教師の仕事は、「教えること。」
このことを長く疑わなかった自分がいる。
だが、今は、これではないと思っている。
むしろ、「教師は教える人ではなく、学ぶ環境を創る人」だと思っている。
こう言うとすこぶる評判が悪い。そして、これに賛同する方もほんのわずかだ。でも、私はいつも少数派に属しているので、あまり気にしない。
職業柄、素晴らしい授業をされる方々に出会うことが多い。私なんかまったく及ばないほど、授業設計、学習者の巻き込み方、時間管理など惚れ惚れする。
こうした方々の授業の特徴は、多くの場合、教師が中心にいて、学習者の状況を見ながら、どんどん引き込まれるようにされる。学習者も素晴らしい教師の進行につられるようにどんどん伸びていく。こうしたほぼすべての学習者にとって、「やりがいのある授業なので、意欲的になるのだった。」
しかしながら、教師が中心になって素晴らしい授業を実現するとしても、教師がいないところでも同じようなことが起こる(転移する)のだろうか?こ
れは、私が常に疑問に思っていることだ。私は、最初はともかく、最終的には教師がいないところで、学習者がどこまで自律的に学ぼうとするのかが重要であると思っている。
しかし、多くの方は、「教師が中心にいない」と、学習者は学ばないのではないか?
という懸念を抱く。
だが、「教師が中心にいないでも」、学生が自律的に学び出すという実例を私の授業でやっているつもりだ。それが検証可能なように、一昨年までは、学外からの見学者に授業を公開していたし、昨年からは、オンライン授業になったので、オンライン見学者も募集している。
では、教師が中心でない授業だとすれば、誰が中心になっているのか?
昨年度履修生から選ばれたSA(Student Assistant)であり、学外からの授業ボランティアが中心に授業を進行させている。
確かに、「誰が授業の中心なのか」は重要だが、それ以上に大切なのは、授業を「教師とそれ以外の方」と一緒に複数で担当していることである。
SAやボランティアが授業を進行し、私が授業に関係する学生、ボランティア、見学者の学びの場を創るように尽力する。オンライン授業では、SAやボランティアが授業を進行し、私が、テクニカルサポートをする。
教師中心で素晴らしい授業をされる方々は、教師中心から離れようとしない。
ましてや「教師とそれ以外の方」と一緒に授業することもしない。
むしろ、それができるのは「筒井だから」「「教師以外の人がいない」と言って賛同してもらえないのが実情だ。
けれども、もし「教師は教える人ではなく、学ぶ環境を創る人」ということに関心があるならば、誰でもできるはずだ。
多くの教員は、昨年からのオンライン授業において、授業進行とテクニカルサポートの両方を担当されている。私は、それはやってはいけないことだと思うが、多くの教員はそんな高度なことを実践されている。
もしそれができるのならば、「学ぶ環境を創る人」になることはそんなに難しくないはずだ。
「教師は教える人ではなく、学ぶ環境を創る人」とはどんな授業かは、
隔週木曜日(次回は6月3日)午後4時20分からの授業
を見ればわかる。希望者は是非コメント下さい。