別にして、気楽に話せる人を考えることは大切だと思う。

 年末には毎年遠方から来てくれる知り合いがいるのはありがたい。それに応えて私も何名か誘おうと思ったら、なんと同年代の男性ばっかりになってしまいそうだった。そこで、女性にも声をかけたところ、いろいろの理由で来れないとのことだった。それは女性が悪いのではなく、冷静に考えれば、年末の忙しい時期にわざわざ参加するのは、同年代の男性ばかりになるのは当たり前だった。

 日頃、多様性とか、同じ人ばかりにしないこととかいいながら、実際にはそうでない現実に直面して、改めて自分の言っていることとやっていることの違いを痛感した。

 私にとって「気楽に話せる人を」考えると、同じような世代・性別の人が多かった。別に同じような世代・性別の人が悪いわけではないが、それによって、自分の中での暗黙の前提が明確になったことの大切さに気づいた。

 かつて大学の専任教員だった東日本大震災後に、学生と一緒に岩手県の避難所でボランティアをしていたことがある。避難所には震災や津波の被害を生き抜いた方で運良く生き残った方であった。しかし、残念ながらその中から何名かは孤独死されることもあり、災害後の孤独死問題は大きな課題となっていた。

 詳しい統計は以下の論文「仮設住宅における「孤独死」の発生実態からみた政策上の論点 -東日本大震災の岩手県および宮城県の事例を通してー」(域安全学会論文集 No.45, 2024.11)に詳しいが、孤独死は高齢者に限らないが、男性であることは変わらないとのこと。

「同じ人ばかりにしないこと」と「孤独にしないこと」は私の世代にとってはとても重要だ。けれども、「気楽に話せる人」を集めようとしても、放っておくと、同世代の男性ばかりになってしまう。「孤独にならないように」とすると、「同じ人」ばかりになってしまう。どっちにせよ、得策ではない。

 最近では、これに「当事者であるかどうか」も重視してきた。研究者は妥当性のあるデータがあると、当事者であるかどうかは別にして、素晴らしい成果を上げるものだと思う。

 ただ、こういう研究者の優れた能力は、時には当事者を無視した形で進みかねないので、ここ数年の私は、自分の当事者性を大切にして来た。実際に自分がそこに関わってことで得られることは大きかった。それによって計り知れない恩恵が与えられ、いい経験ができたと思う。

 ただ、今後は当事者でなくても、当事者への愛を注ぐ限りは、可能な限り調査・分析は行っていこうと思う。自分が当事者であればそれでいいとのではなく、むしろ自分が当事者でなくても、当事者の気持ちとつながっていく方がさらに難しい。

 当事者でなくても、同じ世代ばかりにならず、孤独でないという、更に難しい課題が自分の今後にとっての課題となってきた。年がいもなく、さらにハードルを上げたのは、むしろ、高齢だからこそやりやすいのだと思うからだ。またまた、新しい人生を生きる意味が出てきた気がする。

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