先日、ワークショップでペアになり、互いに自分のことについて語っていた。質問項目がいろいろあったのだが、その中で「子供の頃の夢は何か?」という質問があった。私は、迷うことなく「小学時代の夢は、プロ野球選手になることでした」と答えた。
確かに小学時代の私と言えば、学校の昼休みはもちろん、放課後にも近くの京都御所のグラウンドでソフトボールを毎日していた。スポーツと言えば、野球しかなかったこともあるが、プロ野球での選手の活躍は国民を魅了したし、まさに当時の日本の躍進を象徴していた。もちろん、小学生なので硬球を使うことは恐ろしくてできず、ひたすらソフトボールだった。(たまに硬球を使ってゲームをした時に、華麗な守備でボールをさばこうと思ったら、イレギュラー・バウンドして右目にあたった。しばらく休んでまた守備をしたら、またイレギュラー・バウンドして今度は左目にあたった。それ以来、乱視になったように気がする。)
小学校では、いつもホームランを打ち、守備も外野でも内野でも起用にこなせたので、得意満面だった。近所のお母さんが家に来て、「**君は、将来、本当に**(球団名)に入ったらいい」と言っているのを聞いて、本当にその気になったものだ。小学生の時には、プロ野球選手になることが夢だったし、それを実現しようと思っていた。
だが、たぶん五年生頃から、サッカーに興味が出たり、水泳も得意だったりして、夢がぐらついてきた。中学校では水泳部に入って、それなりに活躍したのだが、将来の夢ではなかった。高校時代に体調を壊してスポーツをあきらめ、受験戦争を経て、大学へ。その後、大学院へと過ごしてきた。
ワークショップの話に戻す。つまり、子供の頃の夢を思い出していると、小学校の夢ははっきりしていたが、中学、高校、大学、大学院時代には夢がなかったことがその時にはっきりわかった。道理でこの時代は、気持ちが落ち着かないというか、目標を失っている気がしていた。人生を投げていたのかもしれない。
でも、30歳代半ばになって、人生が楽しくなってきた。その気持ちはいまでも続いているし、途絶えることもないだろう。遅咲きながらも人生を楽しめるようになってきたのだが、それは夢を持っているからである。
では、それは何かというと、誰か他の人が目標ではなく、自分自身が目標となっている。もちろん、現在の自分自身ではなく、5年あるいは10年後の自分が目標である。今の自分とはどこまで違っているだろうか。それを目標にしながら、生きていきたい。ますまず楽しみになってきた。