【教師は、授業のプロデューサ(ジェネレータ)となれ!】

この間、【フリーライダーのいないグループワーク】や、【教師が手をかけないと、学生がどんどん自分で伸びていく】の中で語っていることは、既に2015年に出版した本(筒井洋一他編著『CT(授業協力者)と共に創る劇場型授業―新たな協働空間は学生をどう変えるのか』(東信堂、2015年))にも書いており、その後も学会発表で何度も説明しているのですが、なかなかイメージがつかめないようです。

でも、最近評判の書籍(井庭嵩編著『クリエイティブ・ラーニング』)を呼んでいると、よく似た指摘をしています。私は、教師の役割をプロデューサーへの変容と言っていますが、井庭さんは、ジェネレーターと呼んでいます。説明は違いますが、要は、教師の役割が変容してくる点が共通しています。

私は説明する時には、いつも次の図を見せながら説明しています。

私の授業では、授業に関わる関係者(ステークホルダー)が、学生、教師、それ以外に授業ボランティアや授業見学者もいます。ここでは、授業ボランティアと授業見学者をまとめて、第三者(や媒介者)と考えて、教員、学生、第三者による学びの共同体が授業である、というイメージです。

当初、第三者が教員の補佐的な立場に立つ場合があっても、授業を経る中で、第三者が教員から離れて、学生や教師とも対等な関係に立ってくるということが起こります。場合によれば、第三者が学生に近づくこともあります。

いずれにせよ、この授業を経る中で、すべてのステークホルダーは、教師に限らず、学生も第三者も役割をどんどん創造的な立場に変えていくことで、授業が創造的な学びの場に変容していきます。

井庭さんとの違いをあえて言うとすれば、私の授業では、第三者が参加しており、また、学生自身も変容が起こります。

15週間の中で、最初の数週間は、学生は受け身的な立場に立っており、第三者も教師からなかなか離れられないものですが、授業の前面に立っている授業ボランティアと学生が変容をはじめることで、見学者や教員にも変化が起こります。過去6年間の経験からすると、この変容時期はかなり異なりますが、どんなに遅くとも7週までには変化が起こるのであり、変化は必ず起こります。

教師は、単に学生との間でのファシリテーターにとどまらず、より主体的でより創造的な場を作るプロデューサーをめざすことが、未来の学びの同伴者となります。

こういった枠組みに基づいた授業を過去6年間やっています。実にやりがいのある刺激と創造性に満ちた学びの場が現出しています。そうした場で挑戦する授業ボランティアなしには、これはなり立ちません。今年度後期授業でも、授業ボランティアを募集予定です。15週間、私と一緒に授業を作りたいという方がおられればうれしいです。過去35名のボランティアは逸材揃いであり、彼らの挑戦に心から敬服しています。

参考までに、

2013年前期授業の動画は、以下です。

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