先日、父が亡くなりました。約一年間、どたばたを繰り返してきて、ここに至ったという感じです。母の場合は、一年どころではなく、もっと長かったことでしょう。
父とは長くうまくいかなくて、何かというといつも怒鳴られていた状態が続いたので、こちらからあまり近づかないようにしていましたが、その間に症状が悪化したのだと思う。母は、誰にも言うこともできる、また、今の現実を受け止めるよりも、明日の改善を祈りながら何年も過ごしていました。
ただ、症状が悪化して以後は、母の大けがもあり、私や家族が入ることになったことで、事態がようやく軌道に乗り始めてきました。というと、きれいすぎるのですが、そういうことにしておきます。(家族の写真を載せた日記を載せたのは、その意味があります。)最後は、私と私の家族が看取って、その晩のやるべき事を済ませました。でも、当夜は寝られなかった。異常に体が重かったし、寝ることがこれだけ苦痛だというのも初めてだった。翌日の通夜もそれが続き、その晩はどうなるかと思った。
でも、いろいろ考えてみると、昨夜の体や心の重さは、単なる死に直面したことではなく、父の魂が私の世代に継承されてきたことの重さであることがわかった。私は、魂の重さを知らず知らずのうちに、拒否していたのだった。この魂は確かに重いし、場合によると、憂鬱なことでもある。しかし、それを私の世代が継承しないで誰が引き継ぐのか。重くても、それを受け入れて、次の世代に引き渡すのが我々の世代の仕事ではないか、そう思うと、体のこわばりが一気に抜け落ちた。
葬儀当日は、涙もなく、ひたすら将来に向けて、参列者の方々への感謝と、希望に向けて語った。それは独りよがりだったかもしれない。でも、それが当時の私の気持ちだった。
今を転換点として、新しい人生が始まった気持ちで生きていこうと思う。
ありがとうございます。