「心の筋肉痛」を感じた爽快さー山田ズーニーさんのワークショップー

昨日、京都精華大学でコミュニケーション・インストラクターの山田ズーニーさんのワークショップがあった。精華大学で三年前から実施されている「日本語リテラシー科目」が文部科学省の特色GPプロジェクトに採択されたことを記念して開催された連続企画の一つであった。詳しくは、プログラムを見ていただくとして、私が山田さんの回に行こうと思ったのは、この時が唯一ワークショップで実施されたからだ。

それとは別に、現在のブログの先駆者である糸井重里さんに注目しているので、そのつながりから山田さんのワークショップには是非体験したいと思っていた。ワークショップのインストラクターというと、受け答えがはっきりしていて、スポーティーな衣装を軽快に着こなしててきぱきと仕事するタイプが多い。山田さんの場合、もちろん話はわかりやすいのだが、声が特にいいわけでもなく、また、どちらというとあまり動きのない方である。桃井かおりさんと似ているかも。

独立以前は、ベネッセの高校生向け小論文の添削を長年されていたので、文字との対話は得意でも、人前で話すことは苦手なタイプだったと思う。でも、その苦労を一生懸命自分の糧とされたようだ。そして、現在では、単なる講演ではなく、ワークショップで人との対話を拡げる分野に入って行き、個性的な形式を作り上げられたのだ。ワークショップの中身については、他の場所で参加された方が報告されているので、それとよく似ているので参照してほしい。

実は、私は、今度700名規模の学生を相手に授業をする機会がある。わずか90分間のうちの60分間が私の持ち時間だが、普通ならば私の話だけで精一杯の時間である。それを承知でわざわざ一つワークを入れようと思う。それがどれだけ私の話を体験させるものになるかどうかが試されるが、昨日の山田さんのワークショップからかなり示唆をいただいた。ただそれをまねるのではなく、自分なりの個性が発揮された内容にしてみたい。

ふだんは、知り合いと何気なくしゃべっている。短時間だとほとんど疲れない。逆に、国際問題の行方や児童殺害などの深刻な話題について話しているとかなり疲れる。でも、その疲れは、どちらかというと集中的に頭脳を使ったために、頭だけの疲れを感じる。

誰かと話している時に、気楽なおしゃべりをするか、頭の疲れを感じる重い話題を話す以外の対話の仕方はないのだろうか。

私はあると思う。それは、ワークショップやファシリテーションの中で、年代、性別、職業の異なる初対面の人とワークをする時だと思う。数時間のワークが終わったときの疲労感は、ふだん経験しないタイプである。つまり、主として対話だけで進むワークであっても、頭が疲れるだけでなく、体中の筋肉が疲れる。たとえば、60分間のインタビュー・ワークをすると、体はほてるし、頭は熱くなっているし、なにかふだん使わない頭脳や筋肉を使っている気がする。私は、それを「心の筋肉痛」と呼んでいる。

心の筋肉痛は、動きたくなくなるほどの疲労の中にも、爽快感がある。でも、こういう不思議な疲労感は、一晩すると取れている。疲労感が取れた後には、頭が異常に働くようになる。アイデアが出る。ふだんいかに自分が大した仕事しかしていないのかと思うくらいだ。ワークショップやファシリテーションの体験は、その気持ちを日常生活にフィードバックさせる不思議な道具だと思う。その秘密をさぐるのが、ここ数年の私の研究テーマになる。

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