教える内容が多すぎて、時間がないという教師は多い。あるいは、国家試験に出るからすべて教えないと思っている方もよく聞きます。
確かに教える内容は、以前に比べて格段に増えていますし、全部教えておかないと学習者に習ってないと言われるのも嫌なのでなんとか教えようとします。この気持ちはよくわかります。
でも、教える内容が多くて、教師がそれに苦労している時には、学習者はそれ以上に困っていることにはあまり気づいていません。
つまり、教師が教えたことと、学習者が理解したことは違うという現実に向き合わないといけません。
教師は、すべて教えることに努力すべきとすれば、いわゆる教え方のうまいスーパー教師をめざすことになります。多くの内容をいかに効果的に教えるのかです。もしそれをめざすならば、教師の力量を上げるしかありません。これが今まで求められてきた教師像です。
しかし、私はそうではないと思います。いかに効果的に学習者に教えるのかよりも、学習者がどこまで理解したかに注目することです。教師が教えないといけないと思っているのは、その根底には、学習者が自分から学ぼうとしないからという気持ちがあります。
そうではなく、学習者が自分から学ぶような授業にするにはどうすれば良いのかを考えた方が良いです。教師が熱心に教えれば教えるほど、実は、学習者はその教師に依存し、受動的になります。
もちろん、教師がいる前では努力するかもしれませんが、いない場ではやろうとしません。教師がいない場で、学習者が興味を持って自主的に学ぶかどうかを中心にすればいいんです。
教えるべき内容が多ければ、反転学習のように時間外にビデオで学ぶことや、学習者自身が学ぶような気持ちになってもらえればいいと思います。
もちろん、こんなことを言っている私もよく失敗します。その失敗に気づき、誰かが改善してくる仕組みとして、授業に教師以外のボランティアや見学者に入ってもらっています。
教えている当事者である教師自身が失敗を改善することは難しいですが、それに気づいた他の方が改善することは可能です。
授業は、教師一人が頑張る場ではありません。
それ以外の方が参加していて、気づいたならば、自ら改善できる学びの場こそが大切なのだと思います。大学の授業に、学外から授業ボランティアに入ってもらったり、授業見学者も自由に入ってもらうという挑戦をして6年目になります。
今年は、水曜日午前中は 大谷大学、夕方は、京都工芸繊維大学で開催します。
ありがたいことに、どちらの授業にも授業ボランティアに集まってもらっています。
10月開講まで、ボランティアの方と一緒に授業準備をしていきます。
授業見学者の募集ももう少ししたらおこないますので、よろしければ、お越し下さい。