今春、新しく芸術学部の教員が学長になった。芸術論や美学専攻のどちらかという傍流であるが、意外に面白い。赴任したのは私と同じ頃なのだが、彼の学内での知名度はすごい。もちろん、学問的にはそれなりなんだと思うが、それ以上に面白いのが、彼は研究室にはいないで、学内を渡り歩くのが趣味である。特に、食堂周辺には頻繁に顔を出し、教職員はもとより学生と話しているのが日課になっている。
学長就任以前に、彼が言うには、「大学にいる時には、研究室にはいない。むしろ、学内をうろついて誰かと話すことが仕事だ」とのこと。つまり、研究は自宅ですべきで、大学では大学の仕事をせよ、というのだ。私は、学内にいても、あまり研究室外には出ない。室内に学生がいても構わないが、特別の用件がないかぎり、自分の仕事をしているので、彼のようなスタイルはまねできない。
でも、もっと面白いのは彼の趣味である。お世辞にもスポーツマンタイプの体型ではないのだが、彼はスポーツ観戦が異常に好きである。特に、サッカーは並の専門家よりも詳しい。彼のごひいきは、京都サンガに所属していた松井選手である。彼は、今フランス一部リーグに所属して活躍している。学長は、フランス語が堪能なので、チームのWebやブログはすべて見ているとのこと。ここまで見る専門家も日本では少ないはずだ。ただ、そこまで好きなのにもかかわらず、不思議に彼の周辺にはサッカー専門家がいなかったそうだ。
6月末にJリーグの元監督が大学の授業に来られた時は、学長就任の翌日であった。授業前夜に学内関係者と一緒に食事をするという話を聞きつけて、忙しい中でも駆けつけてくれた。この時を幸いと「私には質問が百あります。その答えを是非聞きたい」ということで、次々に質問を始める。他の客もいたのだが、口が挟めないほど真剣な質問に、元監督も半分あきれながらも、彼の熱意に応えてくれた。翌日元監督が学内を去る直前に、忙しい合間を縫って挨拶しに来てくれた。「いやー、昨日は他の人がいっぱい質問するから、私はほとんど質問できなかった」という学長の言葉を聞いて、一同、「違う違う。あなたの質問だけで、誰も質問できなかった」と返答した。本人には自覚がなかったようだが、ほほえましい。
昨日、九月卒業式があった。留年生や九月入学生が卒業するための式である。そこでは、学長が挨拶するのだが、やはり話題はスポーツ。ただ、今度はサッカーではなく、ラグビーだった。スクラムハーフの全日本代表の村田選手の話だった。彼は現在30歳代後半だが、まだ現役で頑張っている。その彼が27歳の時に、次のようなコメントをしたのが印象に残っているとのこと。村田選手は、どういう選手になりたいかと聞かれて、「私は、記録を残す選手ではなく、記憶に残る選手になりたい」と答えた。
記録とは、外見だけであるが、記憶というのは人々の心の中に残ることである。そういう含蓄の深いコメントを引用しながら、卒業生に、「精華大学にいた(場合によれば、四年以上いた場合もあるが、)という記録ではなく、記憶に残してほしい」と訴えた。私が今年九月卒業式に出たのは、今年初めて九月卒業生を送り出したからであるが、学長のこういうコメントは面白いと思った。でも、この学長は、並大抵のスポーツファンではない。人文学部と芸術系学部しかないにもかかわらず、ユニークなタイプが学長になったものだ。少し違った角度から大学を見られるのはむしろいいかもしれない。