著者の四角さんから献本して頂きました。書評と言うよりも、彼とのこれまでの出会いを含めた内容になります。
絢香、Superflyを育てた敏腕音楽プロデューサとして今や業界を越えた活躍をしている四角さん。彼とのつながりは、本当にふとしたきっかけだった。京都精華大学の授業にゲスト講師として来て頂いた時に、別の授業の非常勤講師とたまたま一緒に食事した時から、まさにずぶずぶのつながりとなった。あれよあれよという間に、昨年度から精華大の授業も担当して頂いた。その授業は、四角さんの「ソウルフレンド(心の友)」である博報堂のコピーライター佐々木圭一さんと共同で実施している。音楽プロデューサとコピーライターという組み合わせであれば、当然ながら、メディアの動向や業界話(たぶんに自慢話)が主になるもんだ。確かに授業名が「広告表現技法」だから。
しかし、自己紹介こそ、これまでの経歴と、今、ホットな情報がさらりと触れられるが、授業の大半は、講師二人がこれまでの人生でいかにうまく生きられなかったのか、と同時に、今ここで学生と一緒になってプロジェクトに取り組める喜びを切々と語る。「これって、広告の授業なの?」と思うかもしれない。けれども、音楽や広告で生きている人間は、実は、こういう人間なんだよ!ということをいいたいのだ。変わった授業だ。本当に。
そういう授業に学生(他大学の学生も大量に押し寄せてくる)はどう反応するかというと、まさに彼らの人間性に敏感に反応し、授業内で設定された課題「新聞に掲載されるようなプロジェクトを作ろう!」という企画に全力で取り組み始めるのだ。昨年度末に、それぞれのプロジェクトの報告があったが、どれも実に多彩な試みで、学生のレベルを楽々越えた結果を残したのだ。その一つが昨秋に、東京国際映画祭の開幕イベントに置かれたミネラルウォーター飲料「い・ろ・は・す」のペットボトルで作った強大な象やゴリラだった。この企画は、コカコーラ社内の企画でも図抜けていただけでなく、アジアのマーケッティングアワードで最優秀賞を受賞したのだった。
授業の紹介が長くなったが、書評する前には、どうしても触れておきたいことだった。
この本には、授業の中で四角さんが語っていた話が満載である。その意味では、この本は、まず、受講生に向けて書かれた本である。彼が本の中で名曲について次のように語っている。「何年間も、何百人、何千人に歌い継がれる名曲のほとんどは、実はもともと、誰か個人に向けられた曲なのです。」そう。この本は、150名くらいの受講生が一人の受講生となって、語られた本だと思う。けれども、こうした限られた読者に向けた語りは、まさにキャズムを越えて、広い読者へも共感が広がっているのである。大規模書店の新刊コーナーには、平積みで並んでおり、手にとって見ている客も多い。職業柄、あちこちの書店には出入りしているので、これは体験的に知っている。
本のタイトル「やらなくていい、できなくてもいい」という言葉は、誰でもなく、まずは自分に向けた言葉である。子供の頃にはいじめや対人恐怖症で苦しみ、就職後も会社の方針とあわずに、苦しみながら生きていた。うまく人と一緒に生きられないタイプは、人生自体をあきらめてしまうものだ。
でも、彼は違った。自分が大学(高校?)時代から抱いていたニュージーランド移住を実現する人生の目標は、けっしてあきらめなかった。いや、近づけば近づくほどその実現に燃えていくのだった。その計画が予定より遅れたのは、移住条件が整わなかったという苦しい理由もあったが、実は、仕事で出会ったミュージシャン達がとてつもなく素晴らしかったという楽しい誤算もあったのではないか。平井堅、絢香、Superflyなどを語る彼の口調からそれが伝わってくる。いつ彼らと一区切りつければいいのか。それに悩んだ中で、昨年末、絢香が、病気休養、結婚を前にして、紅白歌合戦出演したのを最後に退職したのだった。それが一番良かったのだろう。絢香も結婚生活に入り、四角さんもしつこいまでに夢を抱き続けたニュージーランド移住というそれぞれの目標を実現したのだから。
実は、この本は、完結していない。四角さんの目標は、移住を達成することだけが目標ではなかった。今では、これまで彼の背後に横たわっていたアウトドアの生活が前面に出て来た。そして、日本とニュージーランドを往復する生活のなかで、自然と人間とがどのように対話をおこなうのかを実践しはじめている。
その意味では、人生の続編はまだまだ続く。この本は、四角さんの人生を読みながら、実は自分へと寄り添う文章がちりばめてある。まず、できることからやる。自分を認めてやるところから、すべての人生は始まる、というメッセージを、既に齢が50歳を過ぎた私であっても、いや、だからこそそこから始めたいと思う。
まだまだドラマは続く。
勇者は、成功を語らず。ただ、努力するのみ。