昨日、京都メディフェス・プレイベント「市民メディアってなに? 〜誰もが「発信者」の時代へ〜」と題して、
パネリストが、
- 白石草(インターネット放送局OurPlanet-TV代表)
- 下村 健一(市民メディア・アドバイザー)
- 原 聡一郎(横浜市民メディア連絡会事務局長、横浜市市民活動支援センター運営委員)
- 町田 寿二(京都三条ラジオカフェ放送局長)さんで、
司会を
太田航平(市民メディア全国交流集会’08京都実行委員会 事務局長)さん
が担当した。
前半は、それぞれの活動を題材にして、自分と市民メディアとの関わりを語り、後半は、より大きなテーマとして、マスメディアと市民メディア、客観的という意味、著作権など多岐にわたる議論を展開した。
私自身は、マスメディアと市民メディアの接点に関心があり、9月本イベントでは、マスメディア関係者をお招きした分科会を企画している。
下村さんは、両者の違いについて、図示しながら解説した。マスメディアはプロが前提になっており、そこではなんなかの意味での中立性や公正が基本になっている。対して、市民メディアの場合には、中立性ではなく当事者性が、公正さに対してこだわりが重要になっている。
もちろん、市民メディアの場合に中立性や公正さが不要というわけではないが、それを最大の眼目にすると、マスメディアの小型版となり、独自性が失われる。
もちろん、マスメディアでは、報道の客観性や事実の検証が厳しく問われているのに対して、市民メディアが問われないのは、その影響力の大きさによっていることが大きい。それは、将来の課題として出てくるだろう。
様々の論者の発言があり、G8の市民メディアセンターの重要性や長野での聖火イベントを題材に豊富な視点を提供してくれた。
こうした視点の提供が大いなる可能性を開くこととなったことは明らかだが、私としては、ラジオカフェの町田さんが、NPO放送局設立にいたる経過やその後の番組製作に携わる市民とのふれあいを語る姿に感銘を受けた。
地元放送局定年後に巻き込まれてしまったラジオカフェの試みの今後の課題を持ちつつも、その大いなる可能性を語ってくれたことに溜飲を下げる思いをした。新しいラジオカフェの顔が埋まれ、また、それを支えている時岡技術スタッフの献身的な努力が全国の人にもっと知ってもらえれば、ありがたい。
もう一歩の努力を考える場合に、まずは現場での豊富な事例を知る中でこそ次が生まれるのだと思った。