「高校生を大学生にする」リメディアルって、前向きなんだ!

 大学入学時点で、高校時代に習得すべき授業を履修してなかったり、習得状況が不十分であったりする学生に対してどのような教育をするのかは、リメディアル教育と言われる。大学生の学力低下が言われる中で、大学の授業を理解できない学生が多発する中で、かれらを誰がどのように教育するのかが大きな問題となっている。

先週、大学コンソーシアム京都で開催された高大連携教育の研究会では、この話題が大きなテーマとなった。京都のある国立大学の専門導入教育をめぐる報告に対して、法政大学の藤田哲也さんが討論者として登壇されたので、リメディアル教育の視点からさらに議論を深める必要があったからである。

実は、私自身は、リメディアル教育というネーミングもその教育もあまり好きではなかった。高校時代に履修しなかった、あるいは不十分な理解しかできなかった科目を大学入学後に、予備校や元高校教師を招いて授業するということが効果を上げるとは思わなかったからである。

どういうことかと言うと、「あなたたち学生は、学力が足りないので、予備校や高校に行き直しなさい」という教育に思えてならいからだ。現状はともかくとして、大学生になったのに、もう一度高校に戻れと言うのは、学生の意欲をそぐ。その中で、どういうわかりやすい授業をしても、あまり効果がないだろう。

もちろん、

「大学におけるリメディアル教育についての趨勢を見ると,今や必要かどうかを議論している段階ではなく,何をどのような形で誰が行うかを考える段階にあります」

という方向性は否定できない。しかし、この分野の専門家である東北大学の新井克弘さんが年末のフォーラムで発言されていたように、「リメディアル教育がうまく行っているところはほとんどない」そうだ。

このまま放っておいても、事態はさらに悪化する。じゃあ、どうするかだ。

そのきっかけが研究会でえられた。高校段階の教育が不十分だから、予備校や高校教師に授業を任せるのではなく、大学教員がそれを補う工夫をすべき、という発表がおこなわれた。たとえば、工学部では数学や物理は必須であり、それの理解度が不十分では専門教育に支障がでる。それを前提にしつつも、大学教員は、高校時代に履修したことを前提に授業をするのではなく、履修を前提としない授業を工夫すべき、とのことである。

こういう発言は、リメディアル教育に対する認識を転換させる点で大いに意味がある。これまでは学生側の学力不足は、高校や学生自身が解決すべきで、それが達成された後に、ようやく大学教員が登場するという構図になっていた。そうではなく、むしろ大学教員自身が大学教育のレベルで、どれだけかれらに迫れるかという努力こそが問われているのである。もちろん、物理学にしても、それを専門にする理学部教員だとどうしても、より高度な内容を教えようとするので、高校段階での履修を前提にした授業から抜け出すことが難しいそうだ。専門ではない教員の方が容易である、とのこと。

ここからわかるのは、専門家は、専門的な関心を持っている学生を教育することは得意だが、それ以外の学生を教育することには慣れていない、ということである。そう考えると、リメディアル教育も単に後ろ向きな教育と考えるのもおかしい。むしろ、「高見にいる者」(?)が下りてきて、かれらとともに悩みながら、新しい教育を作り出している最先端の努力をすることになる。

狭義の「リメディアル教育」は別にしても、広義なそれは新しい転換をする時期が来たのだと思う。

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