【授業の詰め込みすぎが、参加者の自律性を奪う!】

自戒を含めて白状しますが、教師や講師という参加者に情報や考え方を提供する側は、内容をどうしても詰め込みすぎます。時間ギリギリまで提供して、参加者の振り返りはもちろん、参加者自身が自律的に考える時間を作らなくなります。今でも私も時々やってしまいます。

なぜ内容を詰め込みすぎるのかというと、

第一は参加者に多くのことを提供することで活用してもらいたいという善意に他なりません。せっかく来てもらったんだから、教師が伝えられることは可能な限り伝えたいと思います。

第二は、多くのことを提供できる教師は頑張っていることを参加者に認めてもらいたいということです。教師は、参加者に認めてもらいたいのです。他にもありますが、私の場合、この二つが大きいです。

教師とは何か?

多くの場合は、教師=教える人と考えていますし、それを否定しながらも、その枠組み内に自分がいます。

でも、参加者の自律性を尊重するならば、やはりそれを実現する方策を提供し続けることでしょう。

枠組みから脱する方策として、

第一に授業を詰め込みすぎないことです。私が担当する場合はもちろん、かりに他の人が担当する場合にでも、その人なりの設計ができるようにすることです。こうしておくと、仮に偶然何かが起こった時にも取り込めます。

こうしておいてよかったと事例が前期授業で起こりました。

授業では、授業の最終成績基準については教員が決めておき、それを前提に進みます。しかし、前期授業ではそれに疑問を感じる参加者が現れました。成績基準を変えるような問題提起だったのでどうしようかと思いましたが、でも、当初の予定を変えて、この問題提起に対して参加者の意見を聞く場を設けました。

賛否両論があって決めづらかったので、Zoomブレイクアウトで少人数で話し合ってもらいました。戻ってきた後に、みなさんから意見を言ってもらい、その後に私の意見を伝えました。

「成績基準を最初に明示しなかったのは私のミスなのでお詫びします。ただ、今から基準をやり直すとすると、かなりの時間を要しますので、それは難しい。そこで結果的には、基準を変えることはできないのですが、こうした問題提起をしてくれたことには大変感謝しているし、賛否があってもみなさんが再度検討してくれたことにはありがたいと思っています。」

基準は変えませんでした。でも、基準について考えることによって、全員が合意することはでできないにせよ、賛否を超えて、多くの参加者が納得したと思います。

私は、あえて問題提起をしてくれた学生の勇気が大好きだし、意見は異なるけど立派なことだと思います。

でも、普通はこれは認められないし、基準を参加者が話し合う時間もありません。この時には、授業内容を詰め込まなかったことが功を奏しました。

偶発性を取り込む。参加者の自律性を可能にする授業を今後もめざしていきたいと思います。

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