大学において教育・研究に携わっている身としては、直接教育対象となる学生はもちろんのこと、社会とつながった戦略をとることが必要だと思っている。
元来の専門が第二次世界大戦後のドイツ外交史であったが、やがて紆余曲折を経て、メディア、インターネット、NPO、大学教育を専門にすることとなった。以前であれば、「私の専門は、国際関係論です」とか、「ドイツ外交史です」と言えたが、現在は四つを並べている。
すると、「あなたの専門はなにかわからない」と言われる。日本語表現法の授業では、「相手に一言でイメージできるように語りなさい」と言っている建前からすると、矛盾していると言われてもしようがない。この点は悩み続けている。
しかし一方で、「自分を一言で語られたらおしまいだ」とも思う。「筒井さんは、国際関係論が専門の方ですね」と言われると、伝統的な専門分野の一員であるという若干の満足感とともに、「それしかできない学者バカ」と言われている気もする。
もちろん、学者のキャリアとしては専門が一つの方が王道だし、職を得るためにはその方がはるかに楽だ。教員採用システムは、一つの研究分野に該当する教員から該当者を選択するのが一般的である。そこでは、すぐれた研究業績(論文、報告書、学会報告など)を持つ該当者から絞っていくのであり、研究業績の質と量が物を言う。(最近では、研究業績だけでなく、教育経験なども選考対象になっているが、前者なしで後者だけで採用されるとすればもはや大学教員の質の保証はできなくなる。)
一研究分野での業績だけで研究者の力量が判断されるとすれば、多分野の専門分野を持つことは完全に不利である。他の専門分野の業績は香料の対象にならないからだ。「だからこそ、一分野で業績を積む方が確実である」ということになる。一研究分野やその分野のステイタスの高い学会での活躍が好まれるゆえんはここにある。
私の場合、その不利は十分すぎるほどわかっている。王道を進めればいいが、私にはできない。理由は、「多くの分野に取り組んでいる方が面白いから」だ。誰かに強制されていたりする場合、その強制がなくなると取り組まなくなる。しかし、私の場合は、自分から飛び込んだ世界であるし、取り組んでいたらやめられなくなった。そこで、結局、10年以上前から新しい取り組みをしていたものを捨てることもなく、積み重なって現在に至っている。
で、「筒井さんの専門は何?」ということになる。
私も相手に合わせて、「私の専門は、Aです」というが、「その他にBやCもやってます」と付け足しのように言うようにしている。
昨日から始まった授業「広告表現技法http://blog.ishijun-seika.net/」も私の新しい可能性を広げる試みである。
私が担当する授業ではないが、側面から育ててきた授業であり、大学にとっても売りになるし、学外からも注目すべき価値があると思う。今年六月の学会でこの授業について取り上げる。
特に、
- 「広告の授業」を学生が広告すること
- この授業を可能にするための非常勤講師、学生、事務局との連携
に限定して報告するが、現在の大学の授業では、特筆すべき経験を積んでいる。
詳しくは、また紹介する。