第四回市民メディア交流集会が終わった。参加者数が5百名を越えたそうだ。昨年の熊本・山江村では、選挙投票日当日だったので、メディア関係者などのキャンセルが入って2百名程度だったと思う(数は不確か)。それに比べて、一気に参加者が伸びた。
もちろん、横浜という大都市で開催したことと、現地実行委員会の実力があった、町中にある横浜開港記念館やZAIMなどの歴史的建造物を会場にしたことなどいろいろ好条件が揃っていた。けれども、そうした地理的条件や現地の主体的条件は別に、市民メディアに対する社会的な関心が飛躍的に高まったことが参加増の要因ではないかと思う。
第一回が名古屋(2004年)で、同年第二回が鳥取、昨年は第三回が山江村と続き、今回の横浜に至っている。私自身は第二回大会から参加しているが、第一回までは市民メディアに対してあまり親近感を持ってなかった。多くは偏見なのだが、いくつかの理由があった。第一は、マスメディアを批判することに重点を置きすぎていること、第二は市民メディアといっても、主としてケーブルテレビ、FM、自作ビデオなど必ずしも新しいメディアツールを対象にしていないこと、最後は市民による発信に力点がある結果、受け手側への配慮が足りないことである。
もちろん、こうした弱点は今日もなお継続されているが、そうした弱点を指摘するよりも、新しい動きを集め始めた現在の時代は前向きに評価すべきと思う。このように評価を変えたのは、まずは自分自身が新しいツールで発信し始めたことが大きいし、自分自身にもこうした弱点があるので、それを自ら克服することから始めたいということだ。評論家的にこうした動きを論評するよりも、自らその中に入って、疑問があれば自らの実践を提示しながら問題提起していきたい。
いずれにしても、今、市民メディアはブレイクし始めている。その直前の状況から現場にいることは、かけがえのないものと思う。この感覚は、1994年秋からインターネットに関わり初めて、1995年秋からインターネットが大ブレイクした時、また1995年阪神淡路大震災以後の一気に爆発したボランティア・NPOの動きをとらえて1998年にNPO学会設立を迎えた時期、同時期に大学生のインターンシップ・プログラムが広がった時期に自ら関わった時と同じ感覚だ(1993年富山大学における言語表現科目新設やe-learningの動きはここでは言わない)。
人にはいろいろのタイプがいる。前後の分別もなくとにかく前に行こうとするタイプ、その直後からついて行くタイプ、最終的に専門的な見地から包括しようとするタイプ、いずれにもかかわらず傍観しているタイプ。それぞれの生き方がある。その中で、私は、「前後の分別なく、とにかく前に行こうというタイプ」なんだと思う。これまでがそうだった。ただ、市民メディアに関しては、私の出足が若干遅かったので、以前と少し違うかも知らない。でも、今ならばまだ取り返せる。他人への批判ではなく、自らの批判として自らの活動と研究を考えながら前進していきたいと思う。
時間と空間と共有できた喜びと、今後の展開を期待して。