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大学教育で食える(!)ようになったのは、1990年代末からである。「食える」というのは、一部の専門家だけが関心を持つ領域ではなく、大学業界にとどまらず、多くの関係者が注目していることを意味している。
私自身がこの業界に足を突っ込み始めたのは、90年代初めからである。当時の国立大学の教授会で、初年次教育に関する提案するとすれば、教授会になじまない議題であるとして議論さえできない時代であった。その中で、読み書き話す調べるを少人数で取り組む実習授業である言語表現科目(日本語表現法)を提案すると、激しい非難か、冷笑を浴びる時代であった。その当時私はそうした批判に対して応戦することをあえて避けてきた。その代わり、実績を積み、データを蓄積し、書面上でもまた実践上でも反論できないような取り組みをおこなってきた。
国立大学の主流の流れが変わってきたのは、1990年代末からである。おそらく大学審議会答申で個別大学の個性化が提唱された時期である。この時期を境にして、それ以前はタブーであった初年次教育や教育問題が教授会の主要議題となった。言語表現科目をあれほど非難したり、無視していた人々が、一気に教育問題を取り上げ始めた。つまり、学内行政上、初年次教育に取り組まないとまずい、という極めて打算的な判断であった。私は彼らの変わり身の早さに驚き、むしろ教授会では、あえて教育問題を語るのではなく、教育現場と他大学への啓蒙に力点を注いだ。
大学教育に関する学外での研究活動を始めたのが、1995年の大学教育学会である。個人報告で、富山大学の言語表現科目の実践とその意義について報告したら、質問が相次ぎ、終了後も多くの参加者に取り囲まれたのを覚えている。既に90年代初めから国立大学が全学で初年次教育に取り組んでいる、しかも参加者の多くの大学ではまだ科目が設置できていない状況であったので、その秘密について知りたいという参加者の意欲が溢れていた。その報告を元に、学会誌に論文を掲載した。この論文は、現在でも多分野から引用され、また話題にされている。もっとも、論文自体に学術的な新しい知見があったわけでもなく、また実証的なデータが提示されていたわけでもない。その意味で言うと、論文としてはけっしてレベルが高くない。ただ、時代の先を行っていた、あるいは無理だと思われたことが変わってきたということを感じさせる内容であった。私にとってはそうした評価を頂ける方がありがたい。
話を学外の研究活動に移す。学内での教育活動を、学内や教育活動に留めるのではなく、学外での研究活動に結びつけることで、研究者としての新しい生き方をつかみたかったのである。そこできっかけになったのが、石桁先生であった。昨日、退官講義がおこなわれたので参加した。石桁先生は、1960年代後半から情報教育を専門にされて、実践と研究を積み重ねてこられた。先生の特徴は、組織づくりと運営が巧みなことである。普通の退官講義では、自らの専門教育について一人で語る形式であるが、石桁先生の場合は違った。これまで先生が関わってこられた7つの研究会代表を順番に呼んで、ジョイントで講義を進められた。本人だけが語るのではなく、近くの人と語り合うという形式は、いかにも組織作りのうまい先生らしい企画だった。
私自身が石桁先生とお会いしたのは、1996年3月のガイダンス教育研究会の例会だったと思う。先生の本務校である大阪電通大学で開催されていた。情報教育や自然科学の専門家も交えた研究会は私にとっては初めての経験だった。ただし、研究会は手弁当で運営し、参加者全員の気持ちを高めていこうという意欲が溢れており、非常に魅力的だった。以来、今日までこの研究会で研鑽を積んでいる。写真は、研究会創設メンバー三名(左から矢内・石桁・中村先生)のスナップである。逆光だったので暗くてすいません。
私自身は、こうした先達に導かれながら歩んでいるし、これからもそうであろう。同時に、若手の優秀な専門家が本格的に登場したので、ゆっくりしているわけにはいかない。このように先達と若手に励まされながら、新しい貢献をしていきたい。