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様々な専門職での現場において、クライアントや客との応対を改善することが望まれている。
しかし、それを改善させる必要性を現場がどこまで感じるかという切実感と、その切実感に応えるトレーナーの人材を確保することが望まれている。しかし、大学内部の人材ではこれに対処できないので、どうしても学外の人材なしでは進まない。
ただ、たとえ外部の優秀な人材であっても、その成果を生かすことができるかどうかは、大学及びそれを支える学内の人材に依存している。大学教育は、非常勤講師なしには成り立たない。外国語、体躯実技、一般教育科目などの基礎教育課程は、履修生が多いので、専任教員だけでは講義を実施することは不可能である。そこで、非常勤講師に依存することになる。こうした大学の財政事情にもかかわらず、多くの非常勤講師の方は熱心に教育されていると思う。けれども、非常勤講師の方に講義をお願いすることを単なる安上がりの便法と考えるとすれば、大学経営としては得策ではない。外部人材をどのように有効に生かすのかが思案のしどころである。
ただ、非常勤講師に依存する講義は、専門科目にもある。大別すると、毎週開講の講義と、一定期間に集中したり、より間隔の空いた(例:月一回)講義との二つ種類ある。前者は近隣の方が多く、後者は他の専門家の方や遠隔地からの講師が該当する。私は以前国立大学に所属していたし、現在の本務校から考えて、いずれの大学でも二種類あるものと思っていた。
しかし、前者はともかく、後者を実施しない大学があることを最近知った。伝統的な大学では、後者は、招聘担当者の既得権として恩師や知り合いを呼ぶことが多く、教育的に生かされているかどうかは必ずしも明確ではない。こうした点は別にしても、非常勤講師の方に講義を担当してもらうとすれば、その講義をカリキュラム全体の中で位置づけることが必要である。
話を戻すが、外部の人材をどのように生かすのかは、受け入れ大学側の体制と熱意が大きい。一方で、幹部の一方的な意向で非常勤講師を決める場合である。多くは、カリキュラム上の必要性よりも、学内行政的な必要性から決定することが多い。逆に、既述のように、受け入れ教員の恣意的な選択である。前者は、教育面が軽視され、後者は受け入れ教員の私物化につながる。両者ともに共通しているのは、教育効果が考慮されていないことである。
教育効果を上げるためには、これら二つの極を排しながら、構想することが重要である。精華大学で非常勤講師の講義(多くは、実技的な講義)の受け入れ担当者になって、従来とは違った前向きのカリキュラムの組み方があることを知った。
つまり、非常勤講師の選定から始まって、講義内容・方式に関して受入教員と事務職員が一緒になって講義を作っていく方法である。講師の選定はもちろん、講義内容・方式について事務職員が関与するのは通常はしない。それは、教員と事務職員との力関係が大きいが、むしろそれ以上に事務職員側が講義内容・方式についてアイデアを提案する能力がないか、関心がないことが大きい。しかし、精華大では、事務職員が積極的に発言し、講師とも直接接触して講義を一緒に作り上げていくことが可能になっている。
もちろん、こうした試みをすべての事務職員が実践できるわけではないので、この体制がどこまで続くのかはわからないが、これが前例となればいいと思う。
ここで、一番最初のテーマに戻る。説明の仕方が、わかりにくい構造になっているのが申し訳ない。
客への応対は、あらゆる職種に不可欠である。ここでは、9月初めに車内で出会った、客にてきぱきと対応されていた客室乗務員兼販売員の方にお話を聞いた。職業意識を持った彼女の対応はインタビューをしていても気持ちがよかった。
列車が終点に近づいて来たので、最後のアナウンスをする前に車掌の制服に着替えた。到着後は、その姿でお客さんにお見送りすることになった。その時には写真が撮れなかったので、販売員の姿を撮らせて頂いた。