市民記者交流会でコメントして(プレゼンの工夫もあり)

 昨日、京都でインターネット新聞JANJAN記者交流集会が開催され、私もコメンテータとして参加しました。当日の参加者は40名程度だったと思いますが、熱心な記者や読者が多く、質問が相次ぎました。

シンポジウムでは、コーディネータの松本恭幸(『JanJan』編集委員)さんが1990年代以後の市民メディアの歴史を概観しました。私はそれを次の三つにまとめました。

1.通信手段の改善

衛星放送(CS)の一つである朝日ニュースターの番組「フリーゾーン」のなかで、ビデオジャーナリストが様々なドキュメンタリー作品を発表することから、市民メディアの活動が始まってきた。それが1990年代終盤以後のインターネットのブロードバンド化の中で、一気に花開いてきた

2.経営母体の変化

当初は、衛星放送や放送番組というマスメディアでのビデオジャーナリストの活躍であったが、次第にプロ以外のアマチュアも活動に加わってきた。その中で、京都三条ラジオカフェは、放送局は株式会社だけという常識を、NPOという経営母体で発足するという快挙を達成した。このことが全国のコミュニティー放送局にも波及してきている。

3.コンテンツの変化

取り上げるコンテンツも多様になり、地方やマイノリティーでの作品も現れるようになった。

こうした変化と発展を遂げる中で市民メディアは展開しているのであり、その事例をパネリストに紹介してもらう。 

玉本英子(アジアプレス・インターナショナル大阪オフィス)さん、福井文雄(NPO法人京都コミュニティ放送理事)さん、村上桂太郎(NPO法人たかとりコミュニティセンター)さん、山口朝(『JanJan』編集局映像部)さんの報告については、JANJANのまとめ記事があるので、そちらを参考にしてください。

パネリストの報告後に、筒井がコメントをした。

コメンテーターの役割のは、パネリストに対するコメントや自分の意見を言うことなのだが、もう一つはパネリストの報告内容を共有化することであると思う。報告を共有化する方法として、A4用紙にマジックでキーワードを書いた紙を順番に貼っていって報告した。詳細は、これらの写真をご覧ください。

こうした報告形式は、以前他の方がこれに似た方法で報告されていたのに触発されて、当日思いついた形式であった。遠くからは字が見えにくいということもあるが、声で説明すればなんとかなる。OHCを活用する方法もあるが、それだと堅苦しい。やはりローテクな感じを出したい。スライドの枚数やマジックの色に変化を加えることで、臨機応変に対処できる。

プレゼンの工夫はともかく、市民記者の年代が比較的上の男性であるなかで、映像事業の発展はなかなか難しいと思う。記者からの投稿数はすぐには増えないにしても、編集部や映像に長けた記者がタイムリーな話題にふさわしい映像を発信することから始まっていくのだろう。試行錯誤が続きながらも、着実に市民の中での表現したい気持ちをくみ取る工夫を丹念に拾っていく工夫こそが市民メディアのミッションであるはずだ。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください