こども時代には学業も振るわず、親や教師や大人から見放された子どもがいつか大人を見返してやろうと思いながらも、何も出来ないまま無為な青年時代を過ごしていた。ところがその男性が、あるテレビ番組を見たことから人生が一変した。
彼が見たのは、マラソン、自転車レース、水泳三種目をやり遂げるアイアンマン・レースと言われる「鉄人レース」であった。一種目だけでも厳しいスポーツだが、三種目すべてに挑戦するという、それまでの常識では考えられないスポーツであった。それに「鉄人」というニックネームが付けられていることに魅惑されたのだった。
それ以来、仕事のかたわら、ひたすら鉄人レースのトレーニングを繰り返す。仕事は理学療法院を開院しているが、仕事以外のすべての時間をトレーニングにあてている。そのひたむきな姿勢にあこがれた女性と結婚したが、その女性は体調が優れない時もある。看病しないといけないと思うが、奥さんがトレーニングするようにと言ってくれるのだそうだ。
その甲斐あって、全日本トライアスロン宮古島大会には、14年連続15回完走している。もちろん、記録的には決していつも上位というわけではない。しかし、上位選手は優れた成績を残すとその後レースに参加しなくなったりして、レースから離れてしまうことが多い。ところが、彼の場合には、あくまでもアマチュアとして、全力でトレーニングを繰り返し、連続出場を更新し続けている。
そんな彼が、これまでトライアスロン団体会報に寄稿していた連載記事を一冊の冊子にしてまとめた。そのタイトルが『鉄人になった落ちこぼれ』である。私は、彼の患者としてお世話になっている。
今のかれからを見ているだけだと、この冊子の中に書いてある彼の子ども時代が事実だとはとても信じられない。患者さんに対しては、ひたすら丁寧に接し、不調の原因をすぐに探り出し、適切な施術をしようと全力を注いでいる。患者の素朴な疑問に対して、医学的に裏付けられたデータや学説を元に、返答をする姿は、勉強が不得意だったとは信じられない。豊富な医学知識を持っているし、施術説明にぶれがないので、患者も安心していられる。
さらに、彼の驚くべき才能は、患者さんの顔を一度見れば、どれだけ間隔が空いていようとも、必ず記憶していることである。顔だけではなく、その話題もほぼすべて覚えている。次々患者さんが押しかけている中での施術中での会話をどう整理するのかまったく不思議である。
苦難を経た鉄人は、弱者に対してやさしい反面、自分に対しては厳しい。その両面をあわせもつ人間の素晴らしさをこの冊子を読むことで初めて分かった。鉄人になった落ちこぼれは、本当に鉄人になってしまったのだ。