年賀状はほとんど書かないようにしても、書く場合でも新年になってからわずかになる。これだけでかなり年末の余裕ができたはずだが、今年はとうとう余裕のなさを続けながら、年を越しそうだ。
理由は、いくつかあるが、一つは、先週授業が終了してからかなり忙しかったためだ。当大学の卒業論文の評価は、指導教員が担当するのではなく、別の教員が査読をし、その結果を尊重して、学生に結果が知らされる。当ゼミでは、来年半ばまでに修正要求がでている学生もいたので、一人ずつに手渡しで審査結果を知らせて、修正すべき学生には修正点を明示して、努力してもらうように説明した。もっとも、なかには優秀論文に選ばれた学生もいたので、公刊に向かってのブラッシュアップの指示もした。これはめでたい。
ここまでであれば、すんなりと年越しが迎えられたのだが、今年はその後に、毎日様々な打ち合わせ会議が続いた。現在はまだ具体的な進展は見えないが、来年には次々に形となるだろう。こうした打ち合わせ自体は非常に緊張しつつも、魅了的なテーマであるので面白かった。
さらに、こうした打ち合わせだけで終わればよかったのだが、学会記念出版本の担当章編集が残っていた。私が依頼した秀逸な著者が書いてくれた原稿の数々をフォーマットにしたがって、揃えていく作業はなかなか手間がいる。雑誌編集者であれば苦もない作業だと思うが、慣れないと時間がかかる。私が第一の読者として読ませていただく原稿なので、つい内容を読み込んでしまう。そのため、なかなか体裁を整える作業が終わらなかった。今日夕方に、その作業がようやく終わり、一息ついたので、梨の木神社まで井戸水を汲みに行った。しかし、夜になると、井戸は既に止水してあった。明日行こう。
年末の最後の仕事が残っていた。ある雑誌から依頼された原稿だ。年初に提出するので、年末年始はこれにかかりっきりになる。1997年にこの雑誌に掲載されたある論文が、私のその後を大きく変えたのだった。それを知ってか知らずか、編集者がその十年後に、私に原稿を依頼してきたのだった。依頼されたテーマはその十年間の変化と今後の展望である。光栄なことだ。既に私のイメージの中では、年初の完成原稿を想定している。その原稿は、その後の十年を展望する内容にしよう。
余裕のない年末のこの時間を感謝しつつ、皆様のご多幸をお祈りいたします。