3月18日に京都の実行委員が初めて集まって開催された第一回会議だった。この会議は、9月12〜14日に旧立誠小学校やラジオカフェのある1928ビルなどで開催予定の「市民メディア全国交流集会」を運営するメンバーが初めて会したのだった。
私もメンバーの一人として参加して、準備に加わったのだが、会議開始の午後7時頃になると、準備していた席(30席)がすぐに埋まってしまった。予定以上に集まった人数に驚いたが、さらに驚いたのが、顔を知らない参加者の多いこと。半分くらいしか知らなかった。しかも、それぞれの自己紹介を聞いていると、実際に番組に関わったり、活動に加わったりした方が多く、動員力が期待できる参加者だった。私も準備に関わった関係で、どういう人が来るのかがわかっていたのだが、私の知らない意欲的な人材が京都には多いことがわかって勇気づけられた。なお、「京都メディフェス」という愛称で行く予定。
私もお誘いした方もいたのだが、多くは実行委員会事務局長の太田航平さんが集めたのだった。若いのに、顔の広いこと。
いずれにせよ、最初の会議で多くの行動的な参加者が集まったということは、目標水準を上げる必要がある。新しさと広がりとを一回り大きくした目標を設定しよう。