2013年から、私は、ボランティア中心の授業を継続しています。現在まで7年間も継続することは考えてなかったと思いますし、私も同感です。しかし、2015年に、「もし大学を辞めても、この授業が続けられるならば、大学を辞めてもいい」と思ったので、2016年3月早期退職しました。それは間違いなかったです。
私の生き方はここでは省くとしても、この授業を主催したからこそ気づいたことをお知らせします。
大学の授業は、大学設置基準に基づいて、専任教員が担当します。でも、実際には非常勤講師やゲスト講師が担当する授業も多く、大学によっては開講授業数の半分以上になっていることもあります。
つまり、「大学の授業は、専任教員と非常勤・ゲスト講師で成り立っています。」
しかし、私の授業は、非常勤講師は私だけで、授業ボランティアは無償の活動です。こうした授業ボランティアと一緒に授業を創って、7年間継続しています。多くの方は、ボランティアはそのうち集まらなくなると思っていたようですが、毎回新しい方々が来てくれます。
「専任教員と非常勤・ゲスト講師」と「授業ボランティア」は大きな違いがあります。私はこれを図にしてみましたが、「専任教員と非常勤・ゲスト講師」は、金銭関係を前提にしています。つまり、大学の授業は、金銭関係がある教員だけが授業することだったのです。
対して、「授業ボランティア」は金銭関係を前提としていません。むしろ、金銭よりも、大学や授業への興味関心や大学や学生に貢献することの喜びを感じています。つまり、「授業ボランティア」は、金銭関係ではなく、大学、授業、学生への「やりがい」を持っています。
こういう「思い」を持って授業を担当する「授業ボランティア」が毎年おられると言うことです。
これは大きな発見です。
これまで大学の授業は金銭関係なしには成り立たないと思われたのですが、私の授業によって、大学、授業、学生への「思い」を持った人も授業が担当でき、しかもこれまで以上に広汎な層を顕在化することができました。7年間継続したのは、私がこの層に呼びかけたから可能になったのです。
かといって、私はスーパーティーチャーでもないし、著名人でもありません。それに退職者です。
しかし、私も授業ボランティアがやりがいを持てるように取り組みますし、何よりも学生の変容の大きさこそが大きな財産です。
大学側の視点で考えると、謝金を払わなくても、学生の自立的な学びに一生懸命取り組んでくれる学外からのボランティアがおられるのはありがたいことだと思います。ボランティア以外に見学者も来られますし、学生の父兄も見学に来られます。前例がないとかいろいろ理由は言えますが、それでも彼らは大学の応援団です。ボランティアや見学者になって、大学に悪い印象を持つはずはありません。
このような広汎な応援団を大学はどのように獲得していくのかが今後の課題だと思います。
こうしたことを考えながら、私は、ボランティア中心授業をやっています。
関心のある方はご連絡いただければありがたいです。