全国的な名称と定義ー日本語表現の未来に向けてー

ここ二回の週末は、お勉強合宿だった。今週は大阪のまちづくりに対する提言計画の作成を京大の建築家などと話しあった。ここでは私があまり貢献できることはなかったが、みなさんの議論を聞いていたことで大いに刺激された。

というのも、元来の専門である、国際関係論では、人間の私生活や周辺環境を扱うことが少ない。もちろん、そうした側面を扱うことも可能だが、ほとんどの場合は、公的生活や組織に所属した人間集団を分析する方が得意な分野である。

けれども、まちづくりや地域デザインにおいては、人間の公的および私的な側面や周辺環境を対象にしている。そこでは、大上段の議論よりも、居住者の視線が必要になる。私は現在その視線を学び取ろうとしている途上である。

もう一つのお勉強は、先週末に箱根の温泉旅館であった日本語表現の合宿であった。大学教育学会での交流を軸として、日本語教育、大学教育、河合塾、そして認知科学などの多分野の研究者が30名ほど集まった。「ことば」をめぐってその学習方法や学ぶ意味について議論した。温泉に来たにもかかわらず、土曜日午後1時前から途中夕食をはさんで深夜3時まで延々と議論しつづけた。翌日も午前9時前から午後1時まで議論を続けた。

私にとって、この会議の目的は、名称を確定することと、定義の原案を提起することであった。

名称は、「日本語表現」で統一することであった。93年に富山大で言語表現科目を提案した私としては、この名称に思い入れがある。しかし、既に他大学の動向を見ているなかで、この名称を総称とすることを断念した。言語表現は富山大の個別例にし、全国的には「日本語表現」とすることに数年前から決意している。この合宿では私の考えに共感頂けたと思う。

さらにより重要なのは、定義である。議論の最後の最後に私は次のような原案を提起した。その際には、特に国語表現との区別を明確にすることを前提にしている。

  1. (言葉ではなく、)「ことば」を通じた相互理解のプロセスである
  2. 方法論として、伝統的な講義形式ではなく、実習やワークショップなどの実技的な方式を主体とする
  3. 「ことば」の背景を含めた生活環境デザインを対象とすること

以上のような定義は、私が提案したのであるが、この合宿で議論された個別の意見を反映したものである。この合宿ではこの定義について詳しい議論はなかったが、定義の第二の方法論を入れた点はユニークであり、評判を得たと思う。第一・第三の定義の表現については、今後改善すべき余地があろう。

いずれにせよ、この合宿で多分野の専門家が一同に会して、相互に共通の認識を持って実践していることが確認できたことが大きいし、最終的には用語と定義が提案されたことで、今後の展開が容易となるであろう。

フロンティアでありたいという自分の希望を含めて今後の発展に寄与していきたい。

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